獣人、恋慕ノ情ヲ抱ク

看護師

 診療所に新しい看護師が入ったという話はあっという間に広がった。大抵の人がお世話になっている場所だ。うわさが広がるのも早い。
 しかも知り合いがパンを買いに来るたびに看護師の話をしていくのだ。
「診療所の看護師さん、ニコラさんっていうのよ。ほら、パルファンのドニちゃんいるじゃない。見た目はあんな感じよ」
 ドニはブレーズの友達で背が低くて可愛い顔をした子だ。
「そうなんですか」
 何故か気持ちが焦り落ち着かない。
「あらやだ、エメってば、やいているの?」
「え!?」
 そう言われて驚いた。
「そんなことないですよ」
 否定するように手を振るが、
「尻尾、膨らんでる」
 と言われて触れてみた。
「わぁ、本当だ」
 まさかそんなことになっているとは思わず、つかんだまま笑って誤魔化す。
「ドニみたいっておばちゃんがいうから、ニコラさんに期待しちゃったかな」
「あらやだ、そういうこと」
 そういうとまたねといってパン屋を出ていく。それを見送った後にエメは大きく息をはいてしゃがみこんだ。
 言われるまで気が付かなかった。焦りはニコラに対してだということを。まだ見ぬ相手にそんなことを思うなんて。
「ドニみたいな子だったら、ライナー先生、好きになっちゃうかも」
 同じ種族であり獣人の国にきたばかりなのだからエメよりもニコラの方が気になるだろうし、可愛いとなればなおさらだ。
「はぁ、俺の居場所がなくなっちゃうかな」
 そんなことを思ってしまうくらいなのだから、ライナーに番ができたら自分はどうなってしまうのだろう。よくも邪魔してはいけないなんて思えたものだ。それもきっと彼に浮いた話の一つもなかったからだろう。

 お昼に診療所へ行くのが嫌だと思ったことは一度もなかったのに今日は足が重く感じる。
 だが注文を受けているので診療所へは向かわないといけない。
 パンとライナーのお弁当をもって診療所へと行くと受付へ声をかけて中へと入る。
「お待たせしました」
 明るく声をかけると、その中に見つけた。噂通り、可愛い人の子が。
「あ、はじめまして」
「はじめまして。エメさんですよね。お話に聞いていた通りです」
 笑顔を浮かべて両手で手を握りしめた。その仕草にドキッと心臓が高鳴った。
「ニコラさん、ですよね」
「名前を知っていてくれたんですね嬉しい」
 なんとかわいらしいのだろう。会ったばかりで好感のもてる人の子だった。
「ライナー先生がエメさんの話をたくさん聞かせてくれて。会うのがすごく楽しみだったんですよ」
 そんなふうに言われたら嬉しくないわけがない。
 後頭部に手をやり尻尾を揺らすと、ニコラが可愛いと口にする。
「ニコラさんのような可愛い方に言われると照れますね」
「そんなっ、エメさんの方が可愛いですよ」
 きゃっきゃと照れあいながら話をしていると、手にファイルを持ったライナーが間に割り込んだ。
「いいな、若者達が戯れる姿は」
「ライナー先生」
 パッとライナーの方へと顔を向けると、
「ライナー先生だってまだお若いでしょうに」
 ニコラがライナーの腕に触れた。
「あ」
 思わず声が出てしまい、それにふたりが反応してこちらへと顔を向けた。
「どうしたんだ?」
 腕に触ったからと何故声が出たのか。他のライナー先生や看護師が触れているのを何度か見たことがあるが、思わず声が出てしまうなんてことは一度もなかったというのに。
「うんん。ご飯食べようか」
「そうだな。ニコラ、このファイルを片付けておいて」
「わかりました」
 ファイルを受け取り、行ってらっしゃいと手を振った。

 ご飯を食べた後は互いに寄り添ってのんびりと日向ぼっこの時間だ。
「はぁ、この時間って眠くなるよね」
「あぁ。だが、この誘惑に負けてしまったら最後だぞ」
 その通りだ。少しのつもりが一時間、二時間とたっている時がある。
「そうなんだけどね。こうしていたい」
「俺もだ。日向ぼっこをした後のお前の匂いが好きなんだよなぁ」
 お日様の匂いだと鼻を近づけて嗅いでいる。それがくすぐったくて、体を支えている手を尻尾で叩いた。
「ライナー先生はダメ。くすぐったいんだもの」
 ライナーに匂いを嗅がれると体がぞくぞくとして落ち着かないからだ。
「エメだって匂いを嗅ぐだろう?」
「俺はいいの。ライナー先生の服が臭くないかチェックしているだけだから」
「ミドル脂臭か? 獣人は人の子よりも嗅覚が優れているからな」
 自分の匂いを嗅いで首を傾げている。
「ライナー先生は忙しいと何日も同じの着ているでしょ」
「そういうことか」
 椅子に掛けたまま持ち帰るのを忘れることがある。
「臭いから近寄らないでと言われなくて良かった」
「言わないよ。ライナー先生の傍にいたいもの」
「そうか。可愛いなエメは」
 と耳に軽く口づける。完全に子ども扱いだ。
「ライナー先生、俺は立派な大人の雄ですけど」
「わかっているよ」
 乱暴に頭をなでると立ち上がった。
「さてと、そろそろ時間だな」
 大きく伸びをしてズボンの後ろをはたいた。
 いつも階段を下りて病院の出入り口まで送ってくれる。ゆっくりと歩くのは少しでも長く一緒にいたいからだ。
「ライナー先生、今日はレッドトマのスープだよ」
 レッドトマという甘みと酸味がある赤色の野菜で作ったスープで、細かく叩いた肉を団子状にしたものをその中に入れると美味しい。それに硬めに焼いたパンを浸して食べる。
「わかった。エメ、今日もありがとうな。気を付けて帰れよ」
「うん。ライナー先生もお仕事頑張って」
 またねの挨拶をしているところに、
「うわぁ」
 近くで声が上がり、そろってそちらの方へと顔を向けた。そこにいるのはニコラだ。
「ごめんなさい、邪魔をするつもりじゃ……」
 口元に手を当ててうつむいている。
「これ、俺とライナー先生のまたねの挨拶なんだ」
「またねの挨拶?」
 診療所の人は皆知っている。ふたりにとっては挨拶だからだから誰かの前でもする。いつまでも甘えん坊だとからかわれるがそれでもやめたくはない。
「てっきり恋人同士なのかと思いましたよ」
「あ……勘違いさせちゃったかな」
 あまりに距離が近いからだろう。親子ほどの歳が離れた相手などライナーは恋人のように思うことはないだろう。だから勘違いさせてしまったとエメは思うのだ。
「俺には兄と姉はいるが弟はいなくてな。つい、可愛くて甘えてしまうんだ」
 そういうことだよ、とライナーがニコラにいう。
「いつまでも子ども扱いなんだよ俺は」
「あー、わかります。歳の離れた兄弟って親のように子ども扱いしますよね。俺にも歳の離れた従姉がいるので」
「そうなんだよ。エメはひとり身で可愛そうな兄を甘やかせてくれる優しい子なんだ。だから本気で嫌がったり恋人ができるまでは続けるつもりだ」
 ライナーが恋人を作るまでは相手を作るつもりはないので当分は甘えられることになる。
 嬉しくて尻尾を揺らしていると、ニコラが小さく笑った。
「そうなんですね。さ、そろそろお仕事の時間ですよライナー先生」
「そうだな」
 ライナーが手を上げ、それにこたえるように手を振ると二人の姿を眺める。
 エメにするようにニコラの髪を撫でた。子供にする所は見たことがあるが、自分以外の同じ年頃にはなかった。だから気になってしまったのだろう。