Short Story

君が差し出す「唇」

 樋山は薄暗い部屋に閉じこもる潮に、この手を取れと、扉の向こうから腕を伸ばしてくる。
 やめてくれとその手を払うが、簡単に掴まれてしまい、光へと導いていく。
「離してください。俺はここでいい」
 薄暗い部屋を指さすが、樋山は首を横に振りさらに強く腕を握りしめた。
 まるで絶対はなさないといっているかのようで、潮は泣きそうな顔をする。
「いやだ。俺には貴方の隣はふさわしくないんだ」
 そう、潮がいるだけで周りは嫌な顔をする。どうしてお前が、どうして、どうして!
 責められて胸がずきずきと痛むことになる。
「離して」
 手を振り払い、この身は闇へと落ちていく。
 これでいい。目を閉じたところで、眩い光が潮を照らす。
 手で陰を作るが、それは容赦なく潮を襲い、そこで目が覚めた。
 今日もいい天気だ。陽射しが部屋に差し込んでいた。
「はぁ」
 まさか夢にがでてくるなんて。
 昨日、樋山が潮の指に残した熱のせいで、変な夢を見たに違いない。
「わー、なんなんだよ、あの人」
 男相手に、どうしてあんな真似をしたのか、理解できなくて頭が混乱する。
 頭をがしがしと掻き、そしてスマートフォンの時計をみる。
「やばい」
 いつもは余裕をもって起きるのに、今日は時間があまりない。
 全て樋山のせい。
 あんなことさえしなければと文句をいいつつ、急いで準備をすませて大学へと向かったが休講だった。
「なんなんだよ」
 本日二度目となる言葉を口にし、ご飯を食べていなかったので、学食へ向かう。
 朝、学食を利用するのははじめてだった。
 美味しいご飯が食べられると、前にサークルで誰かの話していたのを聞いていた。
 朝食は定食のみで、パンかご飯が選べるようだ。ご飯を選らび、トレイを受け取って席に着く。
 ご飯とお味噌汁、味のりと卵焼き、漬物に焼き魚がついている。定番の朝ごはんというかんじだ。
「頂きます」
 手を合わせて味噌汁を一口。ほう、と息をつき、味噌汁を置くと、目の前に誰かが座っているのに気が付いて、嫌な予感がした。
 箸が止まる。顔をあげることができない。
 すると手がこちらに伸び、卵焼きを一切れ摘まんだ。
「な、ちょっと」
 おもわず顔をあげてしまった。
 卵焼きを口に運び、指を舐めるの姿が目にはいる。
「美味い」
 目が合い、ニッコリと微笑まれた。
 夢と昨日のことがあり、顔が熱くなる。ばれないようにとすぐに俯いて箸をおいた。
「俺、飯食っているんですけど」
「うん」
 椅子を引く音。目の前に座ったのだろう。このまま居座られるのは冗談じゃない。
 顔をあげて真っ直ぐと樋山を見る。今日も無駄にキラキラとしていた。
「別の場所に行って貰えませんか」
「なんで?」
 言っている意味がわからない、まるでそういっているかのように樋山は首を傾ける。潮はイラっときて移動しようとトレイを手にするが、それを阻止するように腕を掴まれてしまう。
「樋山先輩、何を」
「ご飯、冷めちゃうよ」
「貴方がっ」
 目の前にいるから。そう口にでかかり、そして静かに飲みこむ。
 これではのペースだ。相手にしたらだめだ、さっさと食べてここから出ていけばいい。
 箸をとり、食事を再開する。
 目の前の男は無視だ。詰め込むことに集中するが、卵焼きがに奪われていく。
 最後の一切れ。それだけはと思ったが、箸が掴んだのはの樋山の指だった。
「今日は潮君が指にキスしてくれるの?」
 と口角をあげる。その瞬間、血がのぼる。
「なにを、いって」
「冗談だよ」
 からかわれただけでなく、最後の卵焼きまで奪われてしまった。
「ごちそうさま、潮君」
 ごちそうさまじゃない。朝から樋山と会うだけも憂鬱なのに卵焼きも食べられて最悪だ。
 トレイをてにし、席を立ちあがる。
「まって、まって。卵焼きのお礼に飲み物をおごるからさ」
 あれは勝手に食べただけだろう。そう口から出かかったが、そこに、
「樋山君じゃん」
 女子のグループが樋山の方へと近寄ってくる。
 この隙にここから離れようと思ったのに、
「潮君、待って。ごめんね、友達と一緒だから」
 そういうと、潮と一緒に行こうとするが、その瞬間、鋭い視線を感じた。
 きっと彼女たちはすごい顔をしているだろう。サークルの時も樋山といると睨まれていたから、なんとなくわかる。
「俺、図書室へ行くんで」
 別に行きたい訳じゃないが、逃げる口実にはなる。トレイを持ち、返却口へと向かう。
 はやく樋山から離れたい。
 早足で図書室へと向かうが、途中、腕を掴まれて人気のない場所まで連れて行かれた。
「待ってよ、潮君」
 壁に背中を押し付けて腕の中に囲まれてしまう。
「何で俺に構うんですか」
 一緒にいても楽しくないだろう。樋山を睨みつければ、傷ついたようで悲しそうな顔をした。
 それを見て一瞬怯む。だが、すぐに樋山はいつものように優しい先輩の顔となる。
「一人は寂しくない?」
 それは、誰にでも優しい人だから、一人きりの潮に同情しての言葉だろう。
「はは、いい人ぶるのも、ここまでくると気持ち悪いですね」
「潮君?」
 自分は潮が絆されて懐いてくれたら嬉しいだろう。だが、やられている方の身になってほしい。
 向けられる優しさを勘違いして傍にいていいのだと思わせるのだから。
 だが周りからしてみれば、自分如きがと思うのだろう。サークルの部室で樋山を待っていた時だ。女子に囲まれて、自分を否定するような言葉をまくしたてられたのだから。
「俺のことは放っておいて」
「ごめん、それはできない」
 どうして、皆のように傍に居ても存在しないモノとして扱えないのだろう。
 見て見ぬふりをするなんて簡単なことだろう。
「もう嫌だっ」
 話が通じない。もう、ここには居たくなくて行こうとするが、手を掴まれてしまう。
「待って」
「離せっ!!」
 その手から逃れようと乱暴に腕をふるうが、樋山に強く腕を掴まれて抱きしめられてしまう。
「嫌だ」
 潮は、ただ逃れたかった。彼の腕に爪をたてて引っ掻くが、離れることなくさらに強さを増した。
「いやだっ」
 傍にいたら、また周りに酷い言葉を浴びせられる。
 それなのに、その温もりは潮を包み込み、離れがたい思いにさせた。
「潮君、お願いだから逃げないで」
 そう、苦しそうに吐きだされた言葉に、潮はそっと樋山の方へと顔を向けた。
 そこにあるのは、いつもの優しい顔ではなく泣き出しそうな表情だった。
「あ……っ」
 そう、自分がさせているのだ。
「樋山先輩」
「ごめんね、君が俺を嫌っているのは知っているのにしつこくして」
 それでも離してあげられないと抱く腕に力がこもる。
 すっと気持ちが落ち着いてきて、樋山の腕にできた傷に気が付く。それは自分が爪を立て、できたものだ。
「先輩、ごめんなさい」
 ポケットからハンカチを取り出して傷口を押さえた。
「潮君」
「逃げないんで、離してほしいです」
「わかった」
 身体が離れる。少しホッとしながらハンカチを離し、ポケットの中を漁る。確か、絆創膏があったはずだ。
 目的の物に触れ、それを取り出すとよれよれとしていた。
「こんなんですみません」
 無いよりはマシだろうとそれを剥がして傷口に貼った。
「ありがとう」
「いえ、もともと俺がつけた傷ですから」
 少し心が落ち着いた。
 感情的になっていのたは向こうも同じで、大きく息を吐く。
「俺、君に伝えていなかったね」
 何を口にしようとしているかに気が付いて、樋山の口を手で押さえた。
 聞きたくない。それを聞いてしまったら……。
「駄目です。俺に優しくしないでください」

 きっと彼の手を掴んでしまう。
「お願いですから」
 口を塞いでいる手が押される。
 顔が徐々に近づき、まるでキスをされているかのようだ。
 二人の間を塞ぐこの手を離した瞬間、逃げることはできないだろう。
 樋山の手が、首を優しく撫で、身体がぞくぞくとする。
 欲しがっている。こんな自分を。
 もう、押さえておくのは無理だった。
 手がゆっくりと下へとおるとすぐに、唇へと食らいついた。
「ん、ふっ」
 息が荒れるほどの激しい口づけに、意識が蕩けだす。
 何度も、何度も、深く、角度を変えて、吸われ、絡まりあい、そしていやらしい水音をたてる。
「はぁ、せんぱぃ」
「んっ、だめ、もう少し」
 足から力が抜け、たっていられなくなりずるずると崩れ落ちて、そのまま床に押し倒される。
 キスにくらくらとして、下半身に熱がたまる。
 たっている。樋山とのキスに。しかも自分だけではない、彼も同じだ。さきほどからかたいモノがあたっている。
「ん、ごめん……」
 それに気が付いてか、唇が離れ身を起こした。
「これ以上は、望んじゃ駄目かな?」
 それは、この張りつめたモノをどうにかするということか。
 流石に頭が冷静になる。
「それは、駄目です」
 キスだっていっぱいいっぱいなのに。
「うん、キスを許してもらえただけでもよしとしないとね」
 そう頭を撫でられる。それがあまりにも優しくて胸がきゅっとなった。
 このまま樋山に包まれていたい、そんな気持ちになる。
 だが、こんなつまらないやつに、いつまでも優しくし続けることなどできるのか。
 もしも掴んだ手を離されてしまったら、それを考えると怖くなって樋山の手を払いのけた。
「うしお、くん?」
 急変した潮の態度に驚いている。
「俺、授業があるんで失礼します」
 少しふらつくが、どうにか立ちあがって頭をさげる。
「一緒に」
「そういうの、いらないです」
 今一度、差し伸べられた手を無視し、おぼつかぬ足取りで歩き出した。