Short Story

運命と居場所

 辰には母親しかいなかった。
 住まいと最低限の食事は与えられたが、荒んだ心は暴力へと向かい、中学にはチームに入り、高校もろくに行かずに喧嘩をする日々だった。
 ある雨の日だ。
 喧嘩をし、何発か食らってしまった。ふらふらになりながら町を歩いていた。
 途中で雨が降り、それを避けるように細い路地へと入っていった。
 そこで目にしたのは、派手なシャツをきた二人組の姿だった。
 体格の良い男たちだ。一人は辰と同じくらいの背だが、もう一人はビルのように大きい。
 二人ともただものではないのだろう。危険な空気をまとっていた。
 はじめて怖いと思った。逃げようとするが足が竦んで動けない。
 背の低い方の男が振り返り、辰と目が合った。
 終わった。
 人など簡単に殺せる、そんな目をしていたからだ。
「おい、お前。さっさといきな」
 手を払う男に、辰は踵を返して逃げようとしたのだが、床に落ちていた瓶に足を取られ派手に転んでしまった。
 しかもそこにはゴミ箱があり、突っ込んでしまったのだ。
「うわぁっ」
「ちゃぁ……、派手にイきやがった」
 男が笑いながら近寄ってくる。
 怖くて怖くて動けない辰に、
「ほら、大丈夫かよ」
 と助け起こしてくれた。
「あ……」
「なんだぁ、坊主、怪我してんじゃねぇか」
 顔に手が触れる。かたまっている辰は振りほどくことができず、されるがままだった。
 だが、その手は大きくて暖かく、徐々に強張った体がほぐれてきた。
「おい、松原、行くぞ」
「はい」
 のそっと男がやってくる。
「こいつの手当てしてやんな。あと、飯を食わせてやれ」
「わかりました」
 松原と呼ばれた男に手当てをしてもらい、ラーメンとチャーハンをごちそうになった。
 帰り際、
「お前、もう喧嘩なんてするんじゃねぇぞ」
 と言われて別れたが、結局、辰にはその道しかなく、再び喧嘩をする日々を送っていた。
 年の離れた大人に一度優しくされただけなのに、辰の中にはあの手の温もりが忘れられずにいた。
 また会いたい、その思いから夜の街を歩くたびに彼の姿を探した。
 二度目に出会ったのはやはり雨の日で、黒いスーツ姿であった。
「あ……」
 松原以外にも数名、今まで辰が喧嘩をしてきた相手とは明らかに格が違う猛者たちにぞくっと鳥肌が立つ。
 出会う前は怖かったが、その姿に胸が熱く高ぶる。
「なんだぁ、このガキ」
 いかつい男が辰の胸ぐらをつかむ。
「待て。よう、坊主。またエサが欲しくてきたのか?」
 大きな手で頭を撫でる。辰は覚えていてくれたことが嬉しくて、
「はい」
 つい大きな声が出てしまう。
「わかった。俺はちょっとこいつと飯食ってくる。松原、行くぞ」
「はい」
 周りの男たちが一斉に頭を下げる。
 向かった場所はこの前のラーメン屋とは違う高級そうな中華料理店だった。しかも案内されたのは個室だ。
「あの、俺」
「まぁ、座れや」
 男がポケットから煙草を取り出して咥えると、つかさず松原がライターの火を煙草につけた。
 テレビでこんなシーンを見たことがあるが実際にするんだなと眺めていれば男がにやりと笑う。
「坊主よ、あそこで何をしていた?」
 だが、次の瞬間、すっと目が細められて射るように見られた。
 冷汗が流れる。これはヤバい誘いだった。
「俺はっ」
 あの日、優しくされたからと勘違いしてしまった。
 調子に乗るなと男は言いたいのだろう。
 わかっている。この人は普通の人ではないことを。
 それでもまた会いたいと思ったのだろう、そう自分を叱咤する。
「もう一度、あなたにっ、会いたかった、んです」
 つっかえながらも気持ちを伝えると、男の表情がみるみるうちにくずれた。
「ひゃぁ、何、この可愛いの」
 指をさして震える男に、
「わかります。この人、若い奴をこうやってたらしこむから」
 腕を組み頷く松原に、
「えぇ、何、俺ってたらしなの?」
 とやたら嬉しそうな顔をする。
「……あのぉ」
 この状況を飲み込めず、困惑する辰に、
「なぁ、俺に会ってどうしたいわけ?」
「俺を傍においてください」
 その想いしかなかった。
「坊主よ、俺の職業、なんとなくわかってるよな?」
「はい」
「やめとけと言いたいところだが、坊主はまっとうに生きれねぇか。松原、面倒見てやれ」
 彼の元にいられる。それが嬉しくて辰は叫び出したいほど嬉しかった。
「まったく、目ぇきらきらさせやがって。いばらの道へいくってぇのに」
 まいったねと腕を組んで苦笑いを浮かべた。
 それでも辰は彼の傍にいたい。今まで何のために生きているかわからず過ごしてきた。
 だが、これからは彼のために生きよう。
「坊主の名前は?」
「西藤辰(さいとうたつ)です」
「そうか。よし、松原、面倒を見てやれ」
「はい」
 それからご飯を腹いっぱい食べさせてもらった。
「明日からここに書いてある住所の場所へこい」
 一枚の名刺を手渡された。
 それを受け取った後、まっすぐアパートへと帰ると布団に寝ころび名刺を眺める。
 会社名と取締役社長の文字、そして男の名前が書いてある。
「えっと、よろこぶ、くた?」
 勉強をまともにしたことがない辰はまともに名前すら読むことができない。
 スマートフォンを手にし検索をすると、「きくた」と表示される。
「喜久田(きくた)さんか」
 その名刺を大切そうに抱きしめて、ずっと嬉しくて笑っていた。

 名刺に書かれている住所を地図アプリで調べて向かう。
 ビルの中へと入ると受付の女の人が笑顔で声をかけてくる。
「あ、えっと、喜久田さ……、喜久田社長に会いに来ました」
「お約束はされておりますか?」
「はい。ここに来いと名刺を渡されました」
「わかりました。少々お待ちください」
 しばらくするとそこに現れたのは眼鏡をかけた男だった。
 頭のきれそうな、しかも男前。笑顔を向けられているのにそれがなぜか怖い。
 いつもの辰なら警戒をしていただろう。だが、喜久田に会える喜びで気が緩んでいた。
「あの、俺、西藤といいます」
「はい。喜久田から伺っております。部屋に案内しますのでついてきてください」
 エレベータに乗り込み一つ上の階へ。案内されたのはがらんとした部屋だった。
「え?」
 相手の方へ振り向くと胸ぐらをつかまれた。
「喜久田とはどういうお知り合いで?」
 メンチを切る男は、やはりその筋なのだろう。鋭く射るような目をしている。
「明日からここに来いと名刺を」
 ポケットに入っている名刺を取り出して男の目の前につきつける。
「どこかで拾ったのでは?」
 それでも疑うことをやめない男に辰はだんだん腹が立ってきた。喜久田から誘われたのは事実だというのに。
「はぁ? おれは、ちゃんと喜久田さんから誘ってもらったんだよ」
 男の手をつかみ引き離そうとするが、意外なことに力が強く、さらに締め付けられて苦しくなってきた。
「くそ、放せ!」
 暴れてその手から逃れようとするが、男は意外と力が強く逃れられない。
 それが悔しくもあり、余計に腹が立ってくる。
 そこに、
「沢城さん、西藤の言っていることは本当です」
 ドアを開けて中に入ってきたのは松原で、その言葉に沢城(さわき)と呼ばれた男は掴んでいた手をはなした。
「聞いていませんよ」
「すみません」
「どうせ、カシラが私に伝え忘れたのでしょう?」
 腕を組み指でトントンとたたく。
 喜久田は松原よりも上の人だとは思っていたが、沢城もそうなのだろうか。
「疑ってすみません。君、目つきが悪いから、他の組の者がカチコミにでも来たのかと思いました」
 神経を逆なでするのが得意なやつなのだろう。ムカつきながら立ち上がる。
「はぁ、柄が悪くてすみませんねぇ」
「こら、西藤。本部長にたてつくな」
 本部長と言われても、この世界のことはわからない。ただ、たてつくなということは自分よりも上ということだ。なので怒りを必死で押さえながら頭を下げた。
「あなたが面倒を見るのですか?」
「はい。カシラに言われたので」
「なるほど、適任ですね。彼、頭が悪そうですし」
「はぁ?」
 メンチをきると、松原にやめろと頭をはたかれた。
「すみません。教育しておきますので」
 と松原が辰の頭をつかんで頭を下げさせた。
「そうしてください」
 沢城は部屋を出て行った。
「なんなんです、あの人」
「本部長。事務所の最高責任者だ」
「へぇ……」
 頭でっかち、そんな男におもえた。だから辰を頭が悪そうだと馬鹿にするのだろう。
 また思い出してムカついてきた。
「西藤、親と兄貴のいうことは絶対だし、礼儀をわきまえろ」
 覚悟を持てといわれ、拳を強く握りしめる。
「はい」
「あと、沢城さんは誰に対してもああだから」
 言われることを覚悟しておけば大丈夫だと親指を立てた。
「え、あ、はぁ」
 天然かと、強面なのにちょっぴり可愛いと辰は心の中で思う。
「辰は雑用からはじめてもらう。先輩らのいうことをちゃんと聞けよ。あと、喧嘩をするな」
「はい」
 これからここで生きていくためのルール。
 いままで適当に生きてきたけれど、喜久田の下でなら自分はかわることができる、きっと……。