苦手な男にかまわれる
月日のたつのは早い。喜久田に出会い、組に入って四年。周りからは西藤から辰と呼ばれるようになっていた。
しかも半年前には辰よりも五歳年上の下の者ができた。零(れい)が拾ってきたのが瀬尾(せお)だ。
辰よりも五つ上の下っ端なのだが、零や有働(うどう)、そして喜久田までもが瀬尾のことを可愛がっていて面白くない。
不愛想で何を考えているのかわからない男のどこがいいのだろうか。嫉妬心は瀬尾に対して態度で現れる。
辰以外にも面白くないと思っている若衆はいる。だが、瀬尾に手を出したら零に何をされるかわかったものではない。
「あー、ムカつくっ」
「辰よ、瀬尾は零様の犬だぞ。聞かれたらヤバいぞ」
「でも、ムカつきません? まだ半年なのに、執行部に可愛がられているのって」
「はは。お前だって可愛がってもらっているだろう。沢城さんに」
その名前を聞いた途端、辰の機嫌がさらに悪化する。
沢城は本部長で賢くてしかも男前だ。確か、零の兄と同じ大学を出ていると聞いたことがある。普段は事務所にいて、そこで事務処理をしている。
「やめてくださいよ。その名前は聞きたく……」
「何です?」
背後に気配。辰はそっと後ろを振り返ると、沢城が冷たい目をして見下ろしていた。
身長は辰よりも高く、だが、松原までは大きくない。
「えっとぉ、沢城さんは何センチあるんですか」
誤魔化すようにへらりと笑い、どうでもいいことを口にする。
「177センチでしたか。辰は160センチ台でしたよね」
「170センチあるわっ、ボっ」
ボケと続くはずだった言葉は傍にいた先輩の手に塞がれた。
「あははは、沢城さん、何か用でも」
辰と話をしていた男が訪ね、沢城はわざとらしくそうでしたと口にする。
「瀬尾のことで辰に話しがありましてね」
「わかりました」
塞がれていた手が離れて、男は二人から離れた。
怪我をしたと聞いた時も特にい心配しなかった。負ったものの自己責任だと思っていたからだ。
だが、その怪我は辰のせいだと聞き、助けられたことに腹を立てた。
しかし、その後に零がさらに酷い怪我を負わせたというのだ。流石に落ち着かない。
「瀬尾の怪我、どうなんですか?」
「病院を抜け出して余計な傷を作ったようです。立派に忠犬としての役目を果たしているようでなによりです」
嫌な言い方をする男だ。
瀬尾にとって帰るべき場所は零の元だった。だから怪我をしてでも戻ってきた。
その気持ちはわからなくない。自分だって帰るべき場所はここだから戻りたいと思う。
だから沢城の言い方が気にくわなかった。
「沢城さん、そういう言い方、ねぇんじゃないですか?」
ぎゅっと拳を握りしめ怒りに耐える。
「怪我は自己責任なのでは?」
冷ややかな目で見られ、カッと熱が上がる。
「そうだよっ」
むかついて壁を殴れば、その手をつかまれてひねり上げられた。
「くっ」
普段は部屋で閉じこもっているだけなのに。
「随分と仲間思いなんですね。私に口答えをするなんて」
ぞくっとくるような鋭い目をする。荒くれ者の中にいて舐められないのはこういうところか。
腕が離れ、辰は後ろへと一歩身を引いた。
「すみません」
「こんなところを誰かに見られたら貴方が大変ですよ」
「あー、でも沢城が悪けりゃとがめはしねぇけどな」
誰かが横やりを入れる。ここで沢城を呼び捨てで呼ぶのは零か執行部の人だけだ。
それに声を聴いただけでわかる。その相手が誰なのか。
「喜久田のカシラ」
若頭の喜久田と、その後ろには松原の姿がある。
「で、どうなんだ?」
鋭い視線。優しい顔をして怒ると怖い人だ。礼儀一つで他人に迷惑をかけることになる。
「俺が……」
「カシラ。躾は私の方でしますので」
辰の言葉をさえぎり、沢城がそう口にする。
「そうか。ご愁傷様」
ナムナムと口にし拝むように手を合わせる。
「え、カシラ!?」
不吉でしかない。松原も同情するように辰を見ているから余計にだ。
「あぁ、そうだ、瀬尾の様子は」
「はい。瀬尾は三日間監禁だそうです」
「監禁っ、ぶはっ、そうきたか」
腹を抱えてひーひーと声を上げる。
「さて、カシラ、部屋をお借りしても?」
沢城がちらりと辰を見る。いまから何をされるかとおもうと鳥肌が立つ。
「離れを使え。程々に、な」
「はい。失礼します。辰、行きますよ」
沢城の手が顔面をつかみ引き寄せられた。
手に力がこもる。払いのけたくとも、礼儀がなっていないから怒られたばかりだ。されるがままにそれに耐えていると手が離れた。
「ついてきなさい」
「はい」
そういわれ、俺には用はねぇよと心の中で悪態をつき沢城の後に続いた。
みかじめ料の徴収をするために店を回っているときに若衆の一人に聞いた話だ。
沢城は烏丸と親戚であり、しかも零の兄と同い年で小学から一緒の学校に通いつるんでいたのだという。
家が家だけに中・高と喧嘩三昧。そのまま組に入るかとおもいきや、三年になると喧嘩をやめて勉強をし始めた。
その後は大学に進み、計理士として資格を取ったときいたのだが、ある日、インテリ眼鏡になった戻ってきたそうだ。
零が組を作るからと彼の兄が沢城を呼んだ。本部長として組の事務を任せたいからと。
そのままカタギとして暮らせるのなら、その方がよかったのではないだろうか。辰のように行き場所がないわけではないのだから。
それでもこの世界に足を踏み入れるほどの魅力が零にあったのか、それとも親戚だからだろうか。
「沢城さんはどうしてこの世界に入ったんですか」
煙草をポケットから取り出して一本咥える。辰は素早くポケットからライターを取り出して火をつけた。
「珍しいですね。私のことを聞くなんて」
煙を吐き出して薄笑いを浮かべる。
興味なんてないでしょうと、言われている気がしてしまう。
そう、ただなんとなく気になっただけだ。
「足を踏み入れるだけの魅力が零様に感じたのですよ」
だが、沢城はこたえてくれた。そのことに辰は驚いた。
「なんですか、貴方が聞いてきたから答えてさしあげたのに」
「あ、いやぁ、そうだったんですねぇ」
つい、軽い言い方をしてしまい、沢城の眉間にしわが寄る。
「はぁ、なんでこんなのに振り回されているんでしょうか」
ため息とともにネクタイをほどき床へと落とす。
振り回している気はないのだが、どうやらそう思われたようだ。
思えば躾をするとか言って喜久田から部屋を借りたのだ。殴られてもいいように辰は全身から力を抜いた。
沢城の拳はまだ食らったことがない。結構、力は強いのでそこそこな重さの一撃を食らうかもしれない。
いつでもこいと沢城をまっすぐと見つめれば、近づいたのは拳ではなく柔らかいものだった。
「え?」
驚いて目を見開くと、舌が中へと入りこんだ。
「んっ」
はじめて女とキスをしたのは中学のころだ。つるんでいた仲間の一人で、年上だったこともありリードしてもらった。
ただ、気持ちいいだけのキス。そこに心など一切なかった。
だが、いま沢城としているキスは違う。なぜ、唇を重ねているのかがわからず、彼を突き飛ばした。
「な、にを……!」
唇に手の甲を当てて濡れた唇を拭う。
「ふ、あはははは」
突然笑い出したと思えば、バカにしたような笑みを浮かべた。
もしや、辰を困らせるだけのためにしたことなのだろうか。
「い、なにを、だよ!」
一体何を考えているんだよ!
そういいたいのに、混乱と怒りで言葉にすらならない。
「クソっ」
文句が口に出かかったが必死でそれを飲み込んで、
「失礼しますっ!」
頭を下げて部屋を出ようとするが、腕をつかまれて沢城の方へと引き戻された。
「沢城さん」
「何、勝手に出て行こうとしているんです?」
首にぬるりとした感触。舐められたことに引きつった顔を沢城へと向けた。
「何がしたいんですか」
大人の男が、悪戯にしては趣味が悪すぎる。
「そうですね。今、一番の目的は私のことで頭の中をいっぱいにすることでしょうか」
沢城のことで頭の中をいっぱいに? 考えただけでもそれは嫌だ。
「い、い、い、いやですよぉ」
そんな状況は怖すぎる。怯える辰に、
「おやおや。いつもは睨んでくるくせに怯えているんですか? かわいいですね」
と唇を近づけてきて、またキスをされるのではと顔をそむけた。
「あの、そろそろみかじめ料の徴収に……」
沢城相手に逃げるのは嫌だが、これ以上ここにいたら何をされるかわかったものではない。
「わかりました。これで勘弁してあげましょう」
髪を掴むと引っ張られて顔を上げさせられた。沢城と目が合い、目を細めて辰を見る。
またやられる。そう思った時には沢城に唇を重ねられていた。
「んっ」
やたらとキスが上手い。気持ちの良い場所を知っている舌は辰をトロトロにさせていく。
「ふぁっ」
やばい、これ以上は。
頭の隅ではそう思っているのに、沢城の舌を受け入れてもっと深くまで欲しいと腕を首に回して引き寄せていた。
「ん、素直ですね」
低音の甘い声。それに体が震えて、沢城の手が腰に回り尻に触れたところで我に返った。
「なにしやがるっ」
「何って、受け入れた癖に」
沢城が辰の濡れた唇を撫で、つい、キスにおぼれてしまった自分が恥ずかしくてその手を振り払った。
「貴方、私は貴方より上の立場なの忘れていませんか?」
そうだった。どんなに男としてのプライドを傷つけられようが下っ端は受け入れねばならない。
「申し訳ありません」
悔しさのあまり目尻が熱くなり、涙の感触がある。自分にできることは耐えること、それだけだ。
「ま、いいでしょう」
頬に手が触れて、振り払いたい気持ちをぐっと抑える。
「行きなさい」
やっと解放されてほっとした。これが喧嘩なら絶対に逃げる真似などしないが沢城に対しては別だ。
「失礼します」
沢城の手が離れて、辰は一目散に逃げていく。
まさか自分がそういうことの対象になるなんて思わなかった。
洗面台の鏡の前。どこからどう見ても目つきの悪いただの男だ。
「やっぱからかってんだよなぁ……」
殴ったところで屈することはない。そういう世界で生きているのだから脅しも喧嘩も痛みにも慣れている。
だからああいうことをしてくるのだろう。で、沢城の思い通りになってしまったかもしれない。
「はぁ、これなら殴られた方がマシだっ、くそ」
でも、沢城とのキスは気持ちがよかった。
「先輩方に風俗につれて行ってもらおう」
きっとたまっているからそう感じたのだろう。
女の子の胸に顔を埋めれば、さっきのキスよりも気持ちよくなれるにちがいない。
あれは勘違いだと自分に言い聞かせて先輩の一人に連絡を入れた。