謝罪と抱擁
             なんて切り出せばいいだろう。
             友達になってほしいと、口にだして告げることがこんなにも難しいことだったなんて。
             いざ、そう心の中で思うのだが、なかなか言葉にならない。
             勇気を貰おうと、橋沼さんから貰った飴を食べてから美術室へいくのだが、飴も残り一個しかない。
             もしもの時を考えてしまう。
             向こうはそのつもりがなくて、俺だけ思っていたとして、それで気まずくなったらどうしよう。
             今日こそはと気合を入れて口の中へ飴を放り込む。
             甘いそれをコロコロと転がしながら美術室へと向かうが、そこにいたのは橋沼さんではなく見知らぬ顔だ。
             部員だろうか。もしそうだとしたら部外者である俺は遠慮すべきだろう。
             結局、言えず仕舞いだなとため息をつき、踵を返すが、
            「あ、総一から聞いている。入りなよ」
             と椅子から立ち上がり声を掛けられる。
             橋沼さんのことを下の名で呼んでいる。もしかして友達だろうか。
             それにしても随分と背の高い人だ。たぶん、橋沼さんと同じくらいだろう。バランスのとれた顔と身体、まるでモデルのような男だ。
            「橋沼さんは?」
            「ん、クラスの用事。後、十分くらいしたらくるよ」
            「そうなんだ」
             いつも座っている場所に腰を下ろす。
             橋沼さんが来るまで彼もここにいるつもりなのだろうか。なんか、居心地が悪いな。
             弁当を食うのは待つとして、その間、スマホでも弄っていようかとポケットから取り出す。
             だけど意識は彼の方へと向いてしまい、はやく教室に戻ってくれないかなと心の中で思う。 
            「ねぇ」
             声を掛けられ顔を向けると、
            「君って、あの、卑怯者君だよね?」
             といわれる。一体何を言い出すんだと睨みつければ、口元に浮かんでいた笑みが消えた。
             あぁ、この人は葉月との間に起きた出来事を誰かに聞いて知っているんだ。
             葉月が神野と話すようになってから気に入らない奴になった。
             弁当を食べながら楽しそうにしている姿をみて、それが気にくわなくて、一人で屋上にいる時に、仲間と一緒に葉月の元へと行き、弁当を……。
            「喧嘩を自分から吹っかけて、負けた腹いせに、担任に告げ口とかありえねぇから」
             屋上でのことが教師に伝わったのは、そこにいた生徒が呼びにいったからだし、元々、葉月は印象が悪く、伸されていたのが俺達だったから、停学になったと思っていた。
            「は、よく言うよ。お前等は処分も受けなかったんだろう?」
             葉月に敵わないことが悔しくて、腸が煮え返りそうだったけれど、俺から仕掛けたことだ。告げ口をしようなんて思っていない。
             だが、同じことか。俺は被害者ヅラをしていたのだから。
            「だから、なんだって言うんだよ」
             葉月の停学があけ、学校に戻って来た時には全て俺が悪いことになっていた。
             誰かが勝手な噂を流して、そういうことになってしまった。それをこの男も信じているということだ。
            「お前さ、美術室に来るなよ」
             強い敵意。
             その目は、葉月が停学になった時に神野から向けられたものと同じだ。
             本気で相手を心配して、俺に敵意を向けているんだ。
             羨ましいな。そんな風に心配をしてくれる人が橋沼さんにはいるのだから。
             もやもやとするのは嫉みのせいだろう。
            「橋沼さんから誘ってきたんだぜ」
             挑発をするように、わざとらしく、そして相手がムカつくように笑ってみせる。
             だが、相手は表情をかえることなく話を続けた。
            「総一は知っているよ。お前がどんな奴かって」
             その言葉に愕然とした。まさか、俺のしたことを知っていたなんて。
            「そんな……」
             彼に何を言われても平気だったのに、橋沼さんに知られていることはショックだった。
             気がつけば美術室から出て、外に座り込んでいた。
             知っていたのにどうして橋沼さんは何も言わなかったんだろう。
             彼が言うとおり、どんな奴か気になって相手をしてくれていたのだろうか。
            「ぶにゃぁ」
             今じゃ食べ物の匂いがなくても顔を見せてくれるようになったブニャを抱き上げて顔を埋める。
            「田中」
             こんなに存在感がある人なのに、気配を消すの上手いよな。いつの間にか傍に橋沼さんの姿がある。
             何故、話しかけてくるのだろう。知っているだろう? 俺は卑怯でずるい奴だってことを。
            「美術室で話しをしよう」
             それなのに優しく声を掛けてくれる。
             俺はいかないと首を横に振るうが、
            「よし、選ばせてやる。美術室にいくか、恥ずかし固めをくらうか」
            「なんだよ、それ……」
             恥ずかし固めとは、股を開かせた体勢でホールドする関節技のことだ。
            「股、開きたいのか?」
             女じゃないんだ。男にそんな真似をされたら屈辱的なだけだ。
「嫌に決まってんだろ」
            「それなら来い」
             と腕を掴まれる。
             抵抗しても力では敵わない。引っ張られるまま美術室へと向かう。
             中に入るなり俺は橋沼さんの手を払った。
            「なぁ、知っていたんだろ、俺がしたことを。それなのに、どうして」
             その答えを聞くのが怖い。だけど口にせずにはいられなかった。
             総一さんの本当の気持ちを知りたかったからだ。
            「俺は今の田中としか付き合いがないんだぞ? 誰かに酷いことをした話をされてもなぁ、嫌いになれない」
             俺は深く息を吐き、しゃがみ込む。
             橋沼さんが全てを知っていると聞かされた時、心臓が止まるかと思った。
             プロレスの話で盛り上がったり、絵を描く時の真剣な目を見ることができなるなると。
             失うことが怖くて、辛くて、
            「泣くなよ」
             そう言われて、頬に触れると濡れていた。
            「え? 泣いてねぇし」
             どうやら、安心したら涙が出てしまったようで、それを掌で拭う。
            「俺の前では強がらなくていい」
             と、橋沼さんもしゃがみ込み、俺の背に腕を回した。
             包容力がある人だ。大きな手で背中を撫でられると安心してしまう。
             このままこうしていたい。そんな想いがよぎり、驚いて肩がビクッと跳ね上がる。
            「どうした?」
             顔が近い。何故か心臓が落ち着かなくてドクドクと波打つ。
            「暑苦しいんだよ」
             手でガードするように橋沼さんの身体を押す。
            「可愛くない」
             と、そのままスリーパーホールドをかけられた。
             後ろから相手の首に腕をまわして頸動脈を締め上げて気絶させる技なのだ。かるくかけられているので落ちることはないが苦しい。
            「降参」
             腕を叩いていうと、橋沼さんがガッツポーズをし、口角をあげた。
            「お前は抱擁よりもプロレス技の方が良いようだな」
            「どっちも嫌だてぇの」
             男なんかに抱擁されても嬉しくねぇ。同じ巨乳でも柔らかい方が良い。
             こうしていたいと思ったのはひと肌が恋しかっただけだ。
             そっと橋沼を見れば、優しい表情を浮かべていて、俺は目を見開いた。
             なんか、やばい。
             男にときめくって、ありえない。
            「はは、真っ赤だな」
             ぎゅっと鼻を摘ままれて、そのお蔭で気持ちが誤魔化せた。
             よかった。
             安心しつつ、橋沼さんの手を払いのけると、今度は乱暴に髪を撫でられた。
             だがそれも次第に弱くなり手が止まった。
            「俺な、お前に救われたんだ」
            「俺に?」
            「実はスランプになったのって、展示会に出す絵を切り裂かれたからなんだ」
            「えっ」
             それって相当ダメージをうけただろうに。俺は何も言うことができず、橋沼さんを見る。
            「すごく手ごたえがあったんだ。それだけにショックが大きくて筆を握ることができなかった」
             すごくつらかったんだな。橋沼さん、すごく苦しそうな表情をしている。
             俺はどうしたらいいのか解らなくて俯いてしまう。そうしたら手を握りしめられた。
             思いだしたくないことだろう。だけど俺に話そうとしてくれている。それをきちんと聞かないでどうするんだ。
             顔をあげ橋沼さんを真っ直ぐとみる。目が合うと苦しそうだった顔がすこしだけ和らいだ。
            「先生が美術室のカギをかしてくれて、それでも描く気力がわかずに、毎日ぼっとしていたんだ」
             そんなとき、ブニャに、そして俺に出会ったそうだ。
            「はじめは見ているだけだったんだけど、スケッチブックと鉛筆を持って眺めていたら、自然と手が動いていた。久しぶりに描けたなって気持ちになって。他から見たらなんだこれって絵なのにな」
             興味をもった。俺を見てみたいと思った。
             そういうと指を絡ませる。
            「ブニャが話すきっかけをくれた。初めて見る田中はまるで警戒している猫のようだったな」
            「そりゃ、橋沼さんみたく馴れ馴れしくねぇもの」
            「知りたいって思いで必死だったからな」
             と笑い、
            「でだ。こういうことがあったから、アイツは俺のことを心配してくれるわけなんだ」
             美術室で橋沼さんの友達とのやりとりをいっているのだろう。
             事情を知っているからこそ、俺みたいのが傍にいることが心配でならなかったのだろうな。
            「でもアイツが勝手に俺らのことを決める権利はない。だから謝らせるから」
            「え、謝罪なんていらねぇよ」
             正直言って会いたくないんだよな。俺、嫌われているみたいだし。
             それに彼のお蔭で橋沼さんとより仲良くなれた気がするから。
            「これからも一緒に飯を食おうな」
            「あぁ」
             美術室での時間をまだ続けていていいんだな。よかったと俺は胸をなでおろした。