Short Story

酔った、あくる日

 寝起きでぼんやりとしたままベッドから起き上がると鋭い痛みが走る。途中から記憶がない。頭痛と共によみがえるのはバーで酒を飲んでいたことだ。
 やらかした。元教え子の店で酔って意識をなくすなんて。
 頭を押さえながら体を起こして立ち上がる。大きなベッドだ。しかもこの匂いには覚えがある。
「浅木の香水」
 学生の頃は気にもしなかったのに。ドライな香りに包まれて枕にうつぶせになると、何をしているのかとあわてて身を起こした。
「あぁ、俺のバカ……いてて」
 額に拳をあてた途端に二日酔いの頭痛が襲いベッドに腰を下ろした。
 自分の知らない姿に心がざわついた。それもあってか、ペースを乱すような飲み方をしてしまった。
 体育座りをしながら膝に額をつけていると、小さくドアの開く音が聞こえて顔を上げてそちらを見る。
「先生、起きたようだな」
 浅木が顔を覗かせる。店では片方だけ目のあたりに髪がかかっているのだがそれをヘアピンでとめて、紺色のエプロンを身に着けていた。店での彼とは違い愛らしさを感じる姿だ。
 かわいい、そう口から出そうになり飲み込む。
「すまんな。酔っぱらって面倒をかけるなんて」
「匂いをめちゃくちゃ嗅がれた」
 そんなことをしていたとは。だからやたらと匂いに覚えがあったのだろう。
「重ね重ねお詫び申し上げます」
 そう言いながら頭を下げると浅木がくすくすと笑う。
「大げさだなぁ。それよりも二日酔いはないか?」
 そう聞かれたので大丈夫だと答えたが喉はからからに乾いている。
「浅木、水を貰えないだろうか」
「わかった。リビングのソファーに座っていて」
「ああ」
 浅木と共にリビングへと向かい、ソファーに腰を下ろす。
 冷蔵庫が開く音。そして首にひやりとした感触に驚いて声を上げた。
「ひゃぁ」
「ははは、すげぇ高い声でたよな、今」
 腹を抱えて笑う浅木に、また思い出がよみがえる。
 夏の暑い日のことだ。学校を抜け出してコンビニでアイスを買ってきて、桧山の首にくっつけたことがあった。
 あの時も驚いて声が裏返った。
「浅木ぃ」
「悪かったって。なぁ、交通事故にあって記憶喪失になる前の俺のことを教えてよ」
「え」
 高校生の時の浅木のこと。頭の中に思い出される数々の出来事。
 忘れたい、でも忘れられない、今でも桧山を縛り付けて放さない。
「クラスメイトから聞いているだろう?」
「まぁ。俺がヤンキーでクラスの奴らに怖がれていたって。でも話してみたらそうでもなかったと言われた」
「それが真実だ」
「もっと別の何かがあったんじゃねぇのかなって。ここら辺がもやもやするんだよ」
 ぎゅっとシャツを掴み辛そうな表情を浮かべる。
 その表情をみると桧山も辛い。だが彼には悪いが思い出さない方がいいこともある。
「俺はさ、教師目線でしか言えないから」
「そうだろうけどさ……」
 シャツを掴んだまま項垂れる姿を見ると本気で知りたがっているのだろうと伝わってくる。
「なぁ、いつからなんだ、もやもやとしだしたのは」
「あ? アルバムを見てからかな」
 手を動かして雲のようなものを描く。
「そうか。俺がお前の担任になったのは三年の時だしな。担当も一年しかなかった」
 だからよくわからない、そう聞こえるように話す。
「でもさ、先生といると妙に懐かしい気持ちになるんだよな。もっと長い間一緒にいたような、そんなかんじ?」
 自分でもわからない様子で、その言葉を聞いて一瞬、頭の中が真っ白になった。
 浅木の中で桧山と過ごしたの時間は少ないはずだ。
「アルバムを見るまで忘れていたのにな」
「そうだろう」
 それだけの年数がたったのだ。だから気のせいだと肩に手を置いた。
「でもさ、久しぶりに会って、ビビッときたんだよ」
「ビビッと、て。何を言い出す……」
「なぁ、俺らって仲が良かったんじゃねぇ? 一緒に笑いあえるくらいには」
 顔を近づけてきて桧山は顔をそむけた。
「ないな」
 目を合わせたらばれてしまうのではないか。顔をそむけたままでいると頬を浅木の手が挟む。
「先生がさ、目を見て話さないのってどうかと思います」
 そして強引に顔を浅木の方へと向けられた。
「あっ」
「俺さ、よほど酷かったのか? 先生が何も言えないほどに」
 確かにそうとらえるだろう。言えないほど悪いことはしていない。ただ聞いても面白くはないだろうから言わない。
「まぁ、そんなところだ」
 勘違いをしているのなら都合がいいので話を合わせる。
「えー、逆に気になるんだけど」
 どれだけ悪だったんだよとぼやきながら頬を挟んでいた手が離れた。
「いいじゃないか。今は充実しているのだろう?」
「まぁ、な。店があるし大和もいるし」
 そうだ。大和がいるのだから昔のことなど思い出さない方がいい。
「でもさ、先生とはまた会いたい。だから飲みに来てよ」
 こないと学校に迎えに行くからと付け加える浅木に、行くからそれはやめてと口にする。
「そろそろ帰るな」
 ソファーから立ち上がり玄関へと向かうと、改めて世話になったと礼を言い玄関のドアを開く。
「またね」
 そう声を掛けられたが黙ってドアを閉じた。

 部屋に入り財布とスマートフォンをテーブルの上に置き本棚へと向かう。
 並べられているのは高校の教師になってから卒業アルバムだ。担任でなかったころの分もあるので十冊以上はある。
 その中の一つ、浅木との思い出が残るアルバムを取り出してページを開く。ただ懐かしいとアルバムのページをめくるだけならよかった。
 浅木には三年の二学期以前の思い出は、彼の身に起きたことに奪い去られた。
 アルバム用に行事ごとに撮る集合写真。その中の一人、目立つ頭の色の愛想のない顔を指で撫でる。
 浅木が二年の時に体育祭で優勝した時の一枚。記憶を失う前の彼だ。皆が笑顔だというのに一人だけ目つきが悪い。
 人前での彼はこんなので、浅木の中での彼の姿だ。店でシェイカーをふるい愛想よくしている姿は知らない人となっていた。