Short Story

待ち伏せ

 あの日から着信拒否をしている。
 ただし会いたいと思えば待ち伏せをするなり、卒業生だからと学校に来ればいい。
 だが二週間、二十日、一カ月と過ぎているが顔を見せることはなかった。
 浅木のやさしさに付け込み、家庭を壊してしまったらと思うと怖い。
 可愛い大和のことを思うとこれでよかったのだと、胸の痛みを無視することができた。

 ホームルームを終えて教室を出ると廊下には生徒の姿があり、教室の前で待ち合わせをしているのかスマートフォンを眺めながら立っている。
 桧山に声をかけてくる生徒もいて、気を付けて帰れとか部活がんばれとか言葉を返し、職員室に入り自分のデスクへと向かう。
 職員会議の後、毎週金曜日は歴史部の顧問として部室へと向かう。その準備をしていると林田が声をかけてきた。
「校門の所に小さな子が立っているんですよね。生徒の兄弟か、それとも迷子でしょうかね」
 ここから小学校は近い。まさかと思い窓から外を眺める。
 はっきりとはしないが大和かもしれない。
 前に小学校の近くの高校で先生をしていると話したから覚えていたのだろう。
「俺、行ってきますね」
 彼のもとへ向かおうとする林田を引きとめる。
「待って。知り合いの子かもしれないから俺が行くよ」
「そうなんですね。それじゃ、よろしくしくお願いします」
 職員室を出て校門へと向かっていくと、遠くから見たときよりはっきりとして大和だとわかる。
 立っていたのを気にしてか、女子生徒が彼に話しかけていて、先生に会いに来たことを伝えていた。
「その子、俺の知り合いだ」
 女子に声を掛けると、三人の声が「先生」と重なり合う。
「ありがとうな、気にかけてくれて」
 そう女子にいうと、二人はさようならと言って帰っていった。
「大和君、どうして一人で来たの?」
 いや、ふたりで来られても桧山が困るだけなのだが、小さな子が一人で待つことを考えたらそちらのほうがいい。
「キョウちゃんがせんせいにあいにいっちゃだめだって」
 京ちゃんとは浅木の名前。父親のことを名前で呼ぶ子供はまれにいるが、それよりも会いに来てはダメだと大和に言っていたことにショックを受けていた。
 そう望んで逃げていたというのに、本人の口から、また聞きではあるが、そう言っていたと知るなんて。
「そうか」
「いっしょにいるとたのしそうだったのに、なんで?」
「楽しそうだった……?」
 仕事があり家族がいる。守るべきものができて、すっかりと落ち着いていた。
 笑顔を見せるようになったのもそれがあってのことだろう、そう思っていたから。
「このごろのきょうちゃん、こわいかおのときがあるんだ。せんせいとケンカしちゃったのかなって」
 家族のためにも自分は側にいない方がいい。だけどそれを大和に伝えることはできない。
 どうしてと訊ねられても答えることができないのだから。
「ケンカをしたわけじゃないよ。大和君はお父さんが好きでしょう」
「せんせい、きょうちゃんはとうちゃんじゃないよ」
「父親ではない?」
 目元がソックリだから父親であると思っていた。
「え、大和君と京は……」
「えっと、かぁちゃんのおとうと」
 浅木に姉がいることは知らなかった。彼の口から家族の話はあまり聞いたことがなかったからだ。
「そうなんだ」
 勘違いをしていた羞恥心と結婚をしていなかったということに喜ぶ自分がいる。
「ずっと勘違いをしていたよ」
 家族がいるのだから一線引いていた方がいい、そう思っていたから。
「せんせいもかよ! ほかのひとにもおやこだっていわれるんだよな」
「だって目元がそっくり」
「かぁちゃんときょうちゃんもにてるよ」
 まだ見たことのない大和の母親を想像してみる。浅木の母親もつり目の美人だ。きっと彼女に似ているのだろう。
「そうか」
「あー! はなしがかわっちゃったじゃん」
 だからね、と話を戻そうとする大和に、ごめんと謝る。
「ねぇ、きょうちゃんにあいにいってくれる? そうしたらおれもせんせいとあっていいよってなるからさ」
 浅木に会いに行く。
 そうだ、あのキスは桧山を落ち着かせるための行為だったし、大和とは甥と叔父なのだから。それに本音を言えば浅木をさけていた間は辛かった。
 だけど真実を知ったからといって避けていたのに都合よすぎではないだろうか。
「あ……」
 返事に言葉を詰まらせていると、
「先生、そろそろ部活の時間ですよ」
 背後から声を掛けられて振り向いた。そこに立っていたのは林田だ。
「大和君、部活があって戻らないといけないんだ」
 話を終えるのにタイミングが良かった。
「気を付けて帰るんだよ」
 少しだけ寄り道をしているが、ここから真っすぐ歩いていけば小学生も使う通学路へとでる。
 まだこの時間なら子供たちを見守るボランティアの方々がいるので大丈夫だろう。
 林田と共に学校へと戻ろうとするが小さな手が指を握りしめた。
「大和君!?」
「きょうちゃんにあって」
 じっと桧山を見あげるその目は、会うという答え以外は求めていなそうだ。
「わかった。時間ができたら飲みに行くよ」
 そう答えて、今度こそ気を付けて帰りなさいと大和を送り出した。
「林田先生、何か聞きたそうだな」
 いつまでも話をしていたから気になって様子を見に来たのだろう。
「え、桧山先生の隠し子って噂をしてましたよ」
「どうしてそうなるんだ」
 想像力がたくましい。
 まさかそれを聞いてここまで来たのではないだろうか。
「これ以上、噂になるのもあれかと思いまして」
「そうだな。格好の餌食でしかないか」
 明日が休みでよかった。容姿が優れているわけでもなく人気のある教師ではないから噂もすぐ消えるだろう。
「桧山先生、あの子は」
「俺の大切な……彼の甥だ」
 恋愛対象が男だということを林田に話したことがある。彼も同じであったから。
「そっか、うん、桧山先生にそう思える人ができたなんて」
 恋らしい恋など十年間したことがない。あまりに話題にならないからか、恋愛に興味を失ってしまった、そう思われていたかもしれない。
「十年、俺の中から完全に消えてはくれなかった」
「もしかして……」
 何かを思い出したような表情だ。一度だけ、あまりに苦しくて吐露してしまったことがある。
「覚えていたのか」
「俺が昼休みに先生の所へ通うようになった時に言いましたよね」
 林田との出会いは彼が一年の時に担当教師として歴史を教えていた。
 とくに話しかけてくることなどなかったのに、二学期に入ると昼休みにふらりとやってくる。
 浅木のことがあったから、授業を淡々とこなす日々を送っていた。
 だから驚いた。この頃つまらなそうだと言われたことに。
 その時に林田が歴史が好きであること、授業を楽しみにしていることを聞いた。
 そしていつも楽しそうに授業しているのに、二学期に入ってからつまらなそうだと。
 歴史を教えるのが好きだ。それなのに大勢の生徒よりも一人を選んでいる。
 それを見透かされたような気がして、つい、話してしまったのだ。
「その人だから、桧山先生が楽しそうにしていたんですね」
 前にスマホで、と付け加える。
「あぁ、そうだ。家庭を持っていると思っていたから、線を引いておかなくてはと」
「そうではなかったということですか?」
「目元がよく似ていたから子供かなと。大和君、あ、先ほどの子の名前なんだが、彼曰く、よく親子かと勘違いされるそうだ」
「諦めようとしていたところに叔父と甥だと解って、ひとまず安心したってところですか」
 図星だ。あんなに悩んでいたのに、真実を知り安堵しているのだから。
 それが表情に出てしまったか、林田がニヤニヤとしながら見ている。
「なるほど。桧山先生、部活が終わったら彼に会いに行きましょう」
「ん、んん?」
 目をぱちくりとさせて林田を見る。
「なぜ、君も一緒に会いに行くのかな」
「桧山先生をこんなふうにさせる男が気になるんです」
 首を突っ込んでくるようなタイプではなかったはず。それともそう思い込んでいただけだろうか。
「もしかして楽しんでいるのか」
「はい。俺、思った以上に浮かれてます。もう、桧山先生の辛い顔を見るのは嫌なんです」
 そうだった。彼はこういう子だ。
 だから、桧山が浅木のことで辛かった時に側にいてくれたのだ。
「本当、いい子だな林田は」
 生徒だった頃のようにそう呼ぶと、目を細めて懐かしいと呟く。
「ひー先生、笑っている顔の方が好きだよ」
「ふっ、ありがとう」
 少しだけ身長の高い彼の頭を撫でる。
 嫌がったり子ども扱いをするなとか言わないで受け入れてくれる。
「桧山先生、相手の人に飲みに行こうと約束を取り付けてくださいね」
 先に行ってますねと足早に去っていく。
「大和君と約束したしな」
 そうわざわざ口にしたのは、自分に対する言い訳だ。
 先のことなど考えず、ただ、浅木に会いたい。
 久しぶりにメッセージアプリを開く。着信拒否を解除し、店へ行くとだけ書いてメッセージを送るとすぐに既読になり、可愛い猫のイラストと待ってるよという文字の書かれたスタンプがかえってくる。
 約束をしてしまった。これで逃げ道はなくなった。