兄と幼馴染
今まで一度たりとも自分から剣術を教えて欲しいと言ってきた試はなく、やっと武士の子らしい姿を見れて嬉しく思った。
だが急に稽古をつけて欲しいと頼まれたのには訳があり、兄の輝定によってその理由を知る。
祖母は既に亡くなっていたのでどんな人かは知らない。父親からも聞いたことはなかった。
ただ、女ながらに見事な剣の腕前であったということを通っている道場で師匠から聞いたことがある。
祖母は人ならぬモノと剣を交え、その力が平八郎に受け継がれたという。
名につけられた「八」の意味は腰に差す刀の名から一文字をつけ、力と共に受け継ぐものだそうだ。
「力になってやってくれ」
平八郎が望まなくとも力は目覚め、幻妖を見ることができるようになってしまったし、向こうからも力を持つ者は敵という認識で襲われてしまう。
今の平八郎では力不足故に守ってほしいとも言われた。
もちろん平八郎のためならば喜んで手も貸す。何があっても守ってやりたい。
「平八郎」
襖越しに声を掛けるが返事がなく、寝ているのかと襖を開ければ、そこに別の姿を見つけて怒りがこみ上げる。
「貴様、平八郎の部屋で何をしている」
寝ている平八郎の隣。横になり、髪へ触れていた。
「触るな」
と手を払いのけると、正吉の目が細められる。
「一体何の用で?」
ただ、友というだけの存在のくせに、理由をたずねてこようとは。
平八郎が頼ったのは自分であり、傍で見守るのは晋の役目だ。正吉はお呼びでない。
「おぬしには関係ない。俺は平八郎に用がある。この部屋から出ていけ」
部屋から追い出そうとするが、正吉は晋を見てへっと鼻で笑う。
「嫉妬丸出しじゃねぇか」
「何っ」
頭に血が上り、正吉の衿をつかんで引っ張り上げる。
「平八郎の隣に俺がいるから気にくわねぇってか?」
「ふざけるな。貴様など頼りにもされておらぬ癖に」
そのまま突き飛ばすように離すと、正吉が尻もちをつく。
「乱暴なこったで」
口元に笑みを浮かべながら目は射るように晋を見ている。それが気にくわなくて殴りかかろうとすると腕をつかまれてしまう。
「貴様」
「黙って殴られっかよ。なぁ、頼りにされてねぇとか言ってたけど、もしかして平八郎の刀と八のことかい?」
「なっ、それをなぜ知っている」
正吉も知っていることに驚き、そしてあることに気が付いた。お呼びでないのは晋の方なのではないだろうかと。
「貴様に平八郎はやらぬ」
正吉が平八郎に対して持っている感情は晋と同じものだ。それゆえにけして譲れない。
「はっ、そいつは平八郎が決めるこった」
と、平八郎の頬をなでると、くすぐったいと笑みを浮かべる。
なんて幸せそうに笑うのだろう。自分には決して見せたことが無い表情だ。
「くそぉぉぉ」
悔しさと怒りで感情が抑えきれず晋は部屋を後にする。
晋と平八郎は従弟の関係だ。両親をはやり病で亡くし輝重の養子となった。
父親と兄は自分を受け入れてくれ家族の一員となった。そして新しい命も誕生した。
小さくて、頬がぷくぷくで甘いにおいのする可愛い存在。兄として守ってあげたいそう思っていた。だが、成長するにつれ、家族として親情ではなく恋愛感情を持つようになってしまったのだ。
自分は平八郎の兄なのだからと恋する気持ちを奥底へとしまいこみ、けして想いを伝えること無く見守っていこうとそう思っていたのに、奪われることがこんなにも悔しいとは思わなかった。
気を紛らわすために向かったのは晋が通う道場であった。
今日は休館日で、門下生は誰もいない。
「すまぬ、休館日だというのに」
「構わないよ」
と、この道場の息子である羽生忠義(はにゅうただよし)は嫌な顔を見せること無く晋の相手をしてくれた。
身体を動かせばきっと心もすっきりとするだろう。そう思い忠義に向かって木刀を振るう。
いつもの様に素早い動きで攻めていくのだが、心の中のモヤモヤとした気持ちは晋の腕を鈍らせる。
何度か打ち合った後に忠義の表情が厳しくなり、珍しく怒りを含んだ目を晋へとぶつけてきた。
「なッ」
木刀が弾き飛ばされ床へと落ち、それを拾おうと手を伸ばせば奪うように忠義が木刀を拾い上げた。
「……やめよう、晋さん。理由はわかるな?」
やんわりと言われ、理由が解っているだけに黙り込む。
忠義が怒るのも無理はない。休館日にまで押し寄せて手合せをしてもらった挙句に怒りのはけ口にされよいとしていたのだから。
「どうなされた。悩み事でもあるのか?」
俺でよければ話を聞くぞと肩に手を置く忠義に、大丈夫だと言おうとしてやめた。
「すまぬ。お詫びに酒を奢るよ」
話してしまった方が気持ちが楽になるかもしれない。それに酔ってしまえばその間は嫌な気持ちはどこかへ飛んでいく。
それに忠義はかなりの酒好きだ。お詫びをするなら酒を奢るに限る。
「酒か。よし、丁度土産で良い酒を頂いたからな。持ってくる」
「え、いや、俺が誘ったのだから奢るぞ」
そう忠義を引き止めれば、
「良いから。俺の部屋で待っていてくれ」
と部屋の方へと体を向けられ、そして背中を軽く叩く。
「すまぬな。ではその言葉に甘えよう」
忠義の部屋の前には大きな桜の木がある。
美しい花を咲かせる時期に平八郎と共に忠義の部屋で花見をした。
そういえばこの頃は共に出かけることも少なく、気が付けば正吉と共にいる。
まるで自分のモノだとばかりに平八郎の髪を撫でた正吉。そしてそれを幸せだと感じている平八郎。二人の姿を思いだし、胸が苦しくて前襟を強く握る。
正吉に平八郎をやるつもりはない。アレハ自分ノモノ……。
ハっと我に返る。今、何を考えていた。
従弟だとしても平八郎は家族であり弟なのだ。傍で見守る、それが兄としての役目。
「晋さん?」
酒とつまみを手に戻ってきた忠義に声を掛けられ我にかえる。
「なんでもない。さぁ、今日は飲むぞ」
無理やり気持ちを切り替えて、晋は忠義から酒を受け取った。
足にくるまで酒を飲むなんて滅多にない。晋を送ろうと肩を掴む忠義を大丈夫だと押しのける。
「じゃぁ、また明日」
そう手を上げて歩き出す。
どうせなら酔いつぶれるまで飲めばよかった。どうしても平八郎のことを考えてしまうからだ。
家の近く、門から平八郎が出てくる。もしや晋が戻らぬことを心配して待っているのだろうか、と一瞬思ってしまったが、そうではない。
提灯のあかりが、うっすらともう一人を照らす。
「あ奴、まだいたのか」
正吉だ。平八郎と何かを話している様子であったが、ふいに二人の顔が近づいた。
晋は踵を返し走る。だが途中で気分が悪くなり吐いた。
「はぁ、くそ、くそっ」
二人が口づけをしているように見えた。
まさかそんなはずはないと頭を振るう。だが、晋は正吉の気持ちを知っている。自分と同じだから。
「正吉ぃぃ」
許せない。大切にしてきたものが汚された。
そうだ、どうせ汚れてしまったのなら、何をしてもかまわないのではないだろうか。
近くでけたたましく鴉が鳴いた。腹が立っていたこともあり、八つ当たりをするように石を投げると一斉に木から飛び立った。ただ、一匹を残して。
それが気にくわず、石を拾い投げようとするが、その目が真っ赤に光る。
「なっ」
幻妖。話を輝定から聞いていたから、それが頭をよぎる。
「モノノ怪め、成敗してくれよう」
刀を抜き向かうが、それは晋めがけて飛んできて、咄嗟に刀を振るうが感触はなく、身体が急に重くなった。
「くっ」
なんだ、これは。
どろどろとした感情。平八郎と正吉が仲睦まじく手を取り合ってほほ笑んでいる。
『憎イ……』
晋は平八郎の腕を取り自分の方へ引き寄せると、正吉に斬りかかった。
真っ赤な血が飛び散り、そして晋はくつくつと笑い声をあげた。
『オ主ハ我ノモノ。ソノ身体ハ我ノ……』
平八郎の唇を奪い、そして二人は黒いものに包まれた。
そうだ。欲しければ無理やりにでも自分のものにしてしまえばいい。
その考えがとてもよいものに思えて、晋はニィと口角をあげて笑う。
晋の周りには真っ黒い霧が覆い、口から中へと入り込んで同化した。