記憶が戻る
家に帰った後、にっこりのパンが欲しいとリュンがいうのでエメのパン屋へと向かった。
お店の中へと入るとバードがいらっしゃいと声をかけてる。
「リュン」
「にっこりのパンがほしいの」
照れながらそう告げてブレーズの後ろへと隠れた。
「はい。今用意しますね」
奥へとバードが引っ込み、かわりにエメがブレーズ達のもとへ来る。
「にっこりのパン、あぁ、子供限定のパンね。あれさ、バードが考えたんだけどすごく好評なんだよね」
あれはエメではなくバードが描いていたという事実にある疑問が浮かんだ。
「え、でもバードさんは俺が初めてパン屋に来たときはいなかったよ」
「うん。雇ったのはつい最近だから」
にっこりはクリームパン、リュンはそう話していた。
パンに描いたのがバードだということは「覚えていたんだねっ」というセリフは一体いつのことを言っているのだろうか。
「ブレーズさん、どうしたの?」
「あ、うん、ごめんなんでもない」
「そう」
バードがクリームパンをもって戻り、代金を払ってそれを受け取った。
「わ、きょうのにっこり、ほっぺがまっか」
「こうしたらもっとかわいいんじゃないかって。エメさんのアイデアなんですよ」
バードの、喜ぶリュンを見る目は優しい。だけど不安で胸がもやもやとしていた。
「よかったね、リュン」
リュンの手を握りしめる。けして離れぬようにと。
「帰ろう」
「うん。またね」
手を振るリュンに応えるようにふたりが手を振り返す。
笑顔を浮かべる姿が今が怖い。はやくここから離れないといけない、気持ちが焦りブレーズは挨拶もせずに店を後にした。
バードの言葉が頭の中から離れない。きっと、エメよりも前にリュンを知っている。どこで会ったかを考えると行きつくのは一つだった。
はやく家に帰らないと。リュンの手を引いたまま歩みが早くなるが、途中で腕が止まり振り向いた。
「ブレーズ」
「リュン、頑張って歩いて」
帰らなければ。そればかりが頭の中にあり、再び腕を引っ張り行くよと口にするが、
「なぁ、お兄ちゃん、子供が辛そうだぜ?」
と後ろから肩をたたかれた。
振り向くとそこにいたのは人の子で、175センチある自分より背丈がり顎髭を生やした壮年の男だった。
「貴方は」
「ライナーせんせい!」
リュンの視線に合わせるようにしゃがみこむ。
「リュン、元気か?」
「うん。ライナーせんせい、きょうははくいじゃないんだね」
「あ、もしかして診療所の先生ですか?」
パン屋の近くには人の子も診てもらえる診療所があり、リュンはそこにいたので怖がることなく話していた。
「はじめまして、ブレーズさん。俺はライナーだ」
「え、名前……」
「エメからリュンと一緒に暮らしていると聞いていてな。それにかわいい人だと言っていたから間違いないだろう」
獣人からしたら自分など背の高いほうではないだろうし、ライナーのように男らしい顔たちではないが、けして中世的な顔たちというわけでもない。
だが年上の人に言われると妙に照れくさい。
「何かあったのか。先生に話してごらん」
両肩に手をやり優しく語りかけられ、強張っていた体から力が抜ける。包容力と安心感がブレーズを落ち着かせたのだ。
「すみません、焦ってリュンのことを考えていませんでした」
「そうだな。だが、そうなるにも理由があったからだろう?」
話を聞くのがうまい人だ。
「先生はリュンの事情を知っていますよね?」
「あぁ。俺ともう一人の先生、そして担当した看護師は事情を知っている。なぁ、ブレーズさん。診療所へこないか」
「はい。お邪魔します」
診療所の表門ではなく裏門から入る。ここは医師や看護師用の出入り口として使用されているそうだ。
「診療室ですか」
「あぁ。リュンは久しぶりだろ」
「うん。あれからびょうきになってないよ」
「偉いな」
と優しく頭をなでた。
「ブレーズさん、話せるか」
「はい。実はリュンが手に持っているパンのことで」
「あぁ、バードが描いているんだよな。病気の子たちに笑顔をくれる」
「これ?」
リュンがパンをふたりに見せるようにかかげた。
きっと何かを覚えていると感じたが、辛いことを思い出させるのではないかと口にすることができない。
「もし、なにかあれば俺が診る」
ライナーの言葉が背中を押してくれる。ブレーズは意を決し、
「そう、これのこと。どうしてにっこりはクリームパンなの?」
とリュンに尋ねた。
「ん、かいてあったから。にっこりできるようにって、え、あれ、だれだろう……」
その理由を考えているのか右に左にと首を傾げ、そして動きが止まる。
何か思いついたのだろうか。ブレーズはリュンの肩をつかむ。
「思い出した?」
「となりの、おんなのこといっしょに、にっこりのひは、みんなにっこりになるの」
ぽつり、ぽつりと話始めると表情が消えてぼんやりと遠くを見つめた。
「でも、となりのおんなのこも、いっしょにあそんだおとこのこもいつのまにかいなくなって、ぼくだけにっ」
徐々に表情が強張り体をふるわせてしゃがみこんだ。
「リュン、ごめんね」
大きな目からな涙が零れ落ち、震える体を抱きしめて背中を優しくさすった。
「リュン、ここがどこかわかるか?」
ライナーがそう尋ねると、リュンは小さくうなずいた。
「うん。ぼくね、リュンってなまえじゃないんだ。フォンスっていうの。ほんとうはね、たまにこわいおすのじゅうじんがフォンスってぼくをよぶこえがきこえたんだけど、ききたくなくてちぢこまってたの」
それが記憶を失い、人を怖がるきっかけとなったのだろう。
「でもね、セドリックがぼくをりゅんとよんで、ブレーズにもよばれて、むねがぽかぽかであったかくて。だからこのままでいたいっておもってた」
リュンとして生きる道を選んだ。このまま辛い記憶など思い出さずにいたかっただろう。だが、記憶の扉は開いてしまった。
「ブレーズ、ぼくはね、リュンのままでいたい。ふたりといっしょにいたい」
「僕だってリュンと離れるのは嫌だよ。ずっと一緒にいたい」
リュンとセドリックと、三人で一緒に。
「ふぇぇん、ぶれぇず」
ふたりで泣いて落ち着いたころ、ライナーから濡れたタオルを手渡された。
「目が真っ赤だぞ」
「ありがとうございます」
それを受け取ると目を冷やす。
「リュンは少し休もうか」
「うん。すこしつかれちゃった」
記憶が戻りたくさん泣いた。精神的に疲れてしまったのだろう、うとうととしはじめていた。
「ここに横になるといい」
診察台の上に寝かせてタオルケットを掛けるとすぐに眠りについた。
「さて、ブレーズはどうしたい?」
これはセドリックに伝えなければいけないことだ。騎士団は身売りを追っているのだから。
だが伝える前に自ら確認したかった。バードの本心を。
「バードに会ってこようと思います」
「一緒に行こうか?」
「いえ。リュンのことをお願いしても」
「わかった。いっておいで」
後のことをライナーに任せ、ブレーズは一人パン屋にいるバードの元へ向かった。
パン屋まであと少しというところで一度立ち止まりセドリックの印を撫でた。一人ではないから大丈夫、そう自分に言い聞かせる。
ぐっと力を込めて一歩踏み出したところでパン屋の出入り口のドアが開きバードが頭を下げて中から外へと出てくるところだった。
そしてこちらに気が付き、こちらへと近づいてきた。
「ブレーズさん、どうしたんですか。忘れ物かなにかありましたか?」
帰ったはずのブレーズがいるのだからそう思うだろう。だから違うと首を横に振った。
「バードに話があって」
そう告げると、ぐっと体が強張るのがわかった。
「リュンのことで、ですか?」
いつもと変わらぬ顔で知らぬ名を告げる。ブレーズに緊張が走り体が強張った。
一番あってほしくなかった。バードが仲間であるということを。
「どうしてこの街にきたの!」
その言葉にバードの表情が消える。愛想のよい顔しか見たことがなかった。ゆえに別の獣人を見ているかの気持ちになる。
「知っていますか。王都の華やかさの裏にかくれた薄汚れた場所のことを」
夢を抱いて王都に出てきたはよいが失敗し金もなく薄暗い裏通りに住む獣人のことだ。
「知っているよ」
「そうですか。親のいない子は施設に入りますよね。でも親のいる子は対象外なんです。金の為に体を売ったり、朝から晩まで肉体労働をさせられたりね」
そう口にし、拳を強く握りしめた。
「そして得たお金は子供の為に使うわけでもなく親が自らのために使う、借金の返済に使用する。それだけではない。うっぷんを晴らすために暴力をふるうこともあるんですよ」
最低でしょう? と唇をゆがめた。
「俺も親に恵まれてなくて。ずっと暴力を受けてました。次第に同じ境遇の奴らとスリをするようになりました。そして……、あの男と出会ったんです」
無表情だったバードの表情が苦々しいものとかわる。
「君たちのような子供たちを助けたい。手伝ってくれたらお金をあげる、そう言われたんです。盗みで得た金よりもたくさんもらえ、しかも人助けをする。それは男の甘い誘惑でした」
子供を保護してお金持ちに預ける。バードは本当にいいことをしていると思っていたのだろう。
だが、それが子供を売ることで得たお金であると知ったころには後戻りができなくなっていたそうだ。
「売られてくる子供の大抵は親に酷い扱いを受けています。あの子もそうでした。連れてきたときはすごい怪我を受けていて治るまで俺が面倒を見ることになりました。素直に慕ってくれるのが嬉しくて、こんなことをしていてはダメだって思うようになったんです。でも、俺は怖くて逃げられなくて、せめて彼だけはと病気を装い逃がしました」
再会は本当に偶然だった。すごく驚いたけれど自分を覚えていなかったこと、元気な姿を見れたことが嬉しかったと、バードはいうとパン屋で見かける優し気な表情を浮かべた。
「そろそろ子供たちをつれてこの街を離れることになります。どうか、俺たちを探してだしてください」
そういうと頭を下げて歩いて行った。
俺たちを止めてください、そう伝えるかのように。