マランタンデュ
 彼の身体に残る痕に我を失った。
             それをつけたのが唯香ではなく、別の男だというのが引き金だった。
             夢中で貪り、我に返ったときに見た亮汰の姿が目から離れない。
             隆也の欲で濡れた身体。そこには無数の痕が残っていた。
             このままでは亮汰を離せなくなる。彼の幸せを壊してしまう。だから隆也は逃げ出したのだ。                
            「亮汰ぁ」
             淡い想いが色づくなんてあっという間だった。
             いつもは怖いツンとした目元がとろんと垂れて可愛かった。
            「俺を惑わせないでくれよ……」
             もう自分の手には入らないというのに、ばかだ。あそこで触れてしまったのが良くなかった。これでは素直に結婚を祝えない。
             このまま結婚式まで会えないと伝えたほうがいいだろう。亮太の実家には申し訳ないけれど挨拶へは行けそうにない。
             叔母に連絡をしておこうとスマートフォンを手にすると、タイミングよくメールを知らせる着信音が鳴る。
             画面に亮太の文字が表示されている。
            「このタイミングで」
             いまからしようとしていたことなんてお見通しなんだよと言われているかのようだ。
            <日曜日、俺の実家に必ずきてくれ。話をしよう>
             無理だよと返事をしたかった。
             だが、続けてメールが送られてくる。
            <こなければ、桜ちゃんに全部話して協力してもらうから>
             桜に話などしたら面倒なことになる。さすがにそれはやめてほしい。
             行く以外の選択肢がなくなり深く息を吐く。
            <わかった>
             どんな顔をして会えばいいのだろう。亮太だって自分と会うのは気まずいだろうに。
            「亮太、頼むよ」
             これ以上、悩まさないでほしい。
             嫌な時間は早く訪れてしまう。約束の時間ぎりぎりにつくようにホテルをでる。
             亮汰の実家はかわりなく、懐かしいとおもいながらチャイムを押すと、かわいらしい女性がドアを開けてくれた。
            「唯香さん、だよね」
             亮太でなかったことにほっとしたが、唯香の出迎えに心臓がズキっと傷んだ。
            「隆也さんですね。亮ちゃんから聞いてます。てっきり一緒に来ると思っていたんですけど……」
             一人できたことに驚いているようで、すでに家にいると思っていた亮汰がまだ来ていないと知ることができた。
             それにしても亮ちゃんと呼んでいるのか。親しげな関係が隆也の胸を抉る。結婚をするのだからそんなのあたりまえなのに。
             上手く笑えているうちに唯香の元から離れたい。そうでないと表情が強張ってしまいそうだ。
            「あの、おあがり下さい」
            「はい。唯香さん、結婚おめでとうございます」
             そう口にすると唯香は可愛い笑顔を見せる。その顔は幸せだとその顔は物語っていた。
             手土産にと途中で買ってきた菓子を唯香に渡すと、
            「隆也さん」
             背後に背が大きく優しい表情をした男が立つ。
            「お前、幹か」
            「はい、弟の幹です」
             幹の記憶は幼稚園で止まっているし、向こうだって隆也のことなんて、亮汰から聞いていたとしても解らないだろう。
             それなのに挨拶をしに出てきたというのは亮汰はいないということか。
             だとしたら唯香が何故ここにいるのかと疑問になる。
            「幹くん、お菓子とお土産もらったよ」
             と唯香がそれを幹へと見せる。
            「わぁ、ありがとうございます。さ、上ってください」
            「うん。幹、よかったな。亮汰に可愛いお嫁さんがきて」
             そう口にした途端、幹が隆也の肩を掴んだ。
            「隆也さん、もしかして勘違いしていない? 結婚するのは俺と唯香だからっ」
            「……え?」
             結婚するのは亮汰ではなく、幹の方なのかと二人を見つめ、
            「え、だって、桜ちゃんが従弟って」
             そう口にして気が付いた。そうだ、従弟は亮汰だけではない。
            「やられた」
             曖昧な言い方をして勘違いをさせたんだ。
            「俺も従弟だよ、隆也さん」
             苦笑いを浮かべる幹に、すまないと頭を下げる。
            「もしかして、桜さんに?」
            「そう。あ……、てっきり亮汰だと思ってた」
             恥ずかしいと顔を手で覆う。
            「気にしないでください。そこのところは兄に聞きましょう」
             と振り向くように言われ、そのとおりにするとそこに亮汰が立っていた。
            「りょう、た」
            「約束をすっぽかすかと思っていたけれど、ちゃんと来てくれたんだな」
             亮汰が隆也の手を掴んだ。
            「ほら、上がって」
             と腕を引かれて、階段の方へと向かう。
 
            「え、亮汰」
            「まずは俺と話すのが先。幹、お前等は後な」
            「わかった」
             後でねと、二人はすんなり離れてしまう。
             亮汰に連れられ階段を上り部屋へと入る。そこは亮汰が使っていた部屋だ。
 
            「亮汰……」
            「結婚のことについては、ごめん。俺も一枚かんでる」
             曖昧な言い方をして気が付くまでだまっている、これは桜が企んだことで、なかなか帰ってこない隆也に意地悪をしたわけだ。
            「でもさ、実家に帰った時に叔母さんが言わなかったのか?」
            「多分、母親も一枚かんでる」
            「はは、そっか」
 
             実の息子をはめるとは。なによりもはまってしまった自分が情けない。
             よくよく思えば、おかしな点はいくつもあった。
             あの部屋は女っ気があまりになさすぎた。二人の写真すらなかったのだから。
            「なぁ、マンションの件も?」
            「俺らが結婚するということ以外は本当だぞ」
 
            「そうなんだ」
             力が抜けた。しゃがみこむ隆也に亮太が手を差し出した。
 
            「隆也さん、唯香のご飯、食べていくだろう?」
             その手を握りしめて立ち上がる。
            「あぁ。頂くよ」
            「じゃぁ、下に行こうか」
             部屋を出て階段を降りると下で幹が待っていた。
 
            「ちゃんと謝った?」
            「あぁ。な、隆也さん」
            「うん。でも、あれは桜ちゃんも悪いしな」
             それよりも本当に結婚をする幹と唯香に申し訳がない。
            「ごめんな幹。嫌な気分にさせた」
            「隆也さんは被害者でしょ。兄貴、俺達にも謝りなさい」
             と腕を組む。亮太と違って顔が優しげだから怒っているように見えない。
             きっと優しい旦那さんになるんだろうなと口元を綻ばす。
            「幹、ごめんな」
            「唯香にも後で謝るように。さ、ご飯の用意できてるから」
             リビングにはすでに食事の用意がされていて、伯父と伯母が久しぶりとこちらに笑顔を向ける。
            「ご無沙汰です」
            「すっかり素敵になっちゃって」
            「ありがとうございます」
             腰を下ろすとその隣に亮太が座る。
             唯香はすっかり伊崎家の嫁になっていて親とも仲が良い。
             時折、幹と視線を合わせてほほ笑む姿を見ているとほっこりとしてきた。
            「お似合いだろ、あの二人」
             こそっと亮太が耳打つ。
            「うん、そうだね」
             二人で顔を見合わせ微笑むと、唯香がこちらをみていた。
            「何、亮ちゃん、味がおかしかった?」
            「違うよ。な、隆也さん」
            「あぁ。おいしいよ、唯香ちゃん」
            「よかったぁ」
             心から嬉しそうな笑顔。
             もしも亮太と彼女が本当に結婚することになっていたら、自分など割って入れぬとあきらめられたかもしれない。
             まだ会ってまもないが、それだけ彼女に好感を持てた。