喫茶店のオーナーと甘党の彼

菓子パンと後輩の彼

 店に来れないときは前の日に連絡をくれていた大池だったが今日はまだ連絡がなく、きっと忙しいのだろうとその日はこちらからも連絡をすることはなかった。
 だが、次の日もさらに次の日も喫茶店に顔を見せない所か連絡もない。
 流石に大池の身に何か起きたのかと心配になり電話をするが出ることもなく、ならばとメールを送ったのだがその返事もない。
「信崎に聞いてみようか」
 信崎(のぶざき)は高校の時からの友人であり元同僚でもある男だ。彼は大池が新人の時にの指導係をしていた事もあり、自分以外に仕事の相談をしている姿を何度も見かけたことがある。
 今、大池が一番に頼りにしているのは信崎だろうから、彼が今どんな状況なのか知っていそうだ。
 信崎に連絡を入れようとスマートフォンを手にした矢先に、ドアにつけられた鈴がリンと音をたて客の来店を告げる。
「いらっしゃいませ」
「江藤さん、近くに来たんで」
 と手をあげて声を掛けるのは元同僚の後輩だ。
 カウンター席に腰を下ろした後輩にお冷と手拭きを出し何にするかと尋ねる。
「アイスコーヒーで」
「かしこまりました」
 伝票に書き込んだ後にアイスコーヒーをコップへ注ぎ差し出す。
 後輩の来店は今の江藤には都合よく、大池の事をいきなりではなく徐々に聞き出そうと思い話し始める。
「どうだ、みんな元気にしているか?」
「はい。今、すごく忙しくてヒーヒー言ってますけどね」
 それから暫く同僚たちの今の状況を聞かせてくれる後輩の話に耳を傾けていれば、都合よく大池の話になり相変わらず忙しそうにしているという。
「そう、なんだ」
 いくら忙しくとも、返事は送ってくれる。そんな男だと思う。だから余計に気になるわけだ。
 もっと詳しく聴こうと口を開きかけた江藤に、
「そういえば見ましたよ。江藤さんてばいつの間にあんな美人の彼女作ったんです?」
 といきなりそんな事を後輩に言われて何の事だと目を瞬かせる。
 大池に恋をしてからというもの彼女と呼べる存在など自分にはいない。
「いつの事だ、それは」
「えっと、五日前だったかな、駅前の百貨店前で」
 五日前といえば買い物に付き合えと言われ、親友であり義理の姉でもある園枝(そのえ)と一緒に出かけた日だ。
「なんだ、園枝の事か。彼女は親友で兄貴の嫁さんだよ。信崎に聞いてみろ。あいつも親友だから」
「そうなんですか。じゃぁ、大池さんにも教えてあげないと」
 そこで大池の名前が出てきてドキッとする。
 何故、大池に教える必要があるのだろうかと思い、「大池に?」と尋ねる。
「はい。その日、大池さんも外回りで、途中で一緒になったんですよ」
 普段は仕事以外の事に興味なしといった態度をとる大池だが、江藤と美人な女性が仲良く歩いている姿には驚いたようでずっと見ていたのだと、珍しい光景を見たと後輩は言う。
「大池さん、江藤さんに懐いてましたものね。だから余計に驚いたのかな?」
「え、懐くって」
「だって何かあると江藤さんにばかり意見を求めていたじゃないですか」
 確かに仕事の相談ならば自分以外に聞いたって良いのだから。
 自分に懐いてくれていたのかと、後輩に言われてはじめて気が付いた。
「さて、そろそろ戻らないと」
 伝票の上にお金を置いた後輩がまたきますと言って店を後にする。
 懐いていてくれた事が嬉しくて気分が上昇しかけたがすぐにそれは下降する。
 それならば何故、メールの返事は来ないのだろうか。

◇…◆…◇

 その日は朝から冷たい雨が降り肌寒かった。
 大池が店に来なくなって一週間。未だ連絡は一切ない。
 今日もきっと来ないだろうと思いつつ、もしかしたらと期待も込めて店の鍵だけは開けておこうとドアの前に立ちカギをあける。
 するとすりガラス越しに人影が見えて、咄嗟にドアを開けばそこに大池の姿がある。
「大池!」
 江藤と顔を合わせるなり逃げるように雨の中に飛び出してしまう。
「待って!」
 その後を追いかけようとした江藤だが、慌てていた事もありぬかるんだ場所に足を取られて転んでしまい、水たまりの中へと頭からつっこんでしまった。
 かっこ悪い。
 のろのろと身を起こし泥だらけになってしまったシャツにため息をついて。きっともう大池は居ないだろうと顔を上げれば。
「江藤先輩、大丈夫ですか?」
 と、手を差し伸べる大池の姿がすぐ傍にある。
「大池」
 泥だらけの手で掴むと引っ張ってくれて、起ちあがった江藤はそのまま喫茶店ではなく住居スペースのある二階へと大池を連れて行く。
 部屋へ入ると大池にタオルを手渡し風呂へと行くように言うが俯いたまま動かない。
 その顔を覗き込んでみれば、何か思いつめたような表情をしていて、江藤は大池の頬を手で包み込んで自分の方へ向かせた。
「どうした?」
 と、目を見つめながら尋ねれば、ぐっと喉に何かが詰まったかのような表情をし、それから目を泳がる。
 話すことを躊躇うような事なのか。それはきっと大池がここに来なかった理由だからだろう。
「大池、無理に話さなくていいよ。一先ず風呂に入って体を温めなって」
 そう背中を押してバスルームへと連れて行く。
「後で着替えとか持っていくから」
 とバスルームを出ようとしたところで大池の腕に引き止められた。
「俺、あの日からずっと考えていたんです」
「え?」
 一体何を?
 そう思いながら大池の言葉を待つ。
「江藤先輩に彼女がいて、祝福すべきことなのにこんなに嫌な気持ちになるんだろうって。それから同僚に彼女が江藤先輩の義理のお姉さんなんだと聞いて、ほっとしたのは何故だろうって」
 真剣な眼差しを向け言うその言葉はまるで告白のよう。つい都合の良い事ばかりを考えてしまい、胸が高鳴りだす。
「江藤先輩に会えば答えがでるのではと思って店の前まで来たのですが……、いざとなると怖気ついてしまって」
 そう言って俯く大池をそのまま抱きしめる。
「俺の勘違いじゃなかったら、それは俺が好きって事か?」
「……好き?」
 その言葉を聞いてかたまってしまった大池の、その唇に江藤は口づけをする。
「え、先輩」
 大池が目を見開き息をのむ。
「こういう意味で好きだよ。俺は大池の事」
 大丈夫かと大池の肩を摩りながら言えば、その顔は当惑していた。
「キスされて嫌だったか?」
 親指で大池の唇のラインをなぞれば首が横に振られる。
「嫌じゃないです。それ所か胸の鼓動が落ち着かない事になってます」
 ぎゅっと胸の前で自分の手を包む大池の顔は熱を帯びて真っ赤になっていた。
「おま……」
 それがあまりに可愛すぎてもう一度口づけすれば、大池は自分なりに必死で応えようとしてくれいるようで舌を出して絡めはじめる。
「ふぁっ、せん、ぱい」
 とろんとした目で江藤を見る大池をこのまま如何にかしてしまいたい気持ちを抑えてバスルームへと押しやる。
「今はまだここまで。まずは体を暖めなさい」
 そういうとバスルームから出ようとする江藤に、待ってと大池がシャツの袖を掴み。
「そうか、俺、そういう意味で先輩の事が好き、みたいです」
 ふわりと少しだけ笑顔を見せる。
 その可愛さに抑えていた気持ちが溢れ出そうになり、ごゆっくりと言って江藤はバスルームを後にする。
 それからすぐにシャワーを使う音が聞こえ、ソワソワとする気持ちを抑え込んで着替えの用意をしに寝室へと向かった。

 大池からのはじめてリクエストは「チョコレートクリームがたっぷりはいったパン」だった。
 パンを割った瞬間にとろりと流れるクリームに、目をきらきらさせて見せる。
「凄い」
 手についてしまったクリームが手首を伝ってシャツについてしまいそうになって。
 あわてて布巾でそれをふき取れば、むっとした表情で江藤を見る。
「勿体ないです」
 そこまでチョコレートが好きなのかと思い、子供っぽいその姿につい笑みを浮かべてしまう。
「悪かった」
 じっと江藤を見て。
「折角、江藤先輩が俺の為に作ってくれたパンなんですから」
 頬を赤く染めて言う大池から熱が伝染する。
「お前がそんな可愛い事を言ってくれるようになるなんてねぇ」

 江藤は照れ笑いを浮かべ、大池の唇に触れて口内を味わうように舌を絡ませれば、仄かに甘いチョコレートクリームの味がした。
「うん、美味い」
 自分で作ったチョコレートクリームも可愛い大池も。
 こういう事に不慣れな大池は恥ずかしさを隠すようにパンを食べだす。
 チョコレートパンが甘いので、今日は砂糖の入っていないミルクたっぷりのカフェオレを一緒にいれてあげた。
 そのカフェオレを一気に飲み干し、一瞬、苦かったのか眉を顰め。カップをテーブルに置いて一呼吸。
 そして、大池からカフェオレ味の口づけのお返し。
 ほんのり甘さを感じるその口づけに、江藤は大池の腰へと腕を回してその身を引き寄せた。