Short Story

後輩と昼休憩をする

 営業には優秀で容姿にすぐれた男がふたりいる。
 一人は後輩の豊来、そしてもう一人は同期の水守《みずもり》だ。彼は豊来の教育係でもある。
「なぁ、頼むよ」
「ふざけんな。締め切りは昨日だ」
 経費清算の管理が難しくなるために締め切りは月末、前月の経費は翌月の十日までと会社既定がある。
 いつも締め切りを守る男が一枚だけ領収書を出し忘れていたとか、それがまずおかしいのだ。
 理由はただ一つ。彼の悪い病気が発生しているのだ。
「ほら、俺って超がつくほど忙しいじゃん」
 てへっと首を傾げて見せるが、同い年の男にされても萎えるだけだ。
「は、水守以外の営業も忙しいだろうが。でも締め切りは守っている」
 それに渡された領収書は接待交際費では落ちない。大きな掌の上に渡された領収書を返す。
「接待じゃないよな、これ」
 とん、と、お店の名前の所を指さした。
 この男はわざと風俗の領収書を持ってきて揶揄っていくのだ。
「えー、文辻はどういうお店なのか知ってるの」
「知っているけれど、なにか」
 冷ややかに返してやれば、大げさに連れないと嘆く。
「用事は済んだだろう。さっさと戻れ」
「同僚じゃん」
「かまってちゃんなんぞ相手にしていられるか!」
 ここに彼がいると煩いし、都合の悪いこともあるのだが一足遅かった。
「水守さん、文辻さんの邪魔をしていてはダメですよ」
 水守が邪魔をしているといつも迎えにくる豊来だが、本当の目的は文辻だった。
 やたらと目が合うなと思っていたのだが見られていたのだろう。
「はやく連れて帰れ」
「はい。また後で」
「は?」
「後でって、なに、何か約束でもあるのか」
 戻ると思ったのに、してもいない約束のせいで食いついてきた。
「約束などして」
「お勧めの小説を教えてもらうんです」
 言葉を重ね、水守の興味がなさそうなことを言う。
「小説か。よく読んでいるものな」
 入社した時から話をしたくないので小説を読んでいたのでそれを覚えていたのだろう。
「よし、戻るか」
 今度こそ戻ってくれるようだ。なので約束のことは口に出さずに領収書の処理を始める。
「それでは、お昼休みに」
 そう口にするとふたりは戻っていった。
 約束は勝手に向こうが言っているだけなので、ゆっくりと食堂でご飯を食べてスマートフォンでも弄っていよう。
 一人で勝手に待っていればいい。
 そう思っていたのだが、昼休みになって食堂にいくと何故か同じテーブルに豊来がついていた。
「なんでここにいるんだよ」
「目の前の席が空いていたので」
 すぐに埋まるだろうと思っていた席は座ってほしくない男が腰を下ろしている。
「はぁ。約束なんてしてないからな」
「約束なんて無意味でしょう? どうせ断られるのだから」
「わかっているのならあきらめろ」
 前向きな性格は好ましくうつるとでも思っているのか。それが迷惑だと感じる相手もいるのだ。
「貴方には少々強引にいかないとダメなことがわかりましたから」
「自己中だな」
「はは。そうでもしないと欲しいものが手に入らないので」
 厄介な相手だ。何を言っても自分の意思を曲げない。
 食事はまだ途中だけれども諦めよう。今は腹を満たすことより逃げること。
 トレイに手を掛けるとそれを阻止するように手が重なる。
「食事はしないとダメですよ」
「邪魔をしているのはお前だろう」
「そうですね」
 手が離れて、食べてくださいと目線が向けられた。
 食堂は日替わり定食しかなく、保温ケースに入っているおかずをとり、温かいご飯とみそ汁を受け取る。
 家庭的な味で飽きないし美味い。しかも値段が安いのだ。
 会社の近くには飲食店は多くあるが食堂を多くの人が利用するのはそのためだ。
「ここの定食、美味しいですよね」
「あぁ。唯一の楽しみだ」
 食事など腹にたまればそれでいいと思っていた。新入社員は一週間、食堂を利用するようにということになり、本当は一人になりたかったが無料だからと我慢することにした。
 だけどはじめて定食を食べた時、食べなれた味だなと気持ちがホワっと温まった。
 それからずっとこの食堂を利用している。
「へぇ、文辻さんの楽しみなんですね」
 豊来がにこにことしながらこちらを見ている。
「ひとつ知っちゃいましたね」
「知らなくていい。後、一緒にくうのは今日だけだからな。俺は俺のペースで食いたいし」
「はい。おとなしく食べる姿を眺めてますね」
「だから、そうじゃなくて」
 どうして邪魔するなと遠回しに言っているのに気が付かないのだろう。絶対に解っていて別の言葉を返しているのだろう。
「ふ、この鳥と大根の煮たやつ美味しいですね」
 顔をほころばせて大根を頬張る。大口で食べるんだなと眺めていると、そのことに驚いて視線をおかずへと向けた。
 どうして見ていたんだろうか。意外だったから? 所作が美しそうなとか勝手に思い込んだからか。
「俺、好きなものは口いっぱいに入れたくなるんですよ」
「頬袋」
 リスが木の実を口いっぱいに入れている姿が頭の中に浮かぶ。
 突っついたらどんな感じだろうかとやってみた。
「ちょ」
 もごもごと口の中を動かし、ごくりと喉が鳴る。
「食べてるときに突っついたら口から出てしまいます」
「あ、悪い」
 いつもの仕返しと悪戯してみたが、冷静になればその通りだった。
「でも、悪戯は大歓迎ですから。別のことにしてください」
 悪戯をされて喜ぶのならやりたくない。
 若干引きつつ、食事を再開する。
「あれ、失敗してしまいましたね」
 眉が下がる。しょんぼりとするわんこのように見えてきた。
 なぜだろう、罪悪感がある。
 気まずいがどうしればいいのか解らないので見ないふりをして食事に集中する。
 どうにかご飯を腹に詰め込みトレイを持ち上げると豊来も席を立つ。
「お勧めの小説、教えてくださいね」
 先ほどのこともあるからか、「わかった」と返事をしていた。

 この前のこともあるから警戒はしている。だけど食堂から真っすぐに文辻のデスクへと向かったし、小説のことも聞いてきた。
「そうだな」
 いくつかタイトルを言うといくつかは既に読んだことのある作品だという。
「あれ、面白いですよね。敵キャラも憎めなくて」
「そうなんだよ。彼らを主役にして話を書いてほしいくらいだ」
 気に入っている作品だからか話が盛り上がる。あっという間に昼休みが終わってしまった。
 こういう過ごし方ならお勧めの本の話をするのも悪くない。まだ話し足りないくらいだ。
「もう時間だな」
「楽しかったですね。また話をしたいです」
「そうだな。好きな作品の話しは楽しいし」
 そう告げると豊来が嬉しそうに目を細めて、
「またお昼をご一緒しましょう」
 と豊来の指先が手の甲へと触れた。
 どさくさに紛れて触るとは。あわてて手を引っ込める。
「たまにならいいぞ。あと、触るな」
「ん-、できるだけ我慢します」
 豊来の顔を見るが無理そうだ。
「そろそろ昼休みが終わるから戻れよ」
「そうですね。それではまた」
 席を立ち微笑む。自分なんかに向けるのは勿体ない。
 それには顔を背けて追い払うように手を動かす。
 そして深くため息をついた。