Short Story

犬は怜悧な男に囚われる

 風俗へ行き、やっぱりやるなら女だと実感できた。沢城と交わしたキスよりもなん十倍も気持ちよくなれたからだ。
 それを確認できたことで辰は機嫌がよかった。
「随分とご機嫌ですね」
 その声にぎくりとする。振り返りたくない。そこにいるのは辰が苦手な相手だから。
「挨拶は?」
 そういわれて嫌々ながらも振り返った。
「……お疲れ様です、沢城さん」
 頭を下げると沢城の革靴以外にもう一つ。顔を上げれば喜久田の姿がある。
「カシラ」
 喜久田も一緒なら話は別だ。再び気持ちが上がる。
「おう、今日も可愛いな、辰は」
 イイコ、イイコと頭や頬を撫でられる。犬扱いされているような気がするが、そうされるのは嫌ではない。
「カシラ、何をしているんですか?」
「あ、うん、つい、な」
 喜久田の手が離れる。別にかまわないのにと名残惜しく感じていたら沢城に睨まれた。
「そうだ、お前、昨日は随分とお楽しみだったそうじゃねぇか」
「はい。やっぱ、女の胸はいいですね」
「おうよ。あのやわらかさがたまんねぇよな」
 胸をもむように手を動かす喜久田に、
「おやおや、カシラだって立派な胸をお持ちじゃないですか。揉んでさしあげましょうか?」
「う、悪かったよ。辰、てめぇは当分、風俗禁止な」
「えぇ、そんなぁ」
 とばっちりだ。一人でいたせというのだろうか。
「カシラ、それだけはどうかお許しください」
「俺じゃなくて沢城に言え」
 それだけは勘弁してほしいと、沢城に手を合わせる。
「流石にそれは可愛そうなのでしませんよ。ただし、今日、お付き合いくださるのなら、ですけどね」
 お付き合いといわれぎくりとする。
「ど、どちらに、ですか?」
 嫌な予感がしてぎくしゃくと尋ねれば、
「バーですよ。香月の」
「え、香月さんの!」
 それは辰にとってあこがれの場所だった。一部の者しか行けぬ場所で、瀬尾ですら行ったことがある。
「行ってみたいのでしょう? 零様からは許可をもらっていますから」
「はい、行きたいです」
 まさかの褒美をもらえるなんて。
「辰、沢城のいうことをちゃんと聞けよ」
「はい」
 今日だけは沢城に対して少しだけ好感をもてた。
「沢城さん、車、回してくるんで」
「いえ、私ので行きましょう。外で待っていてください」
 幹部に運転をさせるとか、車を回させるとかありえないからと沢城の後を追いかける。
「ついてきたんですか」
「俺が運転しますから」
「いいから助手席に乗りなさい」
 と自分はさっさと運転席へと乗ってしまった。
「あ、しょうがねぇよな、これは」
 頭をがしがしとかいたあと、ドアを開いた。
「失礼します」
 おすおずと乗り込む。やたらと姿勢よくなってしまうのは、気が引けるからだ。
 その姿に、沢城はくすっと笑い、
「楽にしなさい」
 と言われるが無理だ。店につくまで背筋を伸ばしたままだったので疲れてしまった。
 車から降りると先に店の前へと行きドアを開いて待つ。
 沢城が入った後に中へと入ると香月がいらっしゃいと微笑んだ。
「どうも香月さん」
 いつみても綺麗な人だ。つい、表情が緩んでしまい、それを沢城に見られてしまった。
 目が合ったのに特になにも言わずに席へと向かう。
「辰君、はじめてだね」
 怪我をして何度か香月の世話になったことがある。ゆえに顔見知りではあるのだが、飲みにきたのははじめてだった。
「ずっと香月さんのところで飲みたいって思ってたんです」
「ふふ、そうなんだ。零からお許しが出てよかったね。沢城さん、何にします?」
「私はいつものを。辰には日本酒をお願いします」
 辰は日本酒か焼酎しか飲まない。一緒に飲んだことがないのに知っていたなんて。誰かから聞いたのだろうか。
 あることないこと吹き込まれていなければいいけれど。
「沢城さん、それ以外に何か吹き込まれてませんよね?」
「ふっ」
 含みのある笑い方だ。きっと聞いているのだろう。
「言っておきますけど、酒癖は悪くないですから」
「え、酒癖が悪いの?」
 香月が頭を傾げてさらさらときれいな髪が流れる。
 相手は男なのについ見惚れてしまう。
「悪くないですよ、全然」
 そんなことはないと手をふるう。
「そう。沢城さん、どうぞ」
「ありがとうございます」
 丸い氷の入ったグラスに注がれる琥珀色の酒。
 あまりに辰がそれを眺めているものだから、
「シングルモルトウィスキーだよ、辰君」
 と香月が教えてくれた。
「そうなんですね」
 名前を聞いてもピンとこない。やはり飲むなら日本酒だなと酒をちびりと舐める。辛口ですっきりとキレがある。
「うまいです」
「よかった。口にあって」
 手が肩に触れて、ふわりと良いにおいがする。
 それにウットリとしかけ、沢城の冷たい視線が目に入る。
 香月はそれだけ綺麗なのだから、こうなるのはしかたがないことだ。
「なんですか」
「いえ、別に。香月、チョコレートをください」
「待っていて。すぐに用意するね」
 甘いもので酒を飲む人はいるが、実際に目にするのははじめてだ。
 若い人たちで飲むときはスルメや枝豆、塩辛などをつまみにする。
 酒とチョコレートとは小洒落やがってと思っていたら、
「チョコレートと一緒に飲むと美味しいよね」
 とチョコレートの入った器を置いた。
「香月さんも好きなんですか?」
「うん、好きだよ」
 沢城とちがい香月ならそれもありだと思っていたら唇が重なった。
「ん」
 チョコレートの甘さとウィスキーの味わいが口に馴染んで溶けていく。
「どうです、美味しいでしょう?」
「美味いですけど……、何、してくれんですか」
 親指で唇を拭うと沢城を睨む。
 この口づけはウィスキーとチョコレートを試すためなのか、それとも香月にデレデレとしているなということか。
「あぁ、この程度でどうこういうつもりじゃないですよね?」
 と返された。
「はぁ、そうですね。たかが唇がくっついたくらいですものね」
 いちいちムカつく男だ。折角の酒の席。不味く飲むのは嫌なので酒で怒りを飲み込んだ。