兄と幼馴染

 昨夜、晋が家に帰らず、道場にいるのかと思い向かう。
「晋さんはまだ来ておらぬが、何かあったのか」
「実は家に帰っていないんだ」
 昨日、一緒に飲んだといい、随分と酔っていたらしい。
「やはり送るべきだった」
 まさか途中で寝てしまったか、もしくは川に落ちてしまったか。
 真っ青になる平八郎に、落ち着けと忠義が肩をつかむ。
「俺も一緒に探すよ」
「すまぬ、頼む」
 道場から盛り場へ向けて歩いていく。
 特に人だかりもなく、遺体があがるようなことは起きていなそうだ。
 それに川辺で寝ている人を見かけたが晋ではなかった。
「おらぬな」
「一体どこに」
 そして二人の視線はある個所にとまる。そこは遊郭への入り口である。
「まさかな」
 晋も男だ。遊郭で遊ぶことはあるだろう。だが、今まで付き合いで行ったことはあっても一夜を過すことはなかった。
 だが、ここにいないとは限らない。
「平八郎さん、行くか」
「そうだな」
 平八郎はいまだ足を踏み入れたことのない場所だ。
 おなごが嫌いなわけではないが、お酒はあまり好きではないし、どうすればいいのかわからない。きっと遊女に照れてしまうだろう。
 すると遊郭の門から出てくる晋の姿がある。
「兄上」
「晋さん」
「なんだ二人とも」
「はぁ、よかった」
 平八郎は安心してしゃがみこんだ。
 晋だって男だ。遊郭で遊びたいときもあるだろう。
 微かににおうのは残り香だろうか。それが生々しく、平八郎は思わず頬を赤らめる。
「はは。女の匂いに照れておるのか」
 からかうようにいう晋に、忠義が平八郎との間に立つ。
「邪魔をするでない。初心な平八郎にまぐわう良さを教えるいい機会だ」
 前衿をつかまれ、驚く平八郎に忠義が腕をつかむ。
「やめよ」
「はっ、冗談も通じないとは。堅物めが」
 手をひらひらと振り、晋は歩きだす。
 残された二人は晋の後姿を眺めため息をつく。
「一体、どうしてしまったんだ」
「兄上らしくないな」
 晋は色恋よりも剣術な男だ。たまに遊郭に付き合いで行くことはあっても一夜を共にすることはない。
「一緒に探してくれてありがとうな」
「いや」
 忠義と別れて家へと戻ると、晋が平八郎の部屋の前で立っている。
 自分が戻ってくるのを待っていたのだろうか。話をしようと思っていたのでちょうどいい。
「兄上、帰ってこないから心配したんだぞ」
 探していたんだというと、目を細めて口元を笑みを浮かべる。
 なぜだろう。その顔を見た瞬間に鳥肌が立った。
 晋なのに晋でない人を見ているような気持ちになる。
「正吉ではなく俺の心配をするか」
「なぜ、正吉?」
 意味がわからず問い返せば、晋は大きな声で笑い始めた。
 ちりっと首のあたりが嫌な感じがする。
「そうか、正吉よりも俺を選ぶのだな」
 どうして、そんなに喜ぶのだろう。
 頭の中に浮かぶのは幻妖の存在。だが、晋がそんなものに囚われるはずがない、その思いが平八郎にその存在を否定させる。
「あにうえ、少し部屋で休まれては?」
 その間に正吉を呼びに行こう。そう思ったのだが、晋の手が平八郎の腕をつかむ。
「あに、うえ」
「俺は兄上と平八郎と血のつながりはない。だが、愛おしいと思う気持ちを、弟だからと抑えてきた。だが、もう我慢をする必要はないな。想いあっているのだから」
「何をいって」
 痛い程に強く握られ。そのまま腰に腕が回り晋の腕の中へと引き寄せられる。
「あっ」
「好いておるよ、平八郎」
 一方的に想いをぶつけられて抱きしめられる。
「兄上おやめください。離してっ」
 懸命に腕から逃れようとするが力では敵わなく、ギラギラした目を向けられて平八郎に戦慄がはしる。
 怖い。
「平八郎、まぐあおう」
 この状態で気持ちを受け入れることなど出来ない。聴きたくないとばかりに耳を塞いでイヤイヤと首を振る。
「照れておるのか。憂い奴だな」
 顎をつかまれて口づけられる。その瞬間、真っ黒いモノがあふれ出た。
「あっ」
 やはりな。そんな思いと、嘘だと否定する気持ちがぶつかりあう。
 黒い霧は正体のわからぬ化け物のことを言い表す<幻妖>。
 動けないままの平八郎を晋は畳の上へと押し倒して覆いかぶさると衿をつかんで広げた。
 晒された肌をなめまわすように眺め、ごくりと唾を飲み干す音が聞こえてくる。
「綺麗だ」
 真っ白な肌に綺麗な桃色の乳首。ゆっくりと胸元を撫でる手に恐怖も重なり鳥肌が立つ。
 だがそれが乳首をかすめると、びりびりと嫌悪感と体を貫くような何とも言えぬ甘い痺れが平八郎を襲った。
 平八郎の反応に、晋は唇を舐めて目を弓なりに細め、
「感じるか、此処ガァアァァ……」
 と両方を摘まんで捏ねた。
「ひゃっ、や、兄上ぇ」
 嫌だと身をよじりそこから逃げ出そうとするが、無駄な抵抗だとばかりに手首を掴まれ寝間着の帯で縛られてしまう。
「兄上、おやめください。兄上、兄上ぇ!!」
『我ヲ身体ガ覚エルマデヤメヌ』
 幻妖に囚われると欲を満たそうと攻撃的で乱暴的になるのだと空玄が言っていたことを思いだす。
 もしかすれば心の奥までは幻妖に囚われてはおらず、呼べば声が届くかもしれない。
「兄上っ」
 懸命に晋の心の奥に届くようにと声を掛けるが、思い虚しく晋は平八郎の下帯を外した。
「そんな……」
 雄の部分を晒されて、それを舐めるように晋が見る。
 望まぬことをしようとする晋に対し、平八郎は胸が苦しくて涙が出そうだ。
『オ主ノ此処ガ我ニ触レテ欲シイト言ッテオルゾ』
 先端を晋の指に押され、身体が甘く痺れてしまう。
「くっ……」
『ドレ、気持チ良クシテヤロウ』
 手で包まれてそれを擦りあげられる。
「ひゃ、あ、あっ」
 与えられる刺激と快感にたえるために足を閉じようとするが晋の手がそれをさせない。
 そこに玉砂利を踏む音が聞こえ、荷物が落ちる。
 はっとそちらへ顔を向ければ、正吉が駆け込んでくるところだった。
「何やってんでぃっ、晋さん!」
 その表情は怒りに満ちていて、黒い霧がそちらへと向かい漂う。
『ハッ、平八郎ワ我ノ物。貴様ハヤラヌ』
「おやめください、兄上! 正吉、見ないでッ」
 我慢できずに流れ落ちる蜜がマラをこすりあげる度にくちゅくちゅと音をたてる。
 正吉にこんな情けない姿を見せたくなくて必死で晋の手から逃れようと体を揺らすが、その度に身体が刺激されて余計に体と気持ちが高ぶりだして涙が流れる。
「いやぁぁ……」
「やめろ!」
 にやにやとしながら乳首を摘まむ晋に、その行為をやめさせようとその腕を強い力で掴む。
「苦ゥ」
 力負けをし手を離してしまった晋が憎悪の籠った眼を正吉へと向ける。
「これ以上、平八郎が嫌がることをすんじゃねぇ」
 平八郎を奪うように晋から引き離し、自分の背へと隠す様にその前へと立つ正吉だ。
「後で身体を鎮めてやらぁ。ちぃと待ってな」
 そう言うと平八郎の腕を縛り付けていた帯を解き、乱れていた身なりを整えてくれた。
「ありがとう、正吉」
 震える手でぎゅっと正吉の着物の袖を掴んで礼を言う。
 平八郎の頭を軽くぽんと叩き笑みを見せた後に脇差を抜き晋に向かって構えた。
「なっ」
 脇差の刃を向ける正吉に晋は目を見開き、徐々に怒りを露わにした。
「待って、正吉! 兄上は幻妖に囚われておるのだ」
「そうかい。なら手加減はできねぇな」
 その言葉に晋がゆらりと立ち上がる。
『手加減? 素人ノ分際デ、片腹痛イワ』
 本差に手をかけ、一気に引き抜く。
『我ニ勝テルト思ウタカ!』
 どろりと黒い霧が晋からあふれ出て覆うように広がる。
「兄上っ」
 その姿を見て平八郎は力が抜けてしまいその場にヘタりこんでしまう。
「平八郎、時間を稼ぐ。おめぇは八重桜で晋さんを斬れ」
「無理だ」
 足がガクガクして歩けない。
 這いつくばうように二人の傍から離れようとする平八郎に、正吉が何かを言おうとしたその時。晋の鋭い一撃が正吉に襲い掛かった。
「正吉!」
 斬られる。そう思いぎゅっと平八郎は目を閉じれば、キンと刀がぶつかり合う音がする。
 間合いが開き互いに刀を構える。その構えは同じ流派のものだった。
『ソノ構エ、マサカ、オ主!』
「……十二の時に輝重様から頼まれたのよ」
 一体何をだ?
 父親は正吉に何を頼んだというのだろう。
「先々、平八郎にはお主が必要になるだろうからって。あんときゃその意味はわかんなかったが今なら解る。八を受け継ぐアイツを守ってやってくれとな」
 初耳だった。父親が自分のためにそんなことを頼んでいたなんて。
『何故、貴様ガッ』
「輝重様は俺と平八郎の気持ちをよく解ってくださっていたぜ?」
 晋はその言葉の意味に気がついたようだが平八郎にはサッパリわからない。
『フザケルナ!!』
 憎しみのこもった眼を向け晋が力を込めた一発を振り下ろし、それを受ける正吉の脇差の刃とぶつかりあい刃音が響く。
 ぎりぎり刃が合わさったまま互いに力を込めるが力勝負は正吉の方に分があり晋の刀を払う。
 払われて少しよろめきはしたが直ぐに体勢を整えて素早い動きで斬りかかってくる晋に正吉はその刀を受け止めて弾く。
 このままでは二人ともただではすまないかもしれない。
 それでなくとも晋をとらえた幻妖が更に増幅し正吉まで囚われそうになっていて。怖い程の殺気を感じる様になった。
『貴様ナドォォォ』
 斬りかかる刀からも幻妖が噴きだし、正吉の視界を奪う。
「なっ」
「正吉!」
 視界を奪われた正吉が手で黒い霧を払おうと動かすが、その隙を狙うように晋の刀が振りかぶる。
 それを何とかしのぐが体勢を崩してしまいそのまま片足をつく。
『モラッタワ』
 口角を上げ正吉に斬りかかる晋に。
「うおぉぉぉ、兄上ぇぇぇッ」
 鞘から刀を抜いた平八郎が気迫のこもった声をあげ晋めがけて突進する。
『ナ、平八郎』
 正吉を斬る寸前、刀は晋に触れること無くかわされる。
 それでも刀を振るう平八郎に、晋が愕然とした表情を見せた。
『ソンナニ、ア奴ガ大切カ』
 隙だらけの腕では晋には全く歯が立たず。簡単に腕を取られてしまい締め付けられる。
 黒い霧が正吉から自分の方へと向かい、二人を覆い尽くしていく。
「平八郎!!」
 正吉の叫び声が聞こえる。
「すまぬ、兄上。俺は……」
 平八郎が告げた言葉に『ソウカ』と晋の呟く声が聞こえ、八重桜が心臓を貫いた。
 その瞬間、桃色の光がまるで花弁のように舞い幻妖を消し散らした。
「見事」
 そう晋は言うと平八郎の髪を撫でてそのまま崩れ落ち、それを抱きしめた平八郎はすまぬと何度も言いながら涙を流した。