カラメル

後輩の彼

 澤木君は俺のどこに惚れたんだろう?
「ほんの少しだけ、優と雰囲気が似てるから」
 優とは木邑君の事で、三年の俺ですら彼の噂で聞いたことがある。一年の吾妻君ほどではないけれど良い噂は聞かない。
 澤木君は彼と幼馴染だといい、実際には知らない子と似ていると言われても俺にはピンとこない。
「会う度にビクついてくるし、俺の顔色をうかがうようなことをするし。それがずっと気に食わなかった」
 とも言われた。
 好みは仕事の出来る美しい女性だと言っていたのに、今でも思い出すだけで腹が立つ。
 俺に対しての態度も変わったっけ。苗字すら呼んでもらえなかったのに、いつの間にか樹と呼び捨てにされ、敬語を使わずため口で話す様になっていた。
 嫌われていると思っていた澤木君が俺に惚れていている。今でも信じられない気持ちでいるのは俺を理由が解らないから。
「澤木君、俺のどこが好きなの?」
 ねぇ、教えてよ。

 予鈴のチャイムが鳴り、そろそろ澤木君を起こさなくてはと思ったところに、
「真一を迎えに来ました」
 と、教科書とノートを持った子が俺にそう声を掛ける。
 青ネクタイは二年生。胸元のネームバッチを見ると木邑優(きむらすぐる)と書かれていた。
 彼が木邑君かと、澤木君には雰囲気が似ていると言われたが、よくわからない。
「五時限目は移動教室なの?」
「はい、ここから行く方が近いんでノートと教科書を頼まれたんです」
「そうなんだ。ちょっと待ってね。澤木君、起きて。木邑君がお迎えに来てくれたよ」
 澤木君の肩を揺さぶれば、今起きるよと言って大きく伸びをし身体を起こす。
「ありがとう、優」
 木邑君から教科書とノートを受け取る澤木君はとても優しい顔をしている。
 そう、それは自分に見せる顔とは別のモノで、なんだかとてもうらやましい。
 それがつい表情に出てしまったようで。
「そんな顔すんなよ、樹」
 ぎゅっと鼻を摘ままれて、何をするんだよと彼を見れば、木邑君がいる前でちゅっと音をたててキスをする。
「なっ」
「ちょっと、真一!」
 唖然とする俺に。
「ごめんなさい、加勢先輩」
 顔を真っ赤にし、何故か謝る木邑君。
「なんでお前が謝る?」
 やった本人はそんな調子で、木邑君が「先にいくから」と行ってドアへと向かう。
「待てよ優。じゃ、後でな」
 もう一度、唇に口づけを落としてドアの向こうへと消えていった。
 余韻の残る唇に、俺の顔はみるみるうちに熱をもちはじめる。
「なんなの、あいつは」
 振り回されるだけ振り回され、俺はへたりと座り込んだ。

◇…◆…◇

 放課後、澤木君が木邑君と共に図書室へと来る。
「木邑君」
 もう一度、会いたいなと思っていたので嬉しくて手を握りしめようとすれば、寸前で澤木君に邪魔をされた。
「俺の目の前で他の男の手を握ろうとしてんじゃねぇよ」
 凄みのある目で睨まれて、俺はビクッと縮こまる。
「ちょっと、真一」
 ダメでしょうと木邑君が俺の両手を掴んだ。
 その暖かい手にほんわかとなりかけ、澤木君から冷たい視線を浴びて凍りつきそうになる。
「優でも駄目」
 木邑君の手から俺の手をさらい、握り締められる。
 もしかして妬いてくれたのかな、なんて思いながら澤木君を見れば、ちょっと照れながら見てんなよと額を小突かれた。
「解った」
 でもお話しするくらいは良いよねと木邑君の言葉に、それくらいなら構わないと俺の手を離す。
「こんなに独占欲が強くて加勢先輩は大変かもしれないけれど、これからも真一の事をよろしくお願いしますね」
 頭を下げる木邑君に、俺もつられるように頭を下げる。
「じゃぁ、俺は向こうで本を読んでいるので」
 と窓際の席を指を差し、手を上げてそこへ向かった。
 あれ、もしかして気を使わせちゃったのかな?
 澤木君を見上げれば、俺が言いたいことに気が付いたよで、
「桂司たちと待ち合わせなんだと」
 そう教えてくれた。
「あ、小崎が言ってたっけ」
「ふぅん、アンタ、桂司の事は呼び捨てなんだ」
 え、なんで、同級生なんだから呼び捨てだっていいじゃないか。
 何が気に入らないのか、澤木君が俺を睨む。
「俺の名前は真一だ」
「……知ってるよ?」
 なんでそんな事を聞くんだろうと俺は首を傾げれば、鈍いなとつぶやかれる。
「名前で呼べって言ってんの」
 呼んでみろよ樹と澤木君に促され、俺はたどたどしく「しん、いち」と彼の名を呼ぶ。
「よし」
 と満足そうな笑みを浮かべる澤木君、いや真一がなんだか可愛くて、今度はハッキリと真一の名を呼んだ。

 授業の内容で調べたい事があるから三十分だけ図書室を使わせてくださいと先生に許可を貰い、俺と真一は二人きりで図書室にいる。
 調べ物があるといっていた癖に本棚に向かう素振りはない。
「真一、調べ事があるんでしょう。はやくやって帰ろうよ」
 俺に手伝えることはないと聞くが、彼の口から出たのは別の言葉だった。
「樹、俺が前に言った事を覚えているか?」
 その言葉に、すぐにある言葉が浮かんだが、口にしないでいると、
「有言実行」
 と真一が言い、口角を上げる。
「俺、覚えているなんて言ってないよっ」
「でも、思い当たることがあるんだろう?」
 と首筋を撫でられて、顔が熱くなる。
「……知らない」
少し間があいて、真一がニヤッと笑う。
「へぇ、本当に?」
 顔が近づいてきて、
「学校でなんてダメだよ」
 と思わす口に出てしまい、あわてて口元を手で覆い隠すが後の祭りだ。
「なんだ、やっぱり思い当たっているじゃねぇの」
 身体がほわほわとして芯まで蕩けてしまいそうなキスだ。
 頭がぼっとして、気持ちよくて、もっと欲しいと強請ってしまいそうになる。
「ふぁっ」
 舌が、歯列をなぞり舌を絡め取る。
 うまく唾液を嚥下できずに口の端から流れ落ちるが、それすら気にならないほどキスにおぼれる。
 このまま流れに身を任せてしまいそうになる。だが、唇は離れ、透明な糸をつなぐ。
「んぁ、しんいち?」
「エロイ顔して」
 濡れた俺の唇を、真一の親指で拭い、
「今はキスだけ」
 と俺の身体を抱きしめた。
「そう、なの?」
 丁度胸のあたりに俺の顔があり、顔をあげると真一の顔を覗き込むようなかたちとなる。
 ホッとしたような残念なような、そんな複雑な気分。
 だが、すぐに良かったんだと思いなおす。だって、真一の強引さに毒されちゃったら大変なことになりそうだ。甘い痺れをもたらす毒は病み付きになりそうな、そんな危険性を孕んでいるから。
「調べ物してくるから」
 真一が身を離し、そのまま椅子に座らせられる。さりげない優しさを感じつつ、真一が戻るのを待つ。
 本を数冊手に、戻ってきた真一は俺の目の前の席に腰を下ろした。
 ずっと心の中に引っかかっていたことを、今なら聞けそうな気がする。
「ねぇ、真一は俺の何処に惚れたの?」
「確かになんでだろうな。あんなに嫌いだったのにな」
 肘をついて俺を眺める。
「俺が無防備になれるのって、優達の前だけだったんだよ」
 それじゃ答えにならないかといわれて、真一の言いたいことは解った。けれど……。
「無防備に慣れる相手なら、俺じゃなくたっていいって事でしょう?」
 それこそ真一の事をよく理解している木邑君の方がお似合いじゃないか。
「駄目だ。樹じゃなければ駄目なんだ」
 あの真一が必死だ。どうしよう、すごく嬉しい。喜びに身を震わせながらそのまま机に突っ伏せる。
「だからお前は俺の傍に居ろ。わかったな」
 強引な物言いだが、俺の心は射抜かれた。
 そっと顔をあげれば、真一の手が頬に触れる。そこに自分の手を重ねて、はいと頷いた。
「よし」
 俺が真一の名を呼んだ時に見せた満足そうな笑み。また見ることが出来て嬉しい。
 そうか、とっくに俺は毒されていたんだ。
 これからも強引で俺様な彼に振り回される事になるだろう。だが、少し楽しみだと思える自分が居る。
「好き」
 とつぶやいた俺の言葉に、当然だと真一が乱暴に髪を撫でた。