意中之人
大津の両親はとても厳しい人だった。
幼き頃はいつも顔色を伺いながら過ごしてきた。
親に怒られないように、と、それだけを思い勉強も剣術も真面目に取り組んだ。
だが、そんな日々も終わりを告げた。
「お前に同心株を与えよう」
町奉行に近い場所に屋敷を与えられ、そこで暮らすことになるのだが、それは大津を追い出したいがためのことだった。
「そんな、父上……」
大津は嫡男。なのに追い出されるだなんて。
愕然とする大津に、父親は、
「家のことはお主が気にすることではない」
既に大津の居場所はないと、遠まわしに言われてしまった。しかも大津家には格上の武家から嫁を貰うことになっていて、相手は自分の弟だ。
彼は評判の爽やかな風貌をしており、周りには兄弟なのが信じられないと言われてきて、その都度、自分は両親の悪い所とりなんだとかえしていた。
だが、自分よりも弟をとったことで全てのことがどうでも良くなった。
楽しく暮らせればそれでいいと思うようになった。
だが、その頃の大津は青木のことを好きではなかった。ただ、利用できるものは利用する、そんな気持ちだった。
「大津の愛想は上辺だけだな」
一度、そう言われたことがある。
誰にも気がつかれたことがないのに意外と良く見ている。それから少しずつだが青木を見る目が変わった。
しかも、
「お前等のことを配下として利用する。お前等は私のことを上役として利用しろ。何かしても揉み消してやるから」
と言われ、大津はこの人についていこうと決めた。
親に見捨てられた自分を見捨てないでいてくれる。そのことが嬉しかったからだ。
だから幼馴染に以上に敵対心を持ち酷いことをした時も、喜んで手伝った。
なのに、最後は青木だけ町奉行に残り大津と熊田は切られてしまった。
裏切られたとはじめの頃は青木を恨んだ。だが、そういう訳ではなかった。
青木が頬を腫らしている姿を見た。
辞めると言った彼を、幼馴染が殴って止めたのだと言う。
彼を止めてくれる者がいる。それが余計に大津をイラつかせた。
自分にはそんな存在はいなかった。それが大津を酒におぼれさせた。
毎日飲んで歩いて、次第に銭は底をつき、つけで飲もうと思ったら、町奉行でなくなった大津など怖くないと、店からは追い出されてしまう。
なにもする気が無くふらふらとしていた所に幸之丞に拾われた。
彼の所で世話になるようになり、酒を買いに行った先で楽しげな外山と青木を見た。
それが大津の闇に火をつけてしまった。
もともと青木に好意を寄せていた熊田を誘い彼を犯したが、心は晴れずに罪悪感の方が勝った。
青木は途中で抵抗するのをやめた。こうされても仕方がないと、そう諦めた表情を浮かべていたからだ。
『もう、私とお前たちは何の関係もない』
そう言われて、自分がそうしてしまったのだと悲しくなった。
本気で、青木のことが好きだった。
だが、ムリヤリ手に入れようとしたのはまずい。
それに気が付いたときにはもう遅く、それならば彼の為に役に立てる男になろうと気持ちを切り替えた。
あの日以来、会いに行くのは怖かった。きっと自分の姿を見たくはなかったはずだ。
だが、青木は気まずそうな顔はしていたが何も言わなかった。きっと自分がされたことを外山に知られたくなくて大津に帰れと言えなかったのだろう。
それを良いことに、大津は青木に会いに行くようになった。
幸之丞から向けられる愛は大津を困惑させ、怖いと思わせる。
「大津、何か悩み事か?」
いつものように二人の間を邪魔しに向かい、うめの作った饅頭を食べていたのだが、一口食べた所でぼっとしていた。
「あんっ、特に何もないけど」
誤魔化すようにいつものへらへらとした笑いを浮かべる。
「お前はいつもあの上辺だけの笑いを浮かべていて何を考えているのか誤魔化す癖があるが、意外と解るぞ?」
図星され、相変わらず良く見ているなと饅頭を頬張る。
それをお茶で流し、
「いやね、俺のことをここに置いてくれねぇかなって」
と軽い口調で言う。
「お主、何かあったのか?」
聞き返してくる青木の目は本気で、驚いて目を見開く。
こんな自分を心配してくれている。それが嬉しくて照れた笑いを浮かべる。
「ん、もしかしたら用心棒の職を失うかもしんねぇのよ」
その言葉に腕を組み何かを真剣に考えはじめる。
「そうか。大した給金は払えぬが、私の間者となるか?」
こんな男を間者として雇おうだなんて。青木に酷いことをしたことがあるというのに、信頼してくれると言うのか。
「優しいよな。やっぱ、青木様のことが好きだ」
「そうか。嬉しいぞ」
友として好きだと思っているようで、良い笑顔を向けながらそう口にする。
「言っておくけど、アンタが外山を想う気持ちと一緒ってことだからな」
「そ、そうか……」
照れて真っ赤に顔を染める青木の姿に、目を細めて微笑む。
少し前の青木は他人を見下した顔をしていた。色々な表情を見せるようになったのは外山の影響で、けして大津にはできぬことだ。
だから外山には青木を任せられる。自分は彼らを見守る方を選ぶことにした。
「でもさ、俺じゃアンタを幸せにはできないのよね。だから俺は邪魔をするのに専念するわ」
「うぬっ、邪魔の方は程ほどに、な」
「ははっ、なんだそれ。アンタって結構可愛いよな」
「……大津、私の元へとかならず来るのだぞ?」
「あぁ。ありがとう、青木様」
こんな男に優しく手を差し伸べることができるようになったのも外山のと思うとやっぱり悔しい。