Short Story

後輩に迫られました

 昼休みは自分のペースで食事をしたり食後を過ごしたりしたい。文辻《ふみつじ》が昼休憩に一人で過ごすのはそういう理由があってのことだ。
 今日も食事の後は自分のデスクで本を読むつもりだった。飲み物はドリップバッグコーヒー。いつでも飲めるようにマグカップは会社に置いてあるしお湯は自由に使えるからだ。
「文辻さん、何を読んでいるんですか?」
 誰かが何かをたずねている。
 名前を呼ばれた気がするが気のせいだろうと、返事をすることなく読み続ける。
「あれ、聞こえてないかな。文辻さん」
 また名を呼ばれる。同じ名字の人はいないはずだなと本から視線を外して声を変えてきた相手を見た。
「あ、やっと気が付いた」
 顔が近いことにまず驚いた。そして声の主が豊来《ほうらい》だと知り目を瞬かせる。
「いつも食事の後に本を読んでいるでしょう? ずっと気になっていて」
 本を指さして眩いばかりの笑みを浮かべる。
 誰に対しても愛想が良く、しかも顔面偏差値が高い。しかもそれだけではない。高身長で営業成績は常に上位。
 仕事もできてコミュニケーション能力も高い男を女子は放っておかない。
 自分とは真逆の人間。身長だけは文辻も同じくらいはある。少しだけ負けてはいるが。
 いつも誰かに囲まれている、そんなイメージである彼がここにいることが不思議でならない。
「領収書?」
 経理部である文辻の仕事なので忙しい社員は昼休みに渡しにくることがある。
「いいえ。昼休憩の時間帯ですから後で届けに来ます」
「あぁ、そうなんだ」
 それなら何故ここに来た?
 理解ができずに困惑する文辻に、豊来は本を指さした。
「そうだった、何を読んでいるかだったな」
 彼は確かにそう言っていた。仕事以外で話をしたことがないからどうも頭の中にはいってこなかったようだ。
 いつも書籍を買う時はカバーをかけてもらう。それを外して彼に見せた。
「この作品、映画化されましたよね」
 海外作家のハイファンタジーで、二巻まで映画化されている。
「もういいだろう」
 評価通りに面白い本で早く続きを読みたいのもあるが、仕事以外で話したことのない相手に対して会話を続けるなんてコミュニケーション能力は持ち合わせていない。
 話したくないということを感じただろうに、それでも彼は立ち去ろうとせず、
「面白いですか」
 会話を続けようとする。
「面白いよ。だから続きが読みたいのだけど」
「俺も読んでみたいです。読み終えたら貸していただけませんか?」
「えっ」
 冗談じゃない。
 気持ちが表情として露骨に顔にでてしまっただろう。
「ダメ、ですか」
「いや、だって、仕事の話以外にしたことないし」
 そんな相手に何かを借りようとか普通は思わないだろうに。
「だからです。俺たちはただの同僚でしかありません。距離を縮めるには切っ掛けが必要ですよね」
 自分にはとても真似できない。
「すごいな豊来って」
「ふふ、褒められました」
「ある意味でな。でも俺に対しては必要ない」
 話す切っ掛けなどいらないからだ。
「貸してもいいが、翻訳されていないぞ」
 それでも読むのかと意地悪く言ってみる。
「あ……なるほど」
 断るために嘘をついていると思われたか。別にそれでも構わない。
 本を手に席を立つ。
「文辻さん」
「そういうことだから」
 そういうと彼を残してデスクを離れた。
 さて、一人になれる場所は何処か。外のベンチは女子が使っているし、トイレで読むわけにはいかない。
 本を読むのはあきらめて用がないけれどコンビニでも行こうか。
 スマートフォンはポケットの中に……ない。
 ズボンのポケットに触れてみたがないも入っていない。残念ながら反対側もだ。
「はぁ、最悪」
 デスクの上に置いたままだ。取りに戻って顔を合わせるのは嫌だ。
 でも文辻がいないのにいつまでもいるだろうか。自分のデスクに戻っているかもしれないと考え直す。
 どちらにかけるかと悩んでいる所に、
「文辻さん」
 声を掛けられてビクッとする。
「な、豊来」
 周りを見ていなかった。だから側に人がいたことに気が付かなかった。
「驚かせてすみません。スマホを忘れていったようだったので」
 スマートフォンがないと不便だろうと、彼のやさしさなのだろう。
 彼から逃げてきたというのに、結局は顔を合わせることになってしまった。
「どうも」
 スマートフォンを受け取るとポケットの中へとしまった。
「連絡先を交換してくれませんか?」
 スマートフォンを指さして笑う。優しくて素敵と彼に好意を持つものなら思うだろうが、苦手だと思うやつもいるということを知った方がいい。
「うわぁ、嫌そうですね」
 見ただけで解るような表情を浮かべ、それが通じたようだ。
「そうですよね。俺のこと苦手なようですし」
 やっと解ってくれたようだ。
 これで距離を縮めたいとか思わないくなるだろう。
「そういうことだ」
 やっと本の続きが読めそうだ。
 だけど足が止まる。いや、豊来によって止められてしまったのだ。
「別にいいですよ。お互いの連絡先は交換しておきましたから」
「はぁ!?」
 ポケットからスマートフォンを取り出し画面を開く。
 アドレス帳の登録件数は少なく、すぐに彼の名前を見つけることができた。
「な、なんで」
 スマートフォンはロックをしておいたハズだ。
「誕生日で開きましたよ」
「くぅっ」
 簡単なのがいいと誕生日にしてしまった自分を恨む。
「俺の連絡先をブロック、連絡を無視する、削除する、どれかひとつ行いましたらキスします」
 ちょんと、豊来の指先が文辻の唇へと触れた。
「へ?」
 キス、kiss、鱚?
 天ぷらにすると美味いよなとか現実逃避をしてみるが、彼の言うキスはアレのことだろう。
 文辻だけでなく豊来にもダメージしかないと思う。
「誰得だよ、それ!」
「俺得ですけど? 連絡先を知れたし、あわよくばキスもできるんですから」
 スマートフォンに口づけてウィンクする。その仕草が様になっていてムカつく。
「勝手に連絡先を交換するとかありえないから」
 アドレス帳から削除し、その画面を相手に見せた。
 どうせキスするというのも脅しでしかないだろう。こんなに冴えない男にするなんてありえないから。
「なんだ、文辻さん俺とキスしたかったんですね」
 口角を上げて目を細める。
 少し意地悪そうな、そんな表情。そういう顔もできるなんて、ますます女性にモテそうだ。
「おや、逃げないなんて、本当にそうだった……」
 俺とキスしたかったとか言っていたくせに、やはり本気ではなかったようだ。
「するつもりなんてないんだろう?」
 結局、昼休みは豊来に邪魔されたなと、デスクに戻ろうとしたが……気が付いてしまった。
 そう思っていたのは自分だけだったのだと。
 豊来が立ちはだかり壁に両手をついていたからだ。
「えっと、俺はそろそろ自分の席に戻りたいのだけど」
「俺、言いましたよね」
 そう言葉を切ると顔を近づける。
 キスします。
 彼の言葉が頭をよぎり反射的に顔をそむけた。
「解っているじゃないですか」
 顎をつかまれ豊来の方へと向けられてしまう。
「お前が勝手に決めたことだ。俺がそれに応える理由はない」
 ヤケクソでそう口にすれば、豊来はニヤニヤとしている。
「いいですね。少し前までは俺のことなんて相手にもしてくれなかったのに。今は目を合わせて話をしてくれるのだから」
 顎をつかまれて顔を向かされているのだから当たり前だ。
 そう言ってやろうと思ったのに声に出せなかった。
 豊来の唇が文辻の唇をふさいでいるから。
「んっ」
 地味で目立たぬ男でも高校生の時に彼女がいたし、キスもした。だからはじめてではないのだが、彼女としたのは唇を重ねただけだ。
 それからずっと彼女はいないしキスをする相手もいなかった。
「は、んぅ」
 こんなに深く、そして蕩けてしまいそうなキスはしたことがない。
 足の力が抜けてがくがくと震えだす。自分を支えきれずに倒れそうになったとき、豊来の腕が背中をささえ引き寄せられた。
「ん、もう、らめぇ」
 舌まで回らず、ふにゃふにゃな声だ。
「大丈夫です、俺が、ささえます」
 キスをして、話をして、またキスをして。
 舌でなぞられて、とうとう下半身がじんじんと痺れだした。
「やっ、これ以上は」
 このまま続けてしまったら、きっとたってしまう。
「あぁ、俺はもうたってますよ」
 下半身のものにかたいモノがあたる。
 それは豊来のモノであり、ズボンが張りつめていた。
「うそだろ……」
 あの豊来が、文辻とのキスでこうなったというのか。
「想像以上に可愛いから」
「かわ、おま、なにをっ」
 聞きなれない言葉に、あたふたとしてしまった。
 どこを見てその言葉が出てくるのか。
「頬が真っ赤で可愛いです」
 つん、と頬を突かれて、それを払い落した。
「ふざけんな! イケメンだからって何をしても許されると思うなよ」
 営業のエースだとか、容姿がいいとか、周りからちやほやされて調子に乗っているから文辻のような地味で冴えない男を揶揄って笑いものにしているのだろう。
「え、文辻さん、俺のとイケメンだと思ってくれているんですか。嬉しいなぁ」
 ニヤニヤとした顔を近づけてきて、誰からもそう思われるのだと自慢しているようで腹が立つ。
「皆がお前の顔を好きだと思ったら大間違いだ」
 それにエロくなるキスなんぞしたことないから反応してしまっただけ。
 トイレで抜いてこないといけない。
「お互いのを抜きあいませんか?」
 と手で擦るような動きを見せる豊来に、文辻は冷ややかな目を向けた。
「はぁ? やるわけねぇだろうが」
 豊来のアレまで立派だったら惨めな気分になりそうだ。
 性に自由な男が豊来と同じ営業部にいたことを思い出してため息が漏れる。
 教育係でもあったから似てしまったのだろう。全て彼が悪いと同期の男に心の中で文句を言う。
 自分の中で処理仕切れないことは、この場所にいない男のせいにしておく。
「残念です。トイレの前で処理するの聞いていても……」
「は、変態め。お前のおかげで萎えたわ」
 しゅんとしている自分のに対して豊来の方は張りつめたままだ。
「一人で抜け」
 下半身のモノを指さしデスクへと戻る。
 あのモテ男が一人寂しく抜いている。それも自分が原因でだ。
 自分に自信がありそうな男だけに上手くいくと思っていただろう。だがそう簡単にはいかないということだ。
 それにしても性に対して自由な男だ。
 同性にもモテるとか、どちらにもモテない文辻からしてみたら嫌味でしかない。