Short Story

心に火がつく

 思い出はいつも桧山を苦しめる。
 涙を流すことはなくなったが、痛みは変わることなく突き刺さる。
 アルバムを閉じて棚へとしまうとキッチンへと向かう。
 落ち込んだ日には酒を飲んで寝る。それだけは十年間変わらない。
 ただ、浅木の作ってくれたカクテルは美味しかったと焼酎の水割りを眺めながら彼のことを思っている。
 未練がましいが胸のざわつきは当分おさまらないだろう。
 スマートフォンには交換した連絡先がある。
 自分からは掛けるつもりはない。
 それを眺めていると通知音が鳴り、浅木の名が画面に表示された。
「浅木……」
 また店に来てくださいという文字と大和の写真で絵を持っている。
「あ、もしかして俺かな」
 画用紙に描かれているのは大きな顔と小さな顔。その中の一つに眼鏡が描かれていて、手に赤いペンを持っていた。
「やばい、嬉しいかも」
 小さな顔は大和、そして瓶を持っているのは浅木だろう。
 親子の絵ではなく、そこに自分が描かれている。それだけで落ち込んだ気持ちが浮上した。
 絵のお礼を送ると、すぐに返事がきて、プレゼントしたいから取りに来てほしいと書かれていた。
「そうきたか」
 断りにくい理由を作り店に来させるつもりなのだ。
「どこで覚えたんだよ」
 記憶を失う前の彼は真っすぐに向かってくることしかしなかったのに。
 返事をしてスマートフォンをテーブルの上へと置く。
 ソファーに横になると瞼の裏にうつるのは思い出の中の浅木だ。
「京、君に会いたいよ」
 燻っていた炎は簡単に燃え上がってしまった。

 浅木の作るカクテルは美味い。
「先生って甘いのとそうでないのとどっちが好きなの?」
 今日もお任せで作ってもらったのだが、先にでてきたのはドライジン、次はカンパリオレンジだ。
「どちらも美味しいけれど、そうだな……今日はカンパリの方がいいな」
 連絡を受けてから店に来れたのは一カ月後だ。
 先生たちが外食に行き、その中の数名が牡蛎に当たってしまい学校にいる時間が多かった。
 しかも部活動の様子も見に行っていたのでいつも以上に仕事量が多く疲れていた。
「疲れているようだな」
「ああ。これを飲んだら帰るよ」
 切り上げるのに丁度いい言い訳だが、予想以上に酒の周りが早かった。
 普段なら酔わない量なのに頭の中がぼーとする。
「先生、大丈夫?」
「平気だ」
 帰ろうと立ち上がったが、足に力が入らずに再び椅子に腰を下ろす格好となる。
「足にきちゃってるね。先生、二階で少し休んでいきなよ」
「いや、帰れるから」
 今度はたちあがれたのでそのまま歩き出そうとするが、ふらふらとしてテーブルに手をついた。
「ほら、やっぱり休んだ方がいいって」
 カウンターから出てきた浅木が腕をとって自分の肩にまわし腰に手を添える。
「浅木」
 その近さに驚き離れようとするが倒れそうになって引き寄せられた。
「危ないって。言うこと聞いてよ」
 浅木の匂いが酒以上に桧山を酔わせる。
「わかった。だから」
 離れて。
 そう呟くと浅木の距離が少しだけ遠のいた。
 彼の部屋へと行くのは二度目だ。中に入ると大和の姿はなかった。
「あれ、大和君は?」
「菫《すみれ》、あ、大和の母親が迎えに来て連れて行ったんだろ」
 いつか彼の口から名を聞く時がくるとは思っていたが、実際に耳にしたら胸が押しつぶされたかのように苦しい。
「そう、なんだ」
 息が上がってしまうのを押さえようと胸に手を当てるが、どうにもならずに荒くなる。
「先生、どうした」
「なんでもない、なんでも……」
 また嫌な感情を味わうことになるなんて。それを拒否するように桧山は何度も何度も首を横に振るった。
「落ち着けって」
 いきなりおかしくなった。浅木にはそう見えただろう。体を強く抱きしめて子供をあやすように背中をリズムよく叩く。
 それが余計にくる。その腕から逃れようと身をよじった。
「離せ!」
 やはり浅木のそばにいるべきではない。
 このままでは自分はもっとおかしくなってしまうだろう。
 それなのに浅木は桧山を強く抱きしめたままで、顔を上にあげると目と目がぶつかりあった。
 しかもそれだけではない。唇もだ。
「あさ、んっ」
 教師と生徒でいる間はとキスすらしていない。欲しがってくれたがそれを許さなかった。
 それなのにこうも簡単に彼は唇を奪い執拗にかき回して乱す。
 もしも、浅木が記憶を失わなかったら。卒業式の後にキスをしていただろう。
 ずっとしたくてたまらなかった、きっと忘れられないものになったはずだ。
「やめろ!」
 力いっぱい浅木の胸を押すと唇が離れていった。
「落ち着いたかよ」
「あぁ」
 キスしてほしい相手は同じなのに。目の前にいる浅木は別人だ。思い出を汚された気持ちとなり、唇を手の甲で拭い浅木を睨んだ。
「お前は、酔った客、しかも男に手を出すのか」
「は? 性別関係なくそんなことする訳ねぇだろ。衝撃を与えりゃ落ち着くかなって」
「そうだな。かなり驚いた」
 浅木の言葉に気持ちが一気に冷めた。
「タクシーを呼んでくれ。帰るから」
「泊っていけばいいよ」
 ふたりの関係は元教え子と教師というだけ。ふたりきりになったところでどうということはない。
 きっと浅木はそんな程度のことなのだろうが桧山にとっては違う。
「浅木、俺の恋愛対象は男だ。それでも泊めてくれるのか?」
 実際は浅木以外にいい雰囲気になったのは女性しかいない。ただ、長く続かなかった。
 意味ありげにネクタイを取り外すと、浅木の足が後ろへと一歩下がる。
 これでいい。二度と店にこいとも言わなくなるだろう。
 外したネクタイはポケットの中に突っ込み、浅木の脇をすり抜けて店とは逆にある玄関へと向かうがそれ以上は先に進めなかった。
 背中に感じる人の体温、そしてドライな香り。
 抱きしめられていることが信じられなくて、浅木の方へと顔を向けた。
「俺が言ったこと、わかっているのか!」
「あぁ。俺はどっちもいける」
 そうではない。それにどちらとも経験済だということにショックを受けていた。
 彼はもう高校生ではない。誰かとそうなることもありうるだろう。
「俺のこと、抱けるというのか?」
「もちろん。だから泊っていけよ」
 再び唇を奪われ、浅木の腕に抱きしめられた。
 本当に、このままだくつもりなのか。手慣れた様子でシャツのボタンを外してキスを落としていく。
 家族がいるのに、そう思ったら浅木のことをおもいきりつき飛ばしていた。
「あ……」
「やっぱり。先生無理じゃん」
 そのまま桧山の頭を抱きかかえてベッドへとダイブする。
「浅木っ」
「ほら、落ち着くまでこうしているから」
 トントンとリズムよく叩く。
 もしも桧山が求めていたら桧山が望むものを与えていたかもしれない。
 だめだ。彼には自分よりも大切にしなくてはいけないものがあるのだから巻き込んではいけない。
「浅木、もう大丈夫だ」
 暖かな腕の中と規則正しいリズムが、考えることを放棄させようとする。
「いいから。俺に甘えて」
 耳元に愛した男の声。
 抗いたいのに体はいうことを聞かない。
「あさき」
「なに、先生?」
「おれの……」
 京。

 目が覚めると彼の姿はなく、時計の針は十一時を指していた。
 テーブルの上には水とメモがあり、部屋の物は自由につかってと書いてある。
「やさしいな、浅木は」
 だがこれ以上は彼のやさしさに付け込むようなことをしてはいけない。
 浅木には妻と子がいるのだ。桧山に対して向けるべきではない。
「さようなら」
 だからもう二度と会わない。水代を置くと部屋を出て行った。