君が差し出す「手」
知りたくなかった。
人の温もりがこんなに厄介なモノだったとは。
今日はもう受ける授業がないので帰ろうとしていたときだ。
俯きながら歩いていたのがいけなかった。何かにぶつかって尻もちをついた。
「悪い」
手を差し伸べられ、見上げれば随分と大きな男だった。
「いえ、こちらこそ」
その手は掴まず立ち上がり、その場を後にしようとしたが、腕を掴まれてしまう。
「待って。君、明石君だよな。おなじサークルの」
そう言われて驚いた。サークルでは大人しく目立たないようにしていたからだ。
もしや、女子達のように、樋山が構うせいで気に入らないと思われたか。
どちらにせよ、もうあのサークルはやめたのだ。関係ないだろうと男を見る。
「あれ、俺のこと、知らない? 真田真(さなだしん)って、漢字で書くと、上から読んでも……」
「俺、あのサークルやめたんで」
話しを切るようにそう口にする。もうサークルとはなにも関係ないのだから別に名前を知りたいと思わない。
潮の態度に真田は苦笑いをしながら頭を掻く。
「あー、あれか。明石君ってツンデレなのね」
何を言っているのだろうか。樋山同様に鬱陶しいタイプのようだ。絶対に関わっては駄目だ。
「それでは」
頭を下げてここから立ち去ろうとしたが、腕を掴まれてしまう。
「あの、離してもらえませんか?」
「ん? まだ俺の方は用事があるぞ」
と大柄な男に壁際に追い込まれた。自分は小柄で貧弱な男だ。押さえ込まれたら逃げられないだろう。
ため息をつき、逃げることはあきらめて相手を見上げる。
「なんですか」
「なぁ、樋山と喧嘩した?」
顔を近づけられて、潮は視線をそらした。
樋山が王子様のような爽やか系なら、この人はワイルド系。どちらも背が高くて顔が整っている。
女子ならこの状況に胸をときめかすだろうが、潮にとっては嬉しくない。
「なぁ、そんなに警戒しなさんなって。女の子なら黄色い声をあげてくれるのにな」
「俺、男ですから」
「はは、流石にみればわかるよ」
天然だなと笑う。
ペースを崩そうとするところも樋山と似ている。
「あの、樋山先輩と俺は仲良くないんで。喧嘩自体ありえません」
答えたのだからどいてほしい。
「あれ、樋山の片思いだったのか」
ぎくっと肩を揺らす。
告白されそうになり、両手で口を押えて言わせなかった。
それにキスをして、それ以上も望まれた。こんな自分に好意を寄せてくれた。
「あの人は、誰にでも優しいから」
そうだ。信じては駄目だ。また一人に戻るのは辛くなってしまう。
「樋山はそんなに優しい男じゃないよ」
「そんなことは、ないです」
誰にでも笑顔で接する。そんな姿しか見たことがない。
「まぁ、見た目も気を付けているし、いつも笑顔だからな。ま、今のアイツを見ればわかるよ」
行くよと腕を引かれた。
「え、嫌です、離して」
「黙らないと、お姫様抱っこして連れて行くよ」
それでなくとも真田は目立つ人だ。お姫様抱っこなどされたらどうなることだろう。想像するだけで怖い。
「わかりました」
力では敵わなそうなので素直についていくことにした。
樋山はいつもモテる。周りには女子がいて、いつも華やかなのだが、今日に限っては違っていた。
まず、側に女子が居ない。そして爽やかさがない。
どこか落ち込んでいるように見える。
「あれ、君が絡んでいるんでしょ?」
「え、いや」
「明石君、樋山って爽やかな笑顔を浮かべた王子様ってカンジじゃない?」
そう言われて頷く。いつもキラキラとして、優しい笑顔を浮かべている。
「まぁ、誰に対しても、ああいう顔なんだよね」
「誰にでも優しいということですよね」
ひとりでいる潮に声を掛けたのも、その優しさ故なのだから。
「落ち込んでいても、樋山って辛い顔をしないんだよ」
ちらっと真田がこちらを見る。潮絡みだからと、そう言いたいのだ。
「なぁ、明石君、アイツの気持ちだけでも聞いてやって」
「……俺は」
一度つないだ手が離れてしまったら、それを思うと怖くて樋山から逃げたのだ。
無理ですと後ずさるが、辛そうな樋山の姿を見ると足が止まった。
「明石君だって、気になっているんだよな。だって、泣きそうだもの」
「え?」
目を見開き、自分の顔に触れる。確認したところで表情はわからないのに。
「わからない」
「それでも、心の中は自分でもわかる」
そうでしょう、と腕が背中に回る。
「真田先輩」
胸がずきずきと痛んでいる。そうさせたのは自分だからだ。
だけどそれを認めたくなくて口を硬くむすぶ。
「だからさ、いってらしゃい」
「え、わっ」
背中を強く押され、身構えていなかった潮は前へ二歩、三歩と進む。
「樋山っ」
真田が声をあげ、樋山がこちらへと視線を向けた。
目が合う。
そして、後ろへと下がる潮に、逃がさないと素早く樋山の手が腕をつかんだ。
「潮君」
「え、あ」
腕を振り払い逃げなければ。上下に振るい手を離そうとするが、しっかりと掴まれている。
「お願いだから逃げないで」
もう片方の腕まで掴まれて押さえ込まれてしまう。
「それに、目立ってるから」
周りの目がこちらへと向いている。それでなくとも樋山は目立つ存在なのに、揉めているとあったら、余計に見られてしまう。
「わかりました」
今は大人しく樋山と共にここから離れる。
二人を見ながらにやにやとする真田に、樋山は脇腹にグーパンチを食らわせる。
「うおっ、ひでぇの」
「うるさい、お節介」
本当に仲がよいのだろう。ふたりとも口元に笑みを浮かべていた。
「明石、頑張れ」
と頭を撫でられ、潮は頭を下げる。その大きな手は樋山と同じく温かい。
何故だろうか、心がじわりと暖かくなる。
「ありがとうございます、真田先輩」
呟くような声であったが、真田に届いたようで、親指を立てて口角をあげた。