嫉心<青木と外山>

 頬を腫した青木の姿は朝から注目の的であり、その視線は後ろをついて歩く外山にまで注がれる。
 皆に目を向けられることになるのは、実は二度目であった。
 一度目は青木が行った行為に対してだ。外山と将吾の目の前で榊に殴られる青木の姿を思い出す。
 責任は青木にあるがお咎めは無く、加担した大津と熊田と数名の配下はやめることとなった。
 そして傍には外山を監視役として置くことになった訳だ。
 榊がどのような手をつかったのかは、聞かぬ方が御身のためと言われ、怖くて言うとおりにした。
 二度目、そう、今、青木が頬を腫らせている原因となったのは、与力から退くと言いだしたからだ。
 それを聞きつけて止めたのは榊だった。
 以前殴り飛ばした方の頬を殴り飛ばし、
「これからは余計なことを考えずに庶民のために働け」
 そう青木に発破をかけた。榊の気持ちが伝わってくるような言葉と一発だった。
 やっと治りかけてきた頬は再び腫れてしまった。だが痛みと共に榊の言葉を思いだせばいいと外山は思う。

 けして勝つことが出来ない相手と青木は榊を認識したようで、頬を腫らした顔でやたらとすっきりとした顔をしていた。
 このまま二人の距離が縮まれば、青木にとっても良い傾向になりそうだと思う。

※※※

 周りの視線に不機嫌そうな顔をする青木に、更に不機嫌になることを言う。
「青木様、人斬りの一件で榊様がお見えですよ」
 態度があからさまな青木は素直な性格だなと思いつつ、榊の待つ場所へと共にむかう。
 そこにはやたらと爽やかな笑みを浮かべた榊と、渋い表情を浮かべた将吾の姿があった。

 なんという光景だろうか。
 榊に手足の様に使われて文句を言いたそうにしているが、色々と貸しがあるために青木は黙々と働く。
「青木、資料はまだか」
「今まとめている」
「お主、私よりも頭の出来が良いとか、そんなことを言っておらんかったか、ん?」
「くっ」
 ぶるぶると小刻みに震える肩。屈辱的な思いをさせられ怒りで顔が真っ赤になっており、それでも耐えながら仕事をする青木の姿が、なんだかいじらしく見えてくる。
「なんとまぁ、意地の悪い」
 こそっと将吾に耳打ちすれば大きくうなずく。
「あれが榊様の本当の姿だ」
 流石に同情すると、青木を哀れぐむ将吾だ。
 榊は相当に外面が良いということか。あの調子でねちねちとやられたら精神的に参ってしまいそうだ。
「おい、青木、それが終わったら次はこれだ」
 目の前に積まれた山の様な資料に「ぐぅ」と小さく唸り声が聞こえたが、それを無視して出来上がった資料に目を通し始める榊だった。

 青木が解放されたのはそれから半刻後で、ぐったりと座り込む青木の前にお茶と羊羹を置くと、それをちらりと見ていらぬと突っぱねる。
「疲れた時に甘いものを食べるとホッとしますよ」
 羊羹をのせた皿を青木へと手渡すが、なかなか受け取ろうとしないので外山は強引にそれを持たせた。
「外山っ」
「さ、お食べ下さい」
 笑顔で言えばきつく睨まれる。仕方なく食べるんだといわんばかりに菓子楊枝で羊羹を小さき切り分け口に運ぶ。
「……甘い」
 と言いつつ、きつかった目元がふいに和らぐ。もう一口食べた所で羊羹を外山へと渡した。
「あんな奴だったなんて知らなかった」
 今まで一度も自分には本当の姿を見せたことが無いと、それが青木を落ち込ませているようだ。
「でも本当の榊様を知ることが出来たじゃないですか」
 それって心を開いているのでは? と外山が言えば青木がハッと顔を上げる。
「青木さま、今からでも榊様とは好敵手にも友人にもなれますよ」
「な、何を」
「なりたかったんでしょう?」
 同じ目的を持つ同士なのだ。解りあえるはずだと微笑む。
「力になりますから」
 頑張りましょうと言えば、青木がふんと鼻を鳴らして立ち上がった。
「私はあ奴と親友になんてなりたくはない。虫唾が走るわ」
 心から嫌そうな顔をし腕を摩る青木に、素直じゃないなぁと口に出そうになり手で押さえる。
 きっとこの先、自分と磯谷のように助け合う二人を見ることが出来そうな気がするから。
「でもまずは自分たちとの絆をもっと強くしましょうね」
 これから先、上役と配下として付き合っていくのだから。
 その言葉にふんと鼻を鳴らし、
「当たり前のことを言うな。榊になどに負けてたまるか」
 と強気な表情を見せた。

 それから数か月後。
 榊と青木と息の合った二人からの的確な指示により、人斬りの一件は下手人を捕らえて解決となった。
 健闘をたたえるかのように榊が青木の背中を叩くが、それをやめろと言う青木だがその表情はけして嫌そうにはしていなかった。
 そんな姿を満足げに眺める外山に気が付いたのか、みるみるうちに青木の表情が不機嫌なモノへとかわる。
「帰るぞ」
 ふいと背中を向けて歩き出す青木。耳のあたりが真っ赤なのは気のせいではないだろう。
 外山は表情を緩ませながら青木の後ろをついて歩き出した。