愛してる
仕事が終わり、バイクに跨ると渡部さんの家へと向かった。
描いてもらった地図はとてもわかりやすくて迷うことなく家へと行けた。
バイクから降りてインターフォンを鳴らすと、どちら様でしょうかと久遠が応える。
「穂高だけど、お父さん、居るかな?」
直ぐに玄関のドアが開き、バイクに気が付いて駐車スペースのある方の門を開く。
「ここにとめておいてください」
「あぁ、悪い」
バイクを置かせてもらうと、
「いらっしゃい、穂高君。久遠から来ることを聞いていました。さ、中へどうぞ」
渡部さん、鼻声だ。そちらへと視線を向ければ、顔にはマスクをしパジャマに上着を羽織った恰好で外へと出てくる。
連絡してから来れば良かったと、今更ながらに後悔する。
「お父さん、中で待っていてって言ったじゃない」
と、久遠が渡部さんの方へと顔を向ける。
「だって、折角来て下さったのですよ。お出迎えしたいじゃないですか。あ、すみませんね、こんな格好で」
先ほどまで横になっていたそうで、本人に体調を聞く前に家に押しかけてしまった事に、またやらかしてしまったと気が付く。
「連絡も無に来てしまってすみません。あの、俺、帰りますね」
俺が居たら渡部さんが休まらない。来た早々に帰ることにした。
「待って、家に上がっていってください、ね?」
「そうですよ、先生」
「え、いや」
どうぞ上がってくださいと渡部に手を掴んで引かれ、俺は勧められるまま、お邪魔しますと家へあがった。
部屋の中は風邪を引いている渡部さんの為に暖かくしてあるようで、バイクを走らせて冷えた身体が温まる。
ほっと息をつく俺に、
「バイクですものね。寒かったでしょう」
と渡部さんが俺の頬を両手で包むように触れ、随分と冷えてますねと言う。
ほっこりと温かい手だ。
久遠も同じように俺の頬に触れて、冷たいと声を上げる。
素でそういう事をしてしまうところは流石親子。俺の心臓がドキドキとうるさい。
「穂高君、上着をお預かり致しますね」
「あ、はい。お願いします」
胸の鼓動はまだ落ち着かない。
頬が熱くなり、それがばれないように上着を脱いで渡部さんに渡す。
それをハンガーに通してハンガーラックに掛け、
「さ、お座りください」
「はい。失礼します」
ソファーに座るように勧められて、俺たちは隣同士に腰をおろす。
「あ、あの、昨日はすみませんでした。俺が海に行きたいとか言いだしたから、風邪……」
「海の潮風、気持ちよかったですよ。呑んだ後だから特にね」
「しかし」
「風邪をひいたのは自己責任です」
そう、きっぱりと言われてしまい、これ以上は俺の方からは何も言えなくなる。
黙り込む俺に渡部さんの手が肩へと触れた。
「この話はおしまいって事で。よかったら、夕食、食べて行ってください」
と、丁度、食事の用意ができたと俺達を久遠が呼びに来る。
「ナイスタイミングですね」
今、お誘いした所なんですよと、渡部さんが俺を見て微笑む。
「そうなんだ」
久遠の肩を抱きながら歩く渡部さんは、すっかり父親の顔である。
優しくて包容力があるその腕に、抱かれて歩く久遠の表情も嬉しそうで、三人の間が穏やかな雰囲気に包まれて。あったかくて、俺もついつい笑顔になる。
「良いな、こういうの」
俺の呟きに、渡部さんがこちらをみてふわりと笑顔を見せる。その柔らかな暖かい笑顔にドキっと胸が高鳴る。
やばいな。顔、赤くなってるかもしれない。それがばれないよに俺は顔を隠した。
土鍋から美味そうな匂いがする。
白くふわふわと浮かぶ湯気と具沢山の鍋は、食べる前から気持ちが暖かくなる。
久遠がよそってくれたものを受け取り、熱々を口に放り込むと旨さが口いっぱいに広がる。味付けも丁度良い。
「美味しいよ、渡部」
「よかったです」
菜箸をもちながら嬉しそうに微笑み。
「先生、前から言おうと思っていたのですが、俺の事は久遠と呼んでください」
名字だと父なのか俺なのか解らないからと言われ、確かにその通りなので素直にそう呼ばせて貰う事にした。
「あ、なら私の事は雅史と呼んでください」
ついでに自分もとばかりに言うけれど、流石にそれは無理だ。
苦笑いする俺に、意味を汲み取ってくれたようで、
「残念です」
と口にするが、すぐに、
「ですが、私は恭介君と呼ばせてもらいますからねっ」
なんて言いだして、年上の男性に対して可愛いとか思ってしまった。
拳を握りしめ、可愛さに打ち震える俺に、
「うちの子の料理、美味しいでしょう。遠慮なく沢山食べて下さいね」
と、久遠の作った料理に感動していると思われたようだ。親ばかな所も可愛い。
「はい。遠慮なく頂きます」
熱いのを口の中に入れ、はふっと息を吐く。鶏肉のつくねもやわらかくて美味しい。
「うまぁい」
箸を咥えたまま口元を綻ばせる。朝食も美味かったし、渡部さんが自慢したくなるのわかるよ。
「恭介君がいると、食卓が明るくなりますね」
「うん。それにすごく美味しそうにご飯を食べてくれるの。だから見ていて幸せになるんだ」
さすが親子と思わせるそっくりな笑顔が俺の方へと向けられる。
「久遠の手料理が美味いから自然にこういう顔になるんだよ」
と言ったところで、あることを思いだす。
そうだった。俺はもう一つやらかしていたんだ。
「渡部さん、あの、家にまで泊めて頂いて……」
「あぁ。恭介君があまりに気持ちよさそうに寝ていたので、家に連れ込んでしまいました」
寝顔を堪能させて頂きましたよと、茶目っ気たっぷりな表情でウィンクをした。
なにそれ、恥ずかしすぎる。
「なんか、重ね重ね申し訳ありませんでした」
と手で顔を覆い隠した。
「酔った姿も、寝顔も、私に気を許してくれているから見せてくれたんだと、そう思っていますから。だから気にしないでくださいね」
逆に嬉しいんですからと、。俺が気に悩まないようにと、そう思って言ってくれたのだろう。本当、優しい人だな。
「さ、食べましょう。でないと恭介君のお皿の中が大変なことになっちゃいますしね」
「はい、って、え!?」」
いつの間にか俺の皿の上はてんこ盛りになっていて。
「うお!?」
「ふふ、お父さんと話している隙に盛ってみました」
と久遠が菜箸をカチカチと挟む。
やられた。だが、まだまだお腹の中は余裕がある。
どんどんきやがれとばかりに皿の中の物を食べれば、久遠が笑いながら隙を見て具材をのせていった。
美味い食事に楽しい会話。あっという間に時間が過ぎ、そろそろおいとましようと席を立つ。
「食事、ご馳走様でした。美味しかったです」
「はい。また来てくださいね」
久遠がそう言ってハンガーラックに掛けてある俺の上着を取り出し手渡してくれる。
「ありがとう」
それを着こみ、今から寒い中を帰ることを思うと、ここから離れたくなくなる。
だが、俺が居たら渡部さんが休めないので玄関へと向かった。
「それではおやすみなさい」
と玄関のドアを開く。
その隙間から冷たい空気が流れてきて、俺は小さく身震いをする。
すると渡部さんがサンダルをはこうとしていて、外まで見送ろうとするのを引き止めたが、少しだけですからと一緒に外へと出た。
「ここまででいいですから。外は寒いですし、中へ入ってください」
そう言うけれども、渡部さんは良いからといいながらバイクの傍までついてくる。
「渡部さん、ひき始めだからと、無理はいけません」
養護教諭として見過ごせませんと、まるで生徒を相手にするように、家の中へと戻るように言う。
「すぐに寝ますから、ね?」
きっと俺が帰るまでは外にいるんだろうな。だからこれ以上は言うのをあきらめて帰ることにする。
「本当にそうしてくださいね。後、今度お礼させてください」
風邪が治ったら飲みましょうとビールを飲むような仕草をする。
「はい。楽しみにしていますから」
余程飲むのが好きなようで、笑みがこぼれる。
「それでは、おやすみなさい」
「気を付けて帰ってくださいね」
「はい。渡部さんもお大事に」
バイクのエンジンをかけてヘルメットをかぶれば、渡部さんが手を振ってくれる。
俺はそれに応えるように手を上げバイクをスタートさせた。
◇…◆…◇
朝、渡部さんからのメールが届く。
風邪が良くなったという事と、昼に電話しますという連絡だった。
前も時間を気にしてそわそわとしたときがあった。時計の針が十二時をさし、電話がいつ鳴るかと待っていた。
そのせいか、いざ、電話が鳴り緊張してしまい、出た時に声が少し上擦いてしまっていた。
「はい、穂高です」
『恭介君、渡部です。この前はお見舞いありがとうございました』
「いいえ! 俺の方こそすっかりご馳走になっちゃって。風邪も良くなったとのことで安心しました」
実はメールを貰う前から久遠に渡部さんの体調の事は聞いていた。二日ほど休んだそうだが、もう大丈夫だと言っていた。
本人の元気そうな声を聴けてほっとした。
「良かったです」
『久遠に聞きましたよ。心配してくれていた事』
久遠の奴、渡部さんに話すなよって言ったのに。
「俺のせいですし」
『またそんな事を言って。自己責任ですから』
と言った後に、
『では……、今晩おごってくださいませんか?』
それでこの話はおしまいですよと、そうすることで俺が気を病む事のないようにと言ってくれたのだろう。また気を遣わせてしまった。
すみませんと言いかけて俺は慌てて口を塞ぐ。また謝ってしまったら渡部さんの気遣いが無駄になってしまうからだ。
「はい。奢らせて頂きますっ」
おもわず、気合の入った返事と共に拳を握りしめて高く突き上げていた。
これ、見られていたら恥ずかしいやつだ。一人きりで良かった。
『楽しみにしてますね』
待ち合わせの場所と時間を決め、また後でと言って通話を切る。
久しぶりに渡部さんと飲める事が嬉しくて、鼻歌を歌いだしそうなほどのテンションの俺に、保健室に遊びに来た勇人がまるで変なものを見るような目をしていた。