王子の愛が鬱陶しい
表通りは商売が盛んで活気にあふれており、少し細い路地へとはいりこむとその喧騒が嘘のように静かな場所に出る。そこにある小さな庭付きの一軒家が仁の家だ。
我が家が見えてきてホッとしたのもつかの間。
「あぁ、またか」
家の入口付近に騎士の姿を見つけて、仁は額に手をやり頭を振る。すると向こうも仁に気が付き、おかえりなさいと声を掛けてくる。
「どうも、ご苦労様です」
すっかり顔見知りになった騎士に手をあげて挨拶をする。
「いえ。中でアンセルム様がお待ちです」
どうぞと家のドアを開けてくれる。
いや、此処は俺の家なんですけどね、なんて心の中で騎士にぼやいていれば、
「ジン、お帰り」
と、エプロン姿のアンセルムが仁を出迎える。
その姿を見た途端、仁は肩を落としながら大きなため息をつく。
勝手に家の中に入らないで欲しいとお願いしているのだが、毎度、毎度、言いつけを守らない。
怒るだけ損だといつも諦めてしまう自分も悪いのだが、この男にはいくら言っても無駄なのだ。
相手にしたくないからアンセルムを無視して寝室へ向かおうとすれば、
「ジン、お腹すいたでしょう? 食事、用意してあるよ」
とテーブルを指さす。そこにはテーブルいっぱいに料理が並んでいた。
アンセルムは王子であるが家事が得意だ。しかもそれは仁の為に覚えたと言うのだから健気な事だ。
正直、腹はものすごぐ空いている。今にも腹が鳴りそうなくらいだ。
だが、それを見通しての行為に、素直にアンセルムの前で食事を摂る気になれない。
「王子、大変申し訳ありませんが、疲れているのでおかえり願えますか?」
ひとまずアンセルムを家から追い出す。その作戦に切り替えて仁は疲れたふりをしてみせる。
「久しぶりに会えたというのにもう帰れと言うの? 冷たいなジンは」
「本当に、大変申し訳ありません」
大袈裟にそう言ってやって、アンセルムの背中を押してドアを開ける。
「お帰りですか?」
と、騎士がアンセルムと見て言い、仁は騎士へと手土産という賄賂を渡す。
「おおっ、ワノコクのお酒ですか!」
南の騎士達に和ノ國の酒はすこぶる評判が良く、和ノ國へと立ち寄った時には必ず彼らの為に酒を買って帰るのだ。
「む、彼ばかり贈り物をするなんてズルい! 私にはないの?」
「貴方に贈る品などありませんよ。これは貴方に振り回されて迷惑している騎士達へ、せめてものお詫びのつもりですから」
「何それ。……じゃぁ良いよ、別のモノを貰うから」
頬を両手でつかまれてキスをしようとするアンセルムに、手を差し込んでそれを邪魔する。
「やめてください」
「えぇっ、気持ち良くするよ?」
と、再びキスをしようとする彼に、
「王子、お城に帰りますよ」
騎士が腕を掴んでそれを止めた。
「なっ、無粋な真似を」
「それではアサヒ殿」
振り回されている王子よりも、差し入れをくれる船乗り。失礼しますと頭を下げて、騎士はアンセルムを引っ張るように歩き出した。
王子に対する扱いではないが、そうでもしないといつまでも帰ろうとしないからだ。
「え、嫌だ、ジン、ジン――!」
仁の方に必死に手を伸ばすアンセルムに、それを無視して家の中へと入る。
一人になるとやっと落ち着いた。
テーブルに並べられた料理には罪がないので仁は有りがたくそれを食することにする。
アンセルムが作る料理はお世辞抜きに美味い。これを毎日食べたら完全に胃袋を掴まれてしまいそうだ。
(健気で一途で料理上手って、アイツが女だったら間違いなく惚れてらぁ)
そう、女なら。
仁の国でも同性同士で恋仲になる者もいる。偏見など無いが、自分は恋愛するなら女が良い。
子供をたくさん作って笑いの絶えない家庭を作りたい。そんな夢があるのだ。
「それにしても美味ぇなぁ……」
仁の好物ばかり並べてあるのがムカつく。
もう少しだけ優しくしてやればよかったかもしれない。
だがすぐにその考えを打ち消す。きっと調子に乗るだろうから。
◇…◆…◇
アンセルムという男はポジティブ思考ゆえ、どんなに冷たくあしらってもめげない。それところか、仁は恥ずかしがり屋だから自分に冷たいのだと思っているようだ。
しかも仁が休みだと知ると、通い妻気分で朝から家に押しかけて、甲斐甲斐しく世話を焼きはじめる始末だ。
「チヒロの家のコックに教えて貰ったんだ、ワノコクの料理」
何時の間に覚えたのか、和ノ國の料理がテーブルの上に並ぶ。
「そろそろ恋しくなる頃だろうと思ってね」
こういう所はすごい気が利く。だから余計にアンセルムの事が嫌になるのだ。
「貝のミソスープに、魚には塩をまぶして焼いて、で、オムレツには魚の燻製の削り節と乾燥した海藻でとっただし汁と塩を混ぜたんだよ」
味噌汁の中身はこの地の海岸でよくとれる二枚貝がはいっており、浅蜊に良く似た味がする。
そして魚の塩焼きに、だし巻き卵。
朝からアンセルムの美味い手料理が目の前。この匂いを前に我慢できるやつがいるだろうか。
「ふふ、さ、召し上がれ」
「頂きます」
手を合わせて箸を持つ。まずは味噌汁から。
丁度良い味噌加減だ。そして貝のダシもよくでているし、砂抜きも完璧で身は食べてもじゃりじゃりしない。
次に卵焼きに手を伸ばしたところで、美味しい朝食に気分を良くしていたこともあり、
「あれ、食べないんですか?」
と声を掛けていた。
「え、良いの?」
驚くアンセルムに、何を言っているんだという表情を見せ、立ち上がるとキッチンから箸と皿を持ってきて彼の前へと置いた。
「良いも悪いも、貴方が作ったんでしょう」
「だって、今まで一度たりともそんな事を言ってくれたことが無かったから」
確かに、優しくしたら勘違いされそうだとか、甘えられても嫌だとか、そんな事を思っていて一緒に食事をしたことはない。
そう、これはきっと、ここまでしてくれた相手に対して、つい、そういう気持ちになっただけ。
「今日だけ特別です」
だから意味は無いのだと釘をさす。
「はぁい。じゃぁ、頂きます」
席を立ち、皿をとりお米をよそう。
箸を使いオカズを小皿に取り分ける。その綺麗な箸の使い方に驚く。
「箸の使い方も学ぶのですか?」
「うん。和ノ國のように箸を使う国もあるからね。一通り覚えさせられたよ」
流石、王族。
「箸を綺麗に持つ所からはじめて、調理前の豆を何粒も掴まされたよ」
あれは地獄だったなと、珍しくげんなりとした表情を見せる。
アンセルムにとっては余程つらい思い出なのかもしれない。
「ははっ、そいつは大変でしたね。豆、掴みにくかったでしょう?」
「うん。でも、役に立った」
無邪気な表情で笑う。胸が高鳴り、仁はソレを誤魔化すようにご飯を口の中へとかっ込む。
「王子、さっさと食べて帰ってくださいね」
いつものようにつれない態度をとれば、アンセルムが不満そうに声を上げる。
「食事は良く噛まないと駄目だよ?」
そんなにがっついて食べなくてもという。
「俺は結構、忙しいんですッ」
本当は忙しくなんてないのだが、アンセルムの見せた表情がやけに気になり、仁の気持ちは落ち着かない。
忙しいふりをし、帰りたくないと駄々をこねるアンセルムを騎士に頼んで連れて帰ってもらう。
一人になったら落ち着くと思っていたのに、今だ落ち着く様子がない。
「なんなんだよ!」
別にアンセルムが泣こうが笑おうが気になった事なんてないのに。