小説家は愛を囁く
仕事の用事で乃木に会う時は、江藤の喫茶店で待ち合わせをする。
部屋で二人きりにならずに済むので助かるのだが、乃木は人目を気にしないタイプなのか、この前、喫茶店でキスされて以来、百武は警戒している。
出来る事なら会いたくない。だが、何か渡したいものがあるときは直接届けて欲しいと連絡があり、行かざるをえない状況となってしまったのだ。
百武の性格を解っていて先に手を打ってきたのだろう。
それゆえに郵送しようと思っていたモノを、休暇だというのに届けなければいけない羽目となったわけだ。
待ち合わせの時間より少しはやめに着いてしまった。カフェモカでも飲んで待っていようと店の中へと入る。
「いらっしゃい。あれ、待ち合わせ?」
「はい。カフェモカをお願いします」
「畏まりました」
百武はいつものテーブル席へと座り、ぼんやりとしながら待っていると、程なくして甘い香りと共に目の前にカフェモカが置かれる。
「お待たせいたしました」
「ありがとうございます」
カウンターに戻り、その席に座る青年と会話をし始める。どうやら江藤とは知り合いのようだ。
纏う空気が柔らかくて話しやすい人だからだろうなと思いつつ。乃木がくるまで仕事をして待っていようとノートパソコンを取り出す。
すると、いつもはぎりぎりに来る乃木だが、今日は時間よりも早く喫茶店へやってくる。
「乃木先生」
「あ、うん。ちょっと待ってて」
乃木は百武へ手を上げて挨拶を返し、カウンターの席の青年へと声を掛けた。
もしや、彼は同業者で、打ち合わせの予定があったのだろうか。だとしたら一旦、外に出ていようか。
そう思い、ノートパソコンを閉じて鞄にしまうと、江藤が気が付いて乃木に声を掛ける。
「座ってて大丈夫。この子は違うから」
と、青年を連れて店を出て行った。
違うのならなんなのだ、彼は。
そう思ったところでハッとなる。乃木と彼がどういう関係だろうが自分には関係ない事だ。なのに何を気にしているのだろう。
(いや、一緒に仕事しているんだから気になって当然か)
そう、きっとそれで気にしているだけだ。
「お待たせ」
どれくらい物思いにふけていただろう。いつの間にか目の前に乃木の姿があり、江藤がコーヒーを運んできた。
「百武君?」
「もう、良いんですか?」
「え、あぁ、彼の事か。大丈夫だよ、部屋の掃除を頼んでいるだけだから」
「掃除、ですか」
「うん。ほら、俺の家で打ち合わせをしない理由を前に教えたでしょう?」
「そう、でしたね」
ということは彼は部屋に入ることを許されている人物という事で、自分に告白をしておきながら他の男を家にあげるという訳か。
「なんか、ますます苦手になりそうです」
自分が男前だとわかっていてからかっただけなのだろう。
「これをお渡ししたかっただけなので。用事が済みましたので帰ります」
席を立ち、江藤に乃木の分と合わせてコーヒー代を払うと外へとでる。
「まって、百武君」
すぐに乃木に腕を掴まれて、その腕を振り払う。
「もう用はねぇんで」
乱暴な態度。無意識に何か彼を怒らせるような事をしてしまったのだろうかと慌てる。
「俺、何か君にしてしまったかな」
「別に、何もねぇです」
「だって、眉間のしわがすごいよ」
と乃木の指が眉間へと触れ、それを勢いよく払い除ける。
「触らねぇでもらえませんかね」
「百武君」
「家に帰ったらどうですか。さっきの子が待っているんでしょう?」
「いや、今帰ると、寧ろ、邪魔って言われるかもな」
「兎に角、俺は帰り……」
百武の言葉を遮るように、
「あぁ、そうか。君、嫉妬してるのか」
と言葉を重ねた。
「はぁ、何、寝ぼけたことを言っているんですか!!」
「え、だって、イライラしているのはそういう事でしょう?」
「自惚れねぇでください」
「これが自惚れずにいられますかってぇの」
目を細め口角を上げる仕草はかっこよく。思わず胸が高鳴ってしまい、それを誤魔化すように、
「なら、勝手にどうぞ」
とそっけない態度をとる。
「なら、自惚れついでに、掃除が終わるまで喫茶店で一緒に待っていないか? 家に君を招待したい」
ダメかなと両手を握りしめられる。
「自惚れついでって、なんですか、それ。まぁ、どうせ拒否権なんてねぇんですよね?」
「うん」
「はぁ、わかりました」
「やった。じゃぁ喫茶店に戻ろう」
「はい」
再び戻ってきた二人を、江藤は微笑みながら向かい入れる。
カウンターの席に並んで座り、先ほどと同じメニューを頼んだ。
◇…◆…◇
家に戻ると綺麗になった部屋へ百武を招く。
「先生の部屋……」
「本しかないでしょ」
「あ、これ、鷲庵先生の本!」
目がキラキラしている。自分の本ではまだこんな顔をしてもらったことはない。
「なに、まさかファンとか?」
「はい」
これは、結構ダメージがデカい。
好きな子に他の作家のファンだといわれることがこんなに応えるとは思わなかった。
「乃木先生?」
ソファーに座りいじける乃木に、どうしたんだと隣に腰を下ろす。
「百武君は俺と鷲庵先生とどっちが好きなの?」
「え、鷲庵先生ですけど」
即答されて、更に落ち込む。
「どうせ俺なんて」
「はぁ、乃木先生って情けねぇんですね。俺を振り向かせる作品を書いてやろうとか、思ってはくれないんですか?」
期待しているんですけどね、と、真っ直ぐに見つめられて。
「本が絡むと、君は凄い事を言ってくれるんだな」
「何度も言ってますけど、先生の書く話は好きですから」
「俺に対する気持ちも、そうであって欲しいところだね」
ソファーへと押し倒して口づけをしようとすれば、それを百武の掌に邪魔される。
「本当、隙がねぇです」
「そりゃ、好きな子に対しては肉食ですから」
「俺は食われたかねぇんで」
そういうと身体を押しのけられてしまう。
「手をだすつもりなら帰りますけど?」
そう言われて焦る。
本当に百武は帰ってしまうだろう。
乃木は手を合わせ、
「え、もう手は出さないから、帰らないで」
と首を傾げた。
「わかりました。ならもう少しだけ」
まだここに興味があるのだろう。しょうがないから居てやるという態度をとっているつもりなのだろうが、乃木には浮ついて見える。
それが可愛くて口元を緩めながら見ていたら、
「あ、これ、乃木先生の話が初めて載った時のですよね」
と本棚か一冊の雑誌を取り出した。
「良く知っているね。本に載った時、すごく嬉しくてさ、保存用にって購入してしまったよ」
「だから二冊あるんですね」
その本を掲げ、まるで大切な物のように見つめる百武に、乃木は胸のときめきを覚える。
「よかったら貰ってくれないか?」
愛おしくてたまらない。
そんな彼にだから、この本を持っていて欲しいと思った。
「え、良いのですか」
大切なモノでしょうと雑誌を返そうとするが、良いからと押し戻す。
「ありがとうございます。大切にします」
その本を抱きしめてふわりと口元を綻ばす、その姿を見てしまい、何もしないでいるなんて無理だ。
「キス、しては駄目かな?」
そう遠慮がちに聞けば、綻んでいた口元をきゅっと一文字に締め、眉を寄せ非常に嫌そうな顔を見せる。
まずっただろうか。
欲に負けて口にしてしまった事を後悔するが、
「ならば、お礼って事で」
と、渋々ながら承諾してくれた。
「本当?」
「はい。けして意味は無いですから……、んぁ、まだ、んっ」
話の途中で我慢できずに唇を重ね、舌を差し込む。
「ま、って」
その口づけを拒もうと離れようとするが、手で後頭部を押さえつけて口内を乱す。
次第にその口づけを受け入れ始め、水音を立てながら舌を絡めあう。
「ん、せんせい……、もう」
腹を肘で突かれ、仕方なく唇を離す。
「はぁ、やりすぎ、です」
「ごめんね。君の事が好きなんだ」
だから自分の気持ちを抑えることができない。こんな相手は百武が初めてだ。
濡れた唇を親指で撫でて腕の中へと抱きしめる。
「変わり者ですね」
抱き返される事無くぶら下がる腕。それが寂しいと思ってしまう。
「何といわれようと、気持ちは変わらない」
「そうですか。でも俺は同じ意味で乃木先生の事を好きにはなれねぇんで。申し訳ねぇですが」
肩を掴まれて、身を離されて。前の様な無愛想な表情を浮かべ。
「俺に、期待なんてしねぇでください」
そう言うと、失礼しますと頭を下げて踵を返す。
「待って、百武君」
引き止めようと手を伸ばすが、百武は振り返ることなく真っ直ぐに玄関へと向かい外へと出て行った。
「はは、本格的にふられてしまったな」
力なくしゃがみ込み髪を掻き揚げ、空笑いをしながら玄関のドアを見つめた。