Short Story

君が差し出す「手」

 ひとけのない場所までいくと、向い合せに立ち両肩を掴まれる。互い距離が近くて顔を後ろへと引き離した。
「ごめん、何もしないよ」
 肩から手が離れる。
 キスをされると潮が思ったのだと勘違いしたのだろう。離れたことにはホッとしたが、そんなつもりはなかった。
「やっぱり、キスが嫌だったのかな」
 あの時、キスを受け入れてもらえた、そう樋山は思っていたという。
「俺が都合よく考えていただけなのかなって」
「いや、それは……」
「それじゃ、どうして拒否したの?」
 樋山からしてみればそうなるのか。
 手を差し伸べられて掴んだ。それにキスも受け入れた。それなのに手を払って逃げたのだから。
 ――これ以上、好きになるのが怖い。
 頭の中に浮かんだ想いに驚いて目を見開くと、いきなり樋山に抱きつかれた。
「え、なにっ」
「今の言葉、本当?」
 今の言葉とはなんのことだろう。樋山をそっと見上げるときらきらと笑顔が輝いていた。
 まさか、声に出ていたのかと、口を両手で覆う。
「潮君、顔が真っ赤」
 それは本人が一番よくわかっている。
 今更、なかったことにはできない。気まずさと恥ずかしさでどうにかなりそうだ。
「もう一回、聞かせてほしい」
 潮の肩に樋山が頭をのせる。胸の鼓動が跳ねたのと同時に肩が震えた。
「離れて……」
 ひとまず落ち着きたいというのに、距離が更に縮まって、 のけ反ったら尻もちをついてしまった。
「潮君、もし、俺のことが好きなら、この手を掴んでほしい」
 潮が何も答えないからだ。きっとこの手を掴まなければ、望んでいた生活に戻れるだろう。
 静かで、何もなくて、色のない世界。
 呆然としながら樋山を見上げると、きらきらと輝いて見える。
 眩しくて、近寄りがたい、でも、本当は……。
「潮君」
 温かい手が潮の手を握りしめる。
「手……」
「掴んでくれてありがとう」
 ぎゅっと両方の手で握りしめ、唇が触れた。
「先輩」
 一気に熱が上がる。
「ごめん、嬉しくて気持ちを抑えきれない」
 本当に嬉しいんだと、その気持ちがつないだ手から伝染する。
「俺は貴方が苦手でした」
「うん、気がついていたよ」
「つれない態度をとっても、何度も、何度も、俺に優しさと温かさを与えて溺れさせようとする。受け入れたらどれだけ幸せだろう、そう思いました」
 そこで一旦、言葉をきって潮は立ち上がり、もう片方の手を樋山の手に重ねた。
「でも、俺は何も取り柄のない、つまらない男です。いつか嫌になって離れていく、そしてまた一人になった時を考えたら怖くて逃げました」
 正直に胸の内を話すが、
「……何それ」
 樋山の表情はなく、声がいつもよりも低い気がする。
 もしかして怒っているのだろうか。
 正直に話をしたというのに、それならこたえなければよかった。
 手を振り払う。予想以上にダメージが大きい。
「言わなければよかった」
 悲しみがこみ上げ、目頭が熱くなる。
 泣くまいと耐えるようにこぶしを強く握りしめると、樋山がそれを包むように両手で握りしめて持ち上げる。
「潮君は自分を卑下しすぎ。何も取り柄がないつまらない男じゃないよ。それに好きすぎて気持ちが抑えきれないっていうのに、嫌になるわけないでしょ」
 得意満面にいわれて、ぽかんと樋山を見る。
「だから、安心して俺の恋人にりなさいな」
 そして、腕を引かれて抱きしめられた。
「わっ、樋山先輩」
 潮の頭を撫でながら幸せそうに笑う樋山を見ていたら力が抜けた。
「好きだよ」
 好きという言葉がこんなにも嬉しいものだとは。喜びが心の奥からじわっとわいてくる。
「わかってますから」
 だけど素直な気持ちは伝えられず、口から出るのはつれない言葉だ。
 それなのに樋山の口元は綻んだまま、潮の性格をわかっているからそうなのだろう。
「そうだね」
 頭を撫でていた手は、甲側に向けられて指が頬と唇を撫でる。それだけで身体が震えてしまうのは、あの時を思いだすからだ。
「あ、だめっ」
 唇を開くと指が中へとはいりこみ、上あごを弄り、付け根の下側舌を刺激するように二本の指で挟まれてゆるゆると動かされる。
「ひうっ」
 変な声がでてしまう。何故と樋山を見ると、息が荒く興奮しているようだ。
「やっ」
 こんな姿を見て喜ぶなんて。
 口の端から唾液が流れ落ち、それを舌が拭うように舐めとっていく。
 恋愛がなくとも樋山が何を求めているのかはわかる。だが、こういうことには慣れていない。
 容量を超えて頭がくらくらとしてきた。
「え、あ、潮君!?」
 足元から崩れ落ちる潮を腰に腕がまわして支えてくれた。
「先輩の、ばかぁ……」
 顔を胸に押し付けると、ごめんねといいながら抱きしめて、あやすように背中をぽんぽんと叩いた。
 恋人同士がするような行為は恥ずかしいけれど、こうやって抱きしめられるのは嫌じゃない。心が落ち着くから。
 ホッと息をはき顔をあげると、優しい眼差しが向けられていて、潮の口元が自然と綻んだ。

 樋山は空気が読めない奴なのではないだろうか。
 相変わらず女子が集まる。
 だが、樋山の目は真っ直ぐに潮へと向けられているため、女子達までもが怖い顔で潮を見ていた。
 居心地が悪い。
 席を立てば、樋山が当然のようについてくるので、ますます女子の怒りがこちらへと向けられるわけだ。
「アレ、どうにかしてください」
 告白してからというもの、樋山のしつこさと遠慮のなさが増した気がする。
 傍で見ていた真田にいうと、
「恋は盲目にさせるんだな」
 しみじみと言われてしまう。いや、盲目になられたらこまる。潮が嫌な思いをするはめになるのだから。
「だって、もう我慢する必要はないでしょ?」
 拳を握りしめてそんなことを口にする。
 今までだって我慢はしていないだろう、そう心の中でツッコミをいれると、樋山は目を細めて口元を綻ばす。
「で、潮君とベッドでいちゃいちゃする!」
「ぶっ、何、バカなことを言うんですか」
 浮かれているだけでなく、脳内はお花畑のようだ。
「うわぁ」
 同情するように真田が肩に手を置く。そんなものよりも樋山をどうにかしてほしい。
「やっぱ無理です。付き合いきれません」
 近寄らないでくださいと掌を樋山の方へ向けるが、
「ごめんね。もう、逃がしてあげられない」
 その手を握りしめられてしまう。
「や、真田先輩、助けて」
「明石君、頑張れ」
 俺には止められないと、手を振って行ってしまう。
 見捨てないでと手を伸ばすが、樋山に抱きしめられて身動きが取れなくなる。
「樋山先輩」
「真田に助けを求めても駄目だよ。俺のしつこさはわかっているでしょう? 逃げても見つけるから」
「うっ」
 そうなのだ。潮がどこにいても、気がつけば傍にいる。
「そういうところ、怖いんですけど」
「あはは、こんな男でごめんね」
 全くその通りだ。だけど、そんな男に心を奪われてしまった自分もどうかと思う。
「そうですよ。本当の先輩を知っているのは俺だけなんですからね」
「それでも、好きでいてくれる?」
「……しょうがないから、好きでいてあげます」
 最後の方は呟くような声で告げると、樋山のが目を見開き、そして嬉しそうに破顔する。
 その顔を見れただけで、今までとは違う感情がこみ上げてきた。
 愛おしい、嬉しい、幸せ、そんな感情だ。
 そっと樋山の頬に手を伸ばすと、その手を掴んで愛おしそうに頬をすりよせた。