Short Story

闇夜を照らす優しい月光

 自分は綺麗で優しい。こんな根暗で愛想のない男にも態度をかえずに接しているのだから。
 いい人ぶった調子のいい女、それが隣の席に座る立花《はなばたけ》に対する森村《もりむら》の印象だ。
 当たり前のように仕事を押し付け、嘘の笑顔をはりつける。しかも自分に惚れていると勘違いまでして。
 仕事を断らないのはある理由があってのことだ。別に友達も恋人もいない、都合の良い男。そう思われていてもかまわない。
 今日も一人残って立花の残した仕事をする。対した量でもないのにどうして時間内に終えられないのか不思議だ。
 まぁ、彼女は仕事をするのではなく媚びを売りにきているのだろう。
 無能なのにクビにならずにすんでいるのは、課長を含め男共が守ってくれるし、仕事は森村がやっているからだ。
「お疲れ様です」
 眼鏡の下の柔らかい笑顔を浮かべ、ビニール袋を手にこちらへと向かってくる。
「……す」
 これが森村《もりむら》が残業をする理由で、相手は会社の社長である睦月《むつき》だ。
 歳は三十代後半だと噂で耳にしたことがある。容姿も立ち振る舞いもよく、まだ独身ともあり女子社員が恋人の座を狙っている。しかも気さくに話しかけてくれるので女性だけでなく男性にも評価が高い。
 話をするのが得でいはなく、仲の良い相手などいない。暗くてつまらない男である森村とは大違いだ。
「お仕事に疲れちゃって休憩をしにきちゃいました」
 隣の席に腰を下ろして袋の中を開いた。
「秘書課のお嬢さん達が美味しいからどうぞって二つくれました」
 デスクの上に置かれたのは随分とかわいらしい食べ物だった。
「ゼリー」
「はい。お花が入っているんですよ」
 透明色のゼリーの中にフルーツと花がはいっている。女子受けしそうなゼリーだ。
「見ているだけでも癒されるので」
 確かにそうなのだろうが、森村にとって見た目の良さではなく、睦月から頂いたものという方が重要だった。
「あ、あの、ゼリー、ありがとうございます」
 勿体なくて食べられない。それをデスクに飾ると癒しを選んだととらえたか、期限内に食べてくださいねと言い席を立つ。
「そろそろ怖ーい秘書から電話があるかもなのでお仕事に帰りますね」
「はい」
 睦月が去った後、しばらくの間は余韻を楽しむ。
 会社で唯一、彼だけが気に掛けてくれる。誰にも相手にされない男をだ。
 ゼリーを手に持ち天にかざす。
「社長、優しいよな」
 また一つ、宝物が増えた。
 立花のおかげで残業ができるのだから感謝しなければいけない。

 終わった仕事を彼女のデスクへと置き帰り支度を始める。
 いつもの通り、帰りにコンビニにより弁当を買って部屋でテレビを見ながらそれを食べる。
 そして棚の上に睦月から貰ったゼリーを飾ろう。
 今の一番の楽しみは睦月からの貰いものを眺めることだ。
 忘れ物はないかとデスクをチェックし、フロアを出たところで再び睦月と出逢った。秘書の川島《かわしま》も一緒だ。
 ついているなと心の中でガッツポーズをする。
「お疲れ様です」
 今度はそこそこ大きな声で挨拶が言えた。よかったと胸を撫でおろす。
「森村君こそ、疲れ様です」
 と柔らかな笑みを浮かべた。誰に対しても自然とそうできる睦月を尊敬している。
 誰かに挨拶をするとき、森村は顔がこわばり声が小さくなってしまうからだ。
「それでは失礼します」
「あ、待ってください。もしよろしければ一緒に食事に行きませんか?」
「え?」
 まさか食事誘われるなんて。驚いて目を見開いたままかたまってしまう。
「森村君?」
 気が付けば睦月の顔が近く、さらに驚いて後ろに飛びのいた。
「驚かせてしまいましたね」
「あ、いえ、その……」
 今の状況が信じられずに睦月と彼の隣に立つ秘書の土田《つちだ》を交互に見る。
「俺と、ですか」
「はい。ご一緒出来たら嬉しいなと」
 まさか食事誘われるなんて。どうすればいいのかと混乱し、
「あの、頂いたゼリーを食べるので」
 どうにでもなるような理由をつけて断り、この場から立ち去ろうとするが、睦月に腕をつかまれてしまう。
「しゃ、社長!」
 しかも意外と腕の力が強く、引っ張っても振り払えない。
「ゼリーは明日でも大丈夫です。土田君、タクシーをお願いします」
「承知いたしました」
「期限内に食べないとっ」
「断る理由になりませんよ」
 タクシーがつかまり、中へと押し込まれる。
 向かう先は格式の高そうな店でしり込みしてしまう。
「どうしました?」
 睦月は慣れているのだろう、普通に中へ入ろうとしている。
「俺、こんな高そうな店に来るの初めてで」
「あぁ、そんなにかたくならないで。さ、行きましょう」
 睦月の手が腰に触れぽんと叩いた。
「へぁっ」
 緊張を解くようにとしたことだろうが、思わず変な声が出てしまった。
「いらっしゃいませ、睦月様。お待ちしておりました」
 着物を着た綺麗な人がふたりを出迎え、名と顔を覚えるくらいは利用しているのだろう。
 彼女に案内されて向かったのは個室で、全席がそうなのだとしり場違いだと改めて思う。
「ここならゆっくり話せるし、美味しい料理も食べられますよ」
「はぁ」
「さて、料理はお任せでいいでしょうか」
「はい。お願いします」
 給料日前に痛い出費になりそうだ。
 運ばれてくる料理は高そうな器に少量の魚だったり野菜だったりで、上品な味付けというやつなのだろう、繊細すぎてよくわからない。
「ふふ。舌に合わないようですね」
「え?」
 顔に出ていただろうか。
「いえ、俺がバカ舌なだけです」
「私は立場上、こういう店を利用しますが、ラーメンやハンバーガーが恋しくなりますよ」
「社長が、ですか」
「ええ。学生の頃はそういうものばかり食べてました」
 同じなのだと知り、嬉しくなった。
「かわ」
「え?」
「いえ。本当はそういう場所にお誘いしたかったのですが、君に聞きたいことがあったので個室のある場所と思いまして」
 自分なんかに何の話しだろうか。特に思いつくことがなく、ほぐれた気持ちに緊張が走る。
「君の勤務時間を見させていただきました。一人だけ残業が多いようですが、仕事の割り振りに問題がるのでしょうか」
「いいえ違います」
「それでは時間内に仕事が終わらないということでしょうか」
 それも違う。自分の仕事は時間内に余裕で終わっている。残業してまでやっている仕事は別のひとのものだ。
 下心があってその仕事をありたかがっている。だから彼女のことは言えなくて黙っていたのだが、
「君の隣の席、立花さんでしたか。貴方のしている仕事は彼女のものですよね」
 睦月にはばれていたようだ。
「……そうです」
 隠し通しても無駄だろうからと、それは素直に認めた。
「仕事は押し付けられたのですか。それとも貴方が進んで?」
「家に帰っても特にやることもないので」
「彼女の下心があるとか、そういうことではないですよね」
 睦月との時間が楽しくて、それだけのために彼女の仕事をしているだけだ。
「立花さんのようなタイプは苦手です」
「そうですか。話しは以上です」
 食事に誘った理由はこれを聞くためだったとわかり納得がいった。
 やはり自分など理由がない限り誘うはずはないのだ。それを悲しいと思ってはいけない。
「嫌なことを聞いてしまいましたか?」
「え、何故ですか」
「辛そうに見えたので」
 顔に出さないようにと意識したつもりだった。
「いえ、大丈夫です」
 繊細な味が無味になる。どれもこれも森村には勿体ないモノだった。

 会話は睦月から。うまくつなげることもできずに途切れ途切れ。
 それでも嫌な顔を見せずに睦月は話をしてくれた。
 さぞかしつまらなかっただろう。
 最後の料理が運ばれてきてお開きになったが、そのまま外へと向かっていく。
「あの、食事代」
「私が誘ったのです。支払わせてください」
「そういう訳には」
「わかりました。では食事代の替わりに」
 と肩に手が触れて身を寄せる。睦月からはいつも良いにおいがして、好きだなと目を閉じたところに唇に柔らかなものが触れた。
 驚いて睦月を見れば、
「お礼ということで。唇を頂きました」
 ごちそうさまと手を合わせてた。
 いつの間にかタクシーに載せられて家の前まで送ってもらった。
 ふらふらとした足取りで部屋へと入りベッドに倒れこんだ。
「キス」
 唇にそっと触れる。まだ感触が残っているかのようだ。
「なんで?」
 あんなに素敵な人なのだ。女性に困っているなんてことはないだろう。
 それにキスする相手も森村でなくてもいいはずだ。何も魅力がない男なのだから。
 人付き合いが苦手な森村には睦月の気持ちを理解出来そうになかった。