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愛してる

 待ち合わせをしていたバーにはすでに渡部さんの姿があり、これでも早めに家を出たはずなのに、いつも先に来て俺を待っている。
「すみません、待たせてしまって」
「いえ、私もここに着いたばかりですから」
 本当はかなり前から待っているのではないだろうか。渡部さんならありえそう。
「さあ、行きましょうか」
 その後、軽く食事をして華矢の所へ行く。
 邪魔にならない音楽と落ち着いた内装。いつ来てもこの店の雰囲気は良い。
 渡部さんもここが気に入ったそうで、よくこの店にくるのだという。
 カウンター席に座ると、俺達に気が付いて華矢が声を掛けてきた。
「いらっしゃい」
「よ、華矢」
「こんにちは、華矢さん」
 俺は軽く手を挙げ挨拶をし、渡部さんは小さくお辞儀をする。
「渡部さん、この前はありがとうございました」
「いえ、私こそ。ご一緒で来て楽しかったです」
 俺の前で突然始まる二人の間でしかわからない会話。
 胸にもやっとしたものを感じて二人の会話の間にはいりこもうと口を開く。
「あれ、二人で何処に行ったんですか?」
 華矢と渡部さんを交互に見れば、
「まぁね」
 と意味ありげに華矢が言う。
 もし、俺には関係ないと言われたらそれまでだ。だが、なんだかそれが面白くなくてムキになる。
「教えろよ」
 何故か俺を見て華矢が笑う。それが余計に頭に血を上らせる。だが、聞きだす前に客に呼ばれて行ってしまった。
 彼女はこの店のバーテンダーなのだから仕方がない。だが、この時ばかりは呼んだ客にさえ腹が立った。
 渡部さんに理由を尋ねたら、華矢の事がやはり好きなんだろうと勘違いされそうで嫌だ。俺はモヤモヤとした気持ちのまま、カクテルを何杯もあけた。

 いつも以上に飲んでいるのに全然酔えない。
 胸のモヤモヤを酔いで誤魔化してしまえと思っていたのに、今はいらつきへと変わっていた。
 渡部さんと一緒にいるのに、こんな気持ちになるのは初めてだ。いつもは暖かくて幸せな気持ちになるのに。
 バーを出た俺たちは、酔い覚ましも兼ねて繁華街を歩く。
 いつもなら会話のない時間ですら心地よいのに、今は重苦しいだけだ。
 黙々と歩く俺に、渡部さんはいつもとかわらぬ調子で、
「今日はすっかりご馳走になってしまって」
 と言うが、俺は「いいえ」とそっけなく返事をしてしまう。
「恭介君、どうしたんですか?」
 渡部さんが心配そうに見ている。だが、俺はその視線から逃れるように俯き、
「俺、帰ります」
 いつもならもう一件行く所だが、俺は歩いていた足を止めた。
「そうですか。では、駅に向かいましょう」
 ここからなら渡部さんはバスで帰った方は早いはず。なのに一緒に駅へと向かおうとする。
「一人で帰りますから」
 と駅へ向かって歩き出す。
 焦る気持ちが更に俺を混乱させる。今は一人きりなりたい。でないと冷静に物事を考える事ができないから。それなのに渡部さんは俺のことを一人きりにはさせてくれない。
「恭介君、何か気に障る様な事をしてしまったでしょうか?」
「違います。渡部さんが悪いわけじゃありませんから」
 自分でも解らないから困っているのに、これ以上なにか聞かれてもこたえようがない。
「ですが……」
 なのに渡部さんはさらに言葉を重ねようとし、
「もう放っといてください!」
 と後に続くだろう台詞を遮ってしまう。
「しつこくしてすみませんでした」
 渡部さんは俺を心配してくれただけなのに。八つ当たりのような真似をして謝らせてしまった。
 最低だな、俺は。
「あの、やはりここで」
「え、恭介君ッ」
 驚く渡部さんから俺はまるで逃げるように駅へと向かう。
 途中、渡部さんが着いてこない事を確認し、やっと深く息を吐くことが出来た。

 駅で電車を待つ間、携帯を取り出して操作する。
 メールあり、一件は秀一郎から、そしてもう一件は渡部さんからだった。
 あんな態度をとってしまったというのに、渡部さんはいつも通りに接してくれる。自分の子供っぽさにため息しか出ない。
 仲の良い友達が知らない所で会っていた、ただそれだけの事なのに、どうしてあんなに心に引っ掛かったのか。
 渡部さんが俺に向けてくれるような笑顔を華矢にも向けたのだろうか、と、そう思うだけで胸が痛む。
 華矢は美人だし話をしていても楽しい。渡部さんだってそう思って……。
「嫌だ」
 思わず呟いてしまった言葉に、俺は驚いて口元を押さえる。
 今、何を考えた?
 思い当たる感情。だが、すぐにそれを打ち消すように頭を振る。
 相手は男性だし子供もいる人だ。
 ただ憧れているだけと、無理やりに思い込もうとしている時点でこの気持ちを肯定しているのと同じことだ。

◇…◆…◇

 寝不足だ。机に肩肘を突き、空をぼんやりと眺めている俺に、保健室に遊びに来た勇人が酷い顔をしているという。
「あぁ、ちょっと飲み過ぎてな」
「そうなんだ。てっきり友達の上司さんだっけ、その人と何かあったんじゃないかって思った」
「え、なんで……?」
 どうしてそう思ったんだ。狼狽える俺に、
「恭介サンって、自分の事になると鈍いのな」
 と、渡部さんの事になると浮き沈みが激しいから解ると言われてしまう。
「え、えっ、そんなに顔に出てる?」
 自分の顔をペタペタと触る俺に、
「まぁね。好きなんだろ、その人の事」
 ずばりと言われて、目を見開く。
「何を言って」
 昨日、電車の中で気づいていしまった想い。胸の鼓動が激しくなり、それを押さえるように手をあてる。
「だってさ、風邪をひかせちまったからって、悪いとは思うけどあそこまで落ち込まねぇよ。それに、一緒に飲みに行くだけであんなに喜んじゃったりさ、どれだけ好きなんだよって思うじゃん」
 まったく、その通りだ。言われて気が付いた。
「勇人」
「好きなんだろ?」
 友としてではなく、恋人になりたいと思っているのだろうと、勇人が俺を見る。
「……あぁ、好きだ」
 気持ちを素直に認めたら、すっと楽になった。
「ちゃんと伝えないと駄目だぞ」
 勇人は何度フラれようとも好きな相手に真っ直ぐに想いを告げてきた。だけど俺は臆病者だから気持ちを伝えて嫌われたらと思うと怖い。
 俺は返事をすることが出来ず、勇人は頭をがしがしと掻き、頑張れよと肩へと手が触れた。

 十八時になり、部活動も終わる時間だ。今日は怪我人もなく俺は片付けをして帰ろうとしている時だった。
 ポケットに突っ込んでいた携帯が鳴り、それを取り出して画面を見る。
 画面にはメールの着信が一件。それを開くと秀一郎からで、一緒に飲みに行こうという内容だった。
 俺はOKと返信すると、すぐにメールが返ってきて、待ち合わせの場所は学生時代によく利用したファーストフード店となった。
 懐かしいなと思いながら、俺はバイクを置きにいったん家へと帰ることにした。