意中之人
もともと、大津義範(おおつよしのり)は町奉行所の同心へはなりたくてなったわけではない。親から与えられたものだ。
それ故に思い入れのない職だったが、青木と出会い、少しだけこの仕事が楽しいと思えるようになった。
だが、ある事件を公にしないかわりに町奉行所をやめることになり、薬種問屋の若旦那である池谷幸之丞(いけやさちのじょう)に拾われ用心棒となった。
「随分とまぁ楽しそうだねぇ」
この頃、暇があると青木の所へと向かう。目的は二つあり、一つは青木と外山の恋仲の邪魔をすること。そしてもう一つはうめの作った饅頭を食べることだ。
「まぁな。普段は良い人ぶった顔をしている外山が、俺の顔を見た瞬間、そりゃ嫌そうな顔をするんだ。それが面白くてな」
クツクツと笑うと、幸之丞は呆れた顔をする。
「悪趣味なことで」
「良いんだよ、あいつにはこのくらいしてやっても。そうだ。饅頭、食うか?」
手拭いに包まれた饅頭を差し出せば、幸之丞は一つ手に取り頬張る。
「美味いね」
「だろ。これも目当ての一つ」
「成程ね」
今度買ってきてよと言えば、酒と一緒に差し入れてくれることになった。
「ところでさ、この頃、熊田さんの姿を見ないけれど、何処へ行ったんだい?」
大津が幸之丞の所で用心棒として雇われた時に、一緒に雇ってほしいと頼んだのは自分だ。
雇い主として気にするのは当然。いつか聞かれるとは思っていたが、ドキッとするものだ。
それがばれないように、怒ったふりをする。
「俺も見てねぇンだよ。雇ってやってと頼んだのは俺なのに、申し訳ねぇ」
「まぁ、私としちゃ、何処に行こうが構わないんだけどね」
そうはっきりと口にし、大津は苦笑いを浮かべる。
幸之丞はただ、自分の腕が欲しくて用心棒として雇ってくれたわけではない。
そのことに大津は気がついていて、幸之丞の方も自分が気が付いていることに気づいている。
「熊田が邪魔?」
「そんなことはないよ。重い荷物がある時なんか役に立つしね」
「なんだよ。結構酷い人だなぁ」
「それは大津さんもじゃないか」
すっと目を細め、大津の顎に細い指が触れる。
幸之丞はここいらの若い娘を虜にする程の色男であり、遊び人だとうわさも絶えない。
大津はつり目で、いつもへらへらとした表情を浮かべているのだが、捕り物の時は鋭い眼光で盗人を追いかける。
幸之丞との出会いは、まだ大津が同心だった頃だ。
店に、荒くれ者が金欲しさにいちゃもんをつけていた。たまたま居合わせた熊田と大津が、見返り欲しさで荒くれ者を退治してやったのだ。
それから何故か会うと花街に誘われたり、家で酒を飲ませてくれたりと二人に良くしてくれたのだ。
その時は互いに互いを利用してやろうという気持ちしかなかった。
だが、主と用心棒という間柄になった途端、幸之丞は自分の気持ちを隠さなくなった。
「なぁ、大津さん。そろそろ私の気持ちに応えてはくれないだろうか」
「本気な相手と寝るのは嫌だね」
後々、面倒なことになるに違いない。そんなことは真っ平御免だ。
「一人で抜くより、互いに肌を重ね合う方が気持ち良くなれる」
青木の幻を抱きながらしていたのを見られていたか。
大津は別に見られたからと恥ずかしがるような男ではない。逆に金をとり見せてやることもあった。
「ただ見しやがって」
「なら、金を払えばやらせてくれるのかい?」
「俺は用心棒として雇われてんだ。金を払うなら陰間茶屋にでも行きな」
手をひらひらと振り、大津は幸之丞から離れようとするが、腕を掴まれてしまう。
今日はやたらとしつこい。
「離せよ」
凄みを効かせて睨みつければ、
「怖いなぁ」
と腕を離した。
「アンタの周りには美味いものがわんさか転がってんだ。わざわざ不味いモンに手ぇ出さなくてもいいじゃねぇの」
自分で言うのもなんだが、性格も容姿も良くない男を好きになる意味が解らない。
「そうかね。私にとっては大津さんは極上の逸品なんだけどねぇ」
「はっ、物好きめ」
付き合いきれねぇと、今度こそ部屋を出ていこうとすれば、幸之丞に腰を抱かれて唇を奪われた。
「んっ、てめぇ」
間近で睨みつけるが、幸之丞の目元は笑っている。
(本当、食えねぇ男だッ)
さらに口づけは深くなり翻弄される。遊んでいるだけあって手馴れているし上手い。
「……ふぁ」
秋波を送る色男におなごならころりと落ちることだろう。だが、大津はしつこいと舌を噛んでやった。
「いっ」
唇が離れ、大津は幸之丞の肩を叩く。
「噛み千切られないだけましだと思え」
そう唇を拭うと今度こそ部屋を出て行った。
大津は自分が振り回されるのは嫌いだ。
あの手の男は上手く自分の方へと引き込もうとする。
折角、楽で良い稼ぎ場所であったが、あまりしつこいようなら考えなければいけない。
「その時は青木様に雇ってもらおうかな」
報酬に雨風がしのげる場所と飯があればいい。ただ、美味い酒が飲めなくなるのは残念だ。