甘える君は可愛い

年下ワンコとご主人様

 どうしたら波多の全てが手に入るのだろう。
 それを相談できるのは八潮しかいないと、忙しい事は承知のうえで相談にのって欲しいと頼む。
「いいよ」
 おいでと手を引かれてミーティングルームへと向かう。
「で、どうしたの?」
「実は、ですね。波多さんの事なんですけど……」
「波多君? 何、ご主人様が意地悪すぎるって」
「いえ! 違うんです。俺、波多さんの全てが欲しいんですけど、どうしたら良いと思います?」
「え、全て? それはどういう意味でかな」
 八潮は驚きながらも、どこか楽しげな表情を浮かべている。
「波多さん事、どこもかしこも舐めたいんです」
「それは、ますます犬っぽいというか。そうだねぇ、それは波多君に正直に言うしかないね。無理やりに舐めるもんじゃないし」
 嫌われたくないんだろうと言われ、昨日、既に無理やり舐めてしまった事は黙っておいて「はい」と頷く。
「正直に言って、嫌だと言われてしまったら?」
「おや、君はすぐにはあきらめる子じゃないでしょう? がんばりなさい」
「はい、頑張ります!」
「うん、いい子」
 八潮に頭を撫でられるのも好きだ。とても優しい手をしているから。
 しきりに頭を撫でられ、気持ち良くて瞼がとろんとし始める。
「おや、眠くなってしまったのかい? いいよ、少しお休み」
「ふぁい、おやすみなさいかちょ……」
 意識が落ち始め、頭を抱えられる。
 暖かいなとウットリしかけた時、ドアをノックする音が聞こえ、八潮が中に入るように誰かに言い。
「なっ、おい、てめぇ、起きろ、久世!」
 と怒鳴られてビクッと跳ね起きる。
 そこにはコンビニの袋を手に、先輩の三木本蓮(みきもとれん)が立っていて。
 元々目つきの悪い男なのだが、普段の表情には慣れたが、それにプラスして険しい表情を浮かべるものだからビビってしまった。
「三木本君、そんなに怖い顔をしないの。ワンコちゃんが驚いちゃったじゃない」
「はぁ? 俺は生まれつきこんな顔です。ていうか、課長、飯食ったんですか!」
 三木本はいつも八潮の食事の事を心配している。よくこのセリフを聞くなと二人を眺める。
「時間があれば食べるから」
 ね、と、言うけれど、三木本は後を振り返り、
「おい、波多、まて! お前ンちの犬、どうにかしろよな」
 と波多を呼ぶ。
「はぁ? 俺は一服したいんだよ」
 そう文句を垂れつつ、ミーティングルームを覗き込む。
「あらら、折角のお昼寝タイムだったのにねぇ。残念だね、ワンコちゃん」
 頭を撫でる八潮に、波多も三木本同様に険しい顔つきとなる。
「久世、てめぇ、羨まし……、じゃなくて、八潮課長に迷惑かけんな」
 心の声を漏らしつつ、腕を掴まれて八潮から引き離されてしまう。
「酷いなぁ、波多君。僕の癒しの時間だったのに」
 しょうがないねと、立ち上がり。
「僕はご飯を食べてくるから、波多君、後は二人でお話なさいね。三木本君、行こうか」
「はい」
 ぽんと三木本の背中を叩きミーティングルームから出ていってしまった。

◇…◆…◇

 二人きりで残され、波多は適当な席に腰を下ろす。
「八潮課長との事、三木本が怒るのも無理ないぞ。それでなくともあの人は仕事をし過ぎなんだから」
 昼休みなのだから久世が誰と過ごそうが構わない。だが、相手が八潮なら話は別で、過労で倒れて入院したことがあるからだ。
「心配なんだよ、八潮課長の事」
「上司として、心配って事ですよね? それだけですよね!」
 何度も確認するように聞いてくる久世に、しつこいと頭を叩く。
「それよりも、八潮課長に、何、甘えてんだよ」
 と睨みつければ、何を思ったか「俺にやきもちですか?」と落ち込む。
 面倒なので、それには答えずに顔をクイとやり話を促す。
波多さん事、どこもかしこも舐めたいんですって、言いました」
「な、なんだって!?」
 ふざけるな。相談していい事と悪い事があるだろう。
 そんな事を素直に相談するなんて、自分まで恥をかいた気分になる。
 ムカついて背中を何度も引っ叩く。
「わぁ、やめてください。だって、俺、波多さんの全てが欲しいって、その気持ちがとまらないんですぅ~!!」
 と言われ、背中を叩く手が宙で止まる。
「な、なっ」
 躊躇う波多に、追い打ちをかけるように。
「波多さん、貴方の雄が垂らす蜜の味も知りたい」
 と、性的な意味合いも含めた言葉を口にされ、色々な感情が交じり頬が熱くなる。
 そうだ、きっと久世は味見程度にしか思っていないだろう。
 自分の欲を満たすためだけ。そう考えているうちにムカついて頭に血がのぼりはじめる。
「お前にだけはやらんッ」
「波多さん」
 後ろから抱きしめられ、離せと肘で腹を突く。
 だが、強い力で抱きしめられて身動きが取れない。
「波多さん、欲しい」
 熱く息を吐き、そう懇願して耳を舐められた。
 ぞくぞくと芯が痺れる。
 その感覚から逃れるように、やめろと首を振り。
「盛るんじゃねぇよ。お前は発情期の犬か!」
 と、腕が緩んだ隙に身を離し、その頬を平手打ちする。
「……お前は酷いよ」
 自分の欲を満たして満足したら波多から離れ。彼女と結婚し幸せな家庭を築くのだろう。
「は、波多さん」
 涙が滴り落ち、それを見た久世がおろおろとしはじめた。
「もういい、この馬鹿犬がぁッ!!」
 涙を拭い、おもいきり怒鳴りつけて乱暴にドアを閉め、周りの目が何事と自分を見ていたが、気にしないで席に座る。
 しょんぼりと見つめる久世を無視し、仕事をする。
「あらら、久世君のお耳と尻尾がたれちゃってるよ、波多君……、え、なに、目が真っ赤じゃない」
 八潮が何があったのというような目でこちらを見ており、
「何もありません。ちょっと顔を洗ってきます」
 とニッコリと微笑んで席を立つ。
 顔を洗った後、洗面所の鏡を眺め。おもわず泣いてしまった自分が情けない。

 仕事が終わり、ずっと無視されたことが相当こたえたか、いつもよりも控え目に声を掛けられる。
「波多さん……」
 反省しましたと顔に書いてあり、わざとため息をついてやれば、ビクッと大きな体が震えた。
「ほら、何時までしょぼくれてんだよ。帰るぞ」
 と言えば、ぱぁと表情が明るくなり、尻尾を振らん勢いだ。
「飯、奢らせてやる」
 これで許してやろう。
 そんな意味も込めての誘いに、久世は二度、三度と頷いて波多の手を握りしめ、行きましょうと引っ張った。
「お前、お散歩に興奮する犬だな……」
 そんな波多のツッコミに、同僚たちは笑い声をあげる。
 久世が波多に粗相をしてしまい、怒られてしまった事には気が付いていて、早く仲直りしてほしいと思っていたのだろう。
 同僚たちには心配をかけてしまったなと、無視なんて子供じみた真似をしたことを反省する。
「何、食べます?」
「そうだなぁ……」
 以前、女子達から得た情報を元に高級店の名前を上げていく。
「……」
 流石、高級店。うるさい久世も黙り込むほどだ。
 何か考え込むように腕を組むが、ぱっとそれを解き。
「い、いきましょう!」
 と、気合をいれるようにぐっと拳を握りしめ、高級和食店の方へと足を向けた。
「本気か? 給料日はまだ先だぞ」
「波多さんが望むなら」
 波多が望むからと後先考えなしなのは困る。
 それに後々、あの日の食事がと、恨めしく思われたら嫌だ。
「冗談だし。全く、俺が望むからとか、やめてくれよ」
「何故です? 俺は本気で波多さんがそう望むなら、別にかまいませんよ」
 久世の表情は真剣そのもので、波多は顔を向ける事ができずにうつむく。
 そういう事を言わないでほしい。
 高鳴る鼓動を落ち着かせようと息を深くはきすて、手を伸ばして久世の額にデコピンを食らわす。
「痛い、え、なんでですか」
「うるさい。ほら、ラーメン食いに行くぞ!」
 と、リードのつもりでネクタイを掴み引っ張るが、
「わぁっ」
 不意に互いの顔が近づいて。ネクタイから手を離す。
「い、行くぞッ」
 ぷいと顔を背けて歩き出せば、その後を待ってくださいと久世が追いかけてきた。