獣人、恋慕ノ情ヲ抱ク

揺れ動く心

 距離をとるにも何から始めるべきなのか。それを考えるだけで憂鬱になる。何度もライナーの邪魔になっていないかと悩んだ。直接聞いたこともあったがその時はエメと過ごす時間が好きと言ってくれたので傍にいることにした。
「食事の用意はしたいよな。時間が不規則だから食事をとらないときもあるし。時間があるときに栄養のあるものをたべてほしい」
 掃除でもそうだ。片付ける暇がないので定期的に見てあげたい。
 そんなことを考えていると結局は離れることなどできないわけで、お昼にご飯を一緒に食べるのをやめるくらいしかできない。それも嫌だが距離を置くには我慢すべきだろう。
「俺、ライナー先生離れできるのかな」
 思わず口に出てしまった言葉にため息をついたところに、
「そりゃ無理だろ」
 独り言のつもりが返事がくるとは思わず、驚いてあたりを見渡すとジェラールが「よう」と手を挙げてあいさつをする。
「なんでいるの」
「ライナー先生に用があってその帰り」
 診療所に用があるとしたら騎士団の誰かがけが人がでたか、保護した子供たちの診療を頼みに行ったかだろう。
 ジェラールはよほどでないかぎり診療所へと足を運ぶことはしないのだから。
「ていうかさ、なんでライナー先生と離れようと思ったわけ?」
 理由を聞き出そうと迫られてエメは一歩後ろに下がる。
「それよりもライナー先生に何の用事だったの?」
 話すつもりがないので質問を質問で返した。
「ふ、そいつはライナー先生に聞きな。エメにも関係することだからさ」
 素直に話さないのはエメが答えないからだろう。
「わかった。ライナー先生に聞くよ」
 じゃあねと手を振りジェラールのそばを離れた。
 自分にも関係する話しとなると、リュンのように保護された子供のことだろうか。食事を用意してほしいと頼まれたことがあるからだ。
 忙しくなるのだからお昼を一緒に食べられなくなるからと、理由ができて心の奥でほっとしている自分がいた。

 いつものように屋上でお弁当を広げて食べ始める。
「ライナー先生、途中でジェラールに会ったんだけど、話があるんだよね」
「あぁ。今年、保護施設で成人の儀を迎える子がふたりいるのだが、パン屋で雇ってはもらえないだろうか」
 パン屋で誰かを雇うという話しは躊躇いが生じた。ミヒルの一件があったからだ。
 彼のしたことは理解できないし憤りしかない。結局は子供たちを売買目的で捕えようと店を利用されたのだ。自分も罪に加担した、そう思い落ち込んだ時もあった。だがバードとしての彼は嫌いではなかった。だから余計につらかった。
 誰かを雇うのは正直言って怖い。裏切られてしまったらと思うと。
「エメの気持ちはわかるが、ふたりに会ってみないか?」
 気持ちを分かったうえで話すのだから、その相手のことを知っているのかもしれない。
 しかもエメにとってもプラスになることなのだろう。後は自分の気持ち次第か。
「会うだけなら」
 ただ働きたいというのなら断るつもりだ。
「今晩、連れて来ても?」
「いいよ」
 ふたりを連れてくるのなら夕食の用意も必要だ。菓子パンを何個かとっておこう。
 どんな相手なのかを思うと気は重いが、家へと招くのだから美味しい料理でもてなしたい。
 店を早めに切り上げようと休憩時間を減らして店に戻ることにした。

 夕食のメニューは揚げ鳥肉と焼いた肉の塊を薄く切ったものを野菜にのせてタレをかけたもの、干し肉のスープとパンだ。
 肉の塊は既にパン窯で焼いておいた。鳥肉は焼き縮みを防ぎ、味馴染みが良くするためにフォークで穴をあけておいた。
 スープはカブーラという白い野菜と干し肉を入れる。カブーラはとろけるような触感と肉の旨味をよく吸うのでスープに入れると美味い。
 そろそろ鳥肉の調理に取り掛かろうとしていた時、ライナーが双子の獣人を連れて帰ってきた。
「ライナー先生、おかえりなさい。そしていらっしゃい、ふたりとも。俺はエメっていいます。お名前を聞いてもいいかな」
「はい。俺はギー、そして弟のルネです」
「今日はお会いできて嬉しいです」
 ふたりは礼儀正しく頭を下げて挨拶をすると手を差し出した。保護施設では成人の儀を終えて大人の仲間入りをした獣人が一人でやっていけるように礼儀作法や勉強を教えていると聞いたことがある。
「よろしくね」
 その手を握りしめると、改めて部屋へと上がるように促した。
「いいにおいがするな」
 そうライナーが口にし、ギーとルネもクンクンと匂いを嗅いでいた。
「ご飯の用意をしているから食べて行ってね」
 ギーとルネを誘いテーブル席へと向かう。出来上がった料理は既に並べてあるのでそれを見たふたりの耳と尻尾が立ち上がる。
「うわぁ、美味しそう」
「いいんですか?」
「もちろん。ね、ライナー先生」
「あぁ。エメの作る料理は美味いぞ」
 座ってと並びの椅子を引くが、ギーとルネは立ったままだ。
「どうしたの」
「あの、お食事の前によいでしょうか」
 そう断りを入れ、
「ライナー先生から保護施設で食べている美味しいパンを作っているのはエメさんだってことを聞きました」
「皆、パンを食べるのが楽しみで、いつか俺も皆を笑顔にするような美味しいパンを焼きたいって思うようになって」
 キラキラとした目を向けて交互に話をし、
「お願いします。俺たちを弟子にしてください」
 ギーとルネの声が重なり、深く頭を下げた。
 祖父がパンを作る姿を見た時、エメも彼らのような目をしていたと親から言われたことがある。
 どうしてあんなに美味しいパンが焼けるのだろう。自分も焼いてみたい。憧れから今の自分がいる。
 切っ掛けは同じ。しかも真剣にな彼らを無下になどできようものか。
 ライナーは確信していたに違いない。エメが気に入ることを。
「ふたりとも、朝早いけれど大丈夫かな」
 その言葉を聞いた瞬間、ギーとルネの耳と尻尾がシンクロし立ち上がる。
「はい!」
「がんばります」
「よし。それじゃ、明日からよろしくね」
「はい。ありがとうございます」
 改めてふたりと握手をかわし、席に座るように促した。
 味のしみた鳥肉を小麦にまぶして熱した種油へと入れ、あつあつの揚げ鶏肉の完成だ。
 香ばしいにおいは若い獣人の鼻を刺激したようで、早く食べたいと顔に書いてある。素直な反応を見せる双子は可愛い。
「さ、熱いうちに召し上がれ」
 大皿に揚げ鳥肉を盛りスープをよそう。
 良い食べっぷりを見せるギーとルネに頬が緩む。自分には年上の兄弟しかおらず、弟がいたらこんなかんじなのだろうとほほえましい気持ちとなった。
「美味しいです」
「ライナー先生が自慢するのわかります」
 それは寝耳に水だ。
「ライナー先生、自慢って」
「あ……ほら、エメのパンが美味しいから。他の料理も美味しいんじゃないかという話しになって。な」
「え、えぇ、そうです」
 何か含みのあるような言い方だが自分の知らぬところで褒めて貰えたのは嬉しいので追及はしなかった。

 ふたりと仲良くなりお土産にパンを持たせ保護施設へと帰っていった。
 お茶を飲みながらふたりのことを話していたら、
「エメ、もう一つ頼みごとがあるギーとルネに関する頼み事なら聞くつもりだ。
「ふたりは一週間以内に施設をでなければならない。当面の間、エメの家に住まわせてもらえないか?」
 保護施設は親のいない子、虐げられて傷ついた子、売買目的で買われ保護した子などがいて、成人の儀を終えると一人達をする。そして当面は雇い主が住まいを用意するそうだ。
「そうだったね。でも三人で住むには狭いかも」
 当面はギーとルネには一緒の部屋で我慢してもらおう。
「エメは俺の所へくるだろう?」
 あまりに当然のことのようにいうものだから一瞬ためらった。
「ライナー先生の所で一緒に」
 尻尾をぶんぶんと振り回して喜んでいたが、はたっとなる。
「まって、やっぱりそれは……」
 部屋を貸したら住まう場所がない。だから誘ってくれているのはわかっているがそれは非常にまずい。
 ライナーと住むのは嫌ではない。ただ離れようとしていたのに前よりも近づいてしまうからだ。
「俺と住むのは嫌か?」
 店で寝泊りをするからと断ろうとしたが、それよりも先に言われてしまった。
「そんなことない」
 本当はすごく嬉しい。
「そうか。それなら寝床も一緒で構わないよな?」
 ぐいぐいと近づいてくるライナーから逃れることは、エメにはできるはずがない。
「ハイ、カマイマセン」
「嫌だと断られたらへこむところだった。いい返事をもらえてよかったぞ」
 そう素敵な笑顔とともにライナーが口にする。
 それにホワンとなりかけたが、距離をとろうとしていたのにさらに近づいてしまった。
 だが今更なかったことにはできない。ジェラールがいった通りとなった。
 しかも心は正直だ。離れられない理由がまたできて喜んでいるのだから。
「うん」
 手の届く所にライナーがいる。それがエメに欲を持たせる。離れる選択ではなく誰にも譲らない選択をしてもいいのだろうか。
 もし、そうだとしたら。
 尻尾が揺らぎだす。嬉しい、幸せという気持ちでいっぱいとなった。