求愛される甘党の彼

担当は愛に戸惑う

 困る。これ以上、乃木に求められるのが。
 今までの自分は先生と担当編集だと割り切って付き合いをすることができた。
 なのに、乃木を知るうちに今まで出来ていたことができなくなり、キスもお礼としてならばと受け入れてしまっている。
 しかも、
『ごめんね。君の事が好きなんだ』
 と言われ。それがさらに自分を苦しめる。

 喫茶店から漏れる明かりに、引き寄せられるように足を向ける。
 ドアにはcloseの掛け看板が下がり、ドアを掴みかけた手は宙で止まる。
 帰ろうと歩き出したところで、
「百武君?」
 と声を掛けられて立ち止まる。
「やっぱりそうだよね。窓から見えたから」
「江藤さん」
 閉店後の片づけも終わり、二階の住居スペースへと戻る所だという。
「そうだ、もしよければなんだけど、一緒に飲まない?」
 友人達も居るのだけどと誘われ、酒は苦手だと断ろうとしたがやめた。飲んでこの胸のもやもやを誤魔化そうと思ったから。
「はい。お邪魔でなければ」
「良かった。じゃあ、二階に行こう」
 外階段を上り、部屋の中へと入ると既に酒盛りは始まっていた。
「江藤さんお帰り。あれ、貴方は乃木先生の担当さん、ですよね?」
 声を掛けてきたのは、乃木の部屋を掃除していた青年だ。
「はい。百武と言います」
 それから自己紹介がはじまり、掃除をしていたのは真野で、眼鏡の真面目そうな彼は大池、そして高校の時から友人である信崎だ。皆、同じ会社に勤めており、江藤もそこで働いていたそうだ。
「そういえば、脱サラしたって、乃木先生に聞いたことがあります」
「うん。乃木さんは俺の祖父がオーナーだった頃からの常連さんだからね」
 乃木の事を思うと胸が苦しい。
「あの、何飲んでいるんですか?」
 この苦しみから抜け出したく、興味のない酒に視線を移す。
「えっと……、好き好きに飲んでるみたいだね」
 江藤がテーブルの上にある酒を手にとり、ワインとウィスキー、と、説明している途中で、
「あ、そうだ。先生もお誘いしましょうよ!」
 と、真野がスマートフォンを取り出して画面を操作しはじめて。
「やめてください!」
 百武は大声を上げて止める。
「え?」
「百武君、何かあったの?」
 ただならぬものを感じたようで、江藤が心配そうに見つめてくる。
「すみません」
 帰りますと席を立とうとしたが、
「百武君、もしよかったら話してみない?」
 そっと肩に江藤の手が触れた。
「江藤さん」
「あ……、会ったばかりの奴に言われるのはって思うかもしれないが、君、何か悩み事あるだろう」
 信崎という男は、何か話がしやすそうな印象を与える人だ。
 そして真っ直ぐに見つめてくる大池と、悪い事をしてしまったと俯く真野。
 皆が自分を心配してくれているのが伝わってくる。
 戸惑いながらも百武は口を開いた。
「乃木先生の気持ちが、困るんです」
 乃木に告白されたこと。お礼という名目でキスを受け入れてしまった事を話す。
「俺は先生みたく顔もよくないし愛想も無い、つまらねぇ男なんです。惚れるとか、おかしくねぇですか?」
「百武君がそんなふうに自分の事を言ってしまったら、そんな君に惚れた乃木さんの気持ちはどうなるの?」
「先生の、気持ちですか」
「そうだよ。君は真剣に向き合ったの?」
 どうせ考えようともしなかったのでしょうと、ずばりと言われてしまう。
 そう、自分は逃げるばかりで考えようとしなかった。だが、自分の事は自分が良く知っているから疑ってしまうのだ。
「百武さんは自分に自信がないんだね」
 そう真野に言われて頷く。
「そうか。でもな、今はお前の見た目や性格がどうこうっていうのはおいとけ。素直な気持ちでここに聞いてみるんだ」
 信崎が胸を指でトンと叩く。
「素直な気持ちで……」
 一人の男としては苦手だと、今でもそう思っているのかどうかを。
「実はね、乃木さんに頼まれたんだ。百武君が喫茶店の前を通ったら声を掛けてやってって」
「そう、だったのですか」
 逃げるように部屋を出て行ったといのに、しかも傷つけてしまったかもしれないのに気遣うなんて、そんな優しさはズルい。
 こんなに自分を想ってくれる相手など居ないだろう。
「……お酒、頂いてよいでしょうか?」
「では、百武さん、これをどうぞ」
 甘党なんですよねと、大池が大量のチョコレートを掌へと落とす。
「チョコレートにはこのウィスキーが合うんですよ」
「そうなんですよね。大池さんから勧められたんですけど、すごく美味しいんです!」
「では頂きます」
 甘いチョコレートと胸が焼ける程に強い酒。
 一気に熱が上がり酔いが回る。
 熱い。
 これは酒のせいなのか、それとも乃木のせいなのか。
 テーブルに置いたチョコレートに手を伸ばし口の中へと入れ、再び酒を煽った。

 一度は駅に向かったのだが、途中で来た道を戻り始める。
 そして喫茶店の前を通り過ぎ、その先にある乃木の住まいへと向かう。
 チャイムを鳴らすと、インターホンから乃木の声が聞こえる。
「のぎせんせー、俺です」
「え、百武君!?」
 すぐにドアが開き、中へと招かれる。
「わ、飲んでるの? お酒、苦手なんじゃなかったの」
「えとーさんに誘われてぇ」
「とにかく中に入って。お水持ってくるから」
 ソファーにもたれて、シャツのボタンを緩める。
 すぐに冷たい水を手渡されて、それを一気に煽った。
「どうしたの?」
「いくら考えてもわかんねぇんです」
 コップを持ったまま乃木を見上げる。
「ここに聞けって言われて」
 トンと胸を指で叩き、へらっと笑みを浮かべる。
「誰に何を言われたんだ?」
「えっと」
 名前を言おうとすれば、
「何故、うちにきたの?」
 とすぐさま言われ。
 乃木の表情はとても複雑なもので、自分の訪問に困惑している事がみてとれる。
「先生にキスされる度に困るんです。それに、以前の様な関係に戻ればいいだけなのに、戻り方すら解らない……」
「それって……」
「だから、戻れねぇなら先に進もうかと」
 手を伸ばし、乃木の頬へと触れれば、
「それって、抱いてもいいって事?」
 と手の上に手を重ねてきた。
「気持ちのはっきりしねぇ、こんな俺なんかで良ければ、なんですが」
 背丈は同じくらい。顔を近づけるだけですぐに唇が触れ合う。
 だがその唇は重なり合うことなく、頬に触れていた手も下へと下ろされてしまう。
「先生」
 拒否られた。
 その事に、心に何かが突き刺さったかのように痛む。
 だが手は今だ握りしめられたままで。どうしてというような顔で彼を見る。
「……シャワーを浴びて、一度、冷静になっておいで。それでも気持ちが変わらなかったら、寝室に行こう」
 そのまま手を引かれてバスルームへと連れて行かれる。
 中へと入ると乃木は出ていき、百武は服を脱いで少し低めの温度にしシャワーを浴びる。
 逃げ道を作ってくれている。
 酔った勢いであったのは確か。だが、それだけじゃない。
 素直になれ呆気ないほど簡単に気がついた。自分の気持ちに。