謝罪と抱擁
 謝罪させると橋沼さんは言っていたが、必要ないと伝えたはずなのに、アイツが隣に座っていた。
             俺がくると手をひらひらとさせて、口元に笑みを浮かべている。目は笑っていないけれどな。
             苦笑いを浮かべつつ向かいの席に腰を下ろすと、前屈みになり顔を近づけてくる。
             顔が良いだけに、女子にすれば間違いなくキュンとくるやつ。でも俺にはガンをつけて喧嘩をうっているように思えてくる。
            「俺は総一のお友達で、尾沢冬弥(おざわとうや)ね。お前と同じクラスに尾沢彰正(おざわあきまさ)っているだろう。それの兄貴だ」
            「え、そうなんだ」
             同じクラスの委員長のことだ。見た目は地味な奴なんだけど、まさかこんな派手な兄貴がいたなんて。
             多分、俺のことは弟から聞いたんだろう。
			 葉月と神野は友達だものな、友達だものな。俺のことを許せなかったんだろう。
            「あぁ、だから知っていたのか」
            「言っておくが、彰正じゃないぞ。お前と同じクラスの女子から聞いた」
             しかも、勝手に話してくれたそうだ。
             それ以外にもあるぞと、俺がいきがっていた時の黒歴史を語り始め、慌てて止めようとするが、
            「冬弥、それは関係ない話だろう」
             まるで俺を守るかのように頭を抱きかかえられる。
             キュン。
             て、何、ときめいてんだよ、俺。相手は橋沼さんだぞっ。
            「甘やかすなよ、コイツのこと」
             俺の頭を尾沢兄が小突き、橋沼さんがやめなさいとたしなめてくれた。
            「お前がとやかくいうことじゃない。田中はちゃんと解ってる。な?」
             橋沼さん、俺を信じてくれているんだな。
             強がりな部分と怖いと思う気持ちが、このままでいいんじゃないかと、何も言えぬまま時がたつ。
             これからも橋沼さんと一緒にいたいなら、俺は変わらなくては駄目だ。
            「葉月にはきちんと謝るよ」
             良くできました。まるでそういっているかのように、頭を優しく撫でてくれた。
            「総一」
             呆れたと尾沢兄がため息をつき、橋沼さんが満足げに口角をあげる。
             本当、甘やかされているわ。それがこそばゆく、でも嬉しいよな。
            「ほら、冬弥も」
            「わかってる。悪かった田中」
             そう頭を少し下げる。悔しいのか、それとも羞恥心からか、頬を赤く染めて教室に戻るといってしまった。
             へー、意外と素直じゃん。そう思っていた所に、橋沼さんの腕が首に回り、そのまま一緒に床に倒れ込んだ。
            「うをっ、何!?」
             何で押し倒されているんだ、俺っ。身を起こそうにも橋沼さんが重すぎて動けない。
            「橋沼さん、苦しい」
             ギブと腕を叩くと、顔を横にずらして耳元に、
            「田中、頑張れ」
             と囁いた。
             次の日の昼休み。話があると、葉月に美術室の下、ブニャの餌をやる場所にきてもらった。
             見届けさせろと神野がついてきたが、それを拒むことはしなかった。
            「葉月、喧嘩をうったのは俺なのに、お前だけ停学にさせてすみませんでした」
             頭を深々と下げる。
            「今更だ」
             神野の冷たい声。顔をあげると表情までもが冷めていた。
            「そうだよな。俺、担任に正直に話をするよ」
             謝る以外に俺にできることは、葉月が教師から受けた誤解を解くことだけだ。
            「もう過ぎたことだ」
             話をしたところで信じねぇからと言われて、心から申し訳なかったと反省する。
             その通りだな。だから俺達は何もお咎めがなかったのだから。今更、話を蒸し返したところで、何もおこらないだろう。
            「いちいち喧嘩を売ってきて、ウザイと思っていたけどさ、もうしねぇだろ?」
            「あぁ。本当に馬鹿な真似をしたよ」
            「それなら、もういい」
             話はオシマイな、と、葉月は神野の方を見る。
            「悟郎がそういうなら」
             いつもの、キラキラとしていて王子様ってカンジの神野に戻った。
            「顔、怖くなくなったな」
             と葉月が、神野の目尻を指でつりあげたり下げたりして弄りだす。
            「俺だってムカつけば怒るよ」
             笑いながらその手を掴んで辞めさせる。
             いや、人受けするような顔をした神野以外は見たことがなかった。だからあの時は本気で怒らせたんだって思うよ。
             それに今だって、俺が葉月に何かするのではないかと警戒していたんじゃないのか?
             神野に素の顔をさせることができるって、葉月は大切な人ってことだよな。
            「俺さ、神野はいつでもキラキラとした王子様だと思ったけど、素は魔王様なんだな」
            「キラキラ、魔王……」
             葉月がそう呟き、確かにと頷く。
            「ちょっと、変なことを言うなよ」
             楽しそうだな、二人とも。俺も橋沼さんとこんなふうになれたらよいのに。
             そんなことを思いながら二人を眺めていたら、
            「おーい、田中、仲直りできたかー」
             頭上から声をかけられた。
             いつの間にかベランダに橋沼さんの姿がある。タイミングよすぎるよ。
            「うるせぇ」
             くそ、恥ずかしくて顔が熱い。
            「美術部の橋沼先輩じゃないか。田中、知り合いだったんだな」
             何故、知っているんだと神野を見れば、
            「あの人、目立つだろう?」
             と、逆に今まで知らなかったのかと呆れられた。
             そんなに目立つ人なのか、知っていたかと葉月に聞けば、知らないと首を横に振る。
             そうだよな、俺だけじゃなかった。
            「悟郎は他人に関心なさすぎ。田中は女子にしか興味なかったものな」
             その通りです。女子の前でいい恰好をみせたいとそればかり考えていた。
             だからあの頃の俺は神野と仲良くなりたかったんだ。
            「うるせぇよ。男はそんなモンだろう」
            「まぁ、そうかもな」
             と神野が苦笑いを浮かべ、葉月が頷いた。
             早く会って話がしたい。そう思い、美術室のベランダを見上げれば、そこに橋沼さんの姿はなく、気持ちが焦り始める。
            「葉月、神野、今日は話を聞いてくれてありがとうな」
            「いや。今の田中は悪くねぇ、よ」
             そう葉月が俺の肩を叩く。
            「行けよ。先輩が待っているんだろう」
            「あぁ。行くわ」
             二人に見送られ、俺は橋沼さんの待つ場所へ向けて走っていった。
             ドアを開けると橋沼さんが俺を出迎えるように手を広げて、その胸におもいきり飛び込むと、しっかりと受け止めてくれた。
            「猪突猛進だなぁ」
             何を言っているか意味がわかんねぇけど、謝ることができたと伝えたかった。
            「言えたよ、橋沼さんっ」
             少し興奮気味な俺をなだめるように、
            「あぁ。よかったな」
             と大きな手が俺の頭を撫でる。
             これだ。俺は橋沼さんにこうしてほしかったんだ。
             嬉しいときや悲しいときに傍にいて慰めたり勇気つけたり、抱きしめたり頭を撫でてスキンシップをする。そんなことができる関係になりたかったんだ。
            「橋沼さんのお蔭で勇気がもてたんだ。なぁ、俺と、友達になってくれないか?」
             この歳でいうのって、非常に照れくさいもんだな。
             ちらっと橋沼さんを見ると黙ったまま俺を見ている。あれ、これって失敗したかも。
            「ごめん、今のは取消……」
            「なんだ、田中と俺は友達じゃなかったんだ」
             言葉が重なり合あい、
            「そうなの」
            「え、取り消すの?」
             とさらに重なり合った。
             引かれたかと思った。良かった、友達になってくれるってことだよな。ホッとしたよ。
            「そうだな、じゃぁ、互いに下の名前で呼び合うか」
             俺もこれからは田中ではなく秀次と呼ばせてもらうからと言われ、一気にテンションが上がる。
            「いいのかっ」
             名前呼びだと友達感が増すよな。これからは橋沼さんじゃなくて総一さんと呼ぶのか。なんか、こういうの久しぶりだわ。照れるやら嬉しいやらで口元が緩む。
            「あぁ。ほら、呼んでみろ。総一センパイって」
             語尾にハートをつけろよと言われ、流石に少し引いた。
             それ、俺が言ったらただキモイだけじゃん。何を考えているんだと総一さんにジト目を向けた。
            「可愛く言えよ」
             これは……、完全に遊んでるな、このやろう。
            「総一先輩」
             指でハートの形を作る。あまりにキモくて自分にまでダメージがかえってきた。
             総一さんは口元を手で押さえて震えている。絶対、笑ってやがる。
             くそ恥ずかしいじゃねぇか。
            「笑ってんなよ。リクエストにこたえてやったのに」
            「ありがとうな、秀次」
             目尻を下げて俺を見ている。なんか、橋沼さんがブニャにデレてる時に見せる表情だ。
             くそ、図体のデカイ男を可愛いと思う日がこようとは。
            「特別だからな」
             と言い返せば、総一さんは俺の髪を乱暴にかきまぜた。
            「わ、ちょっと」
             力が強いから、首が右に左にと揺れる。やめてとその手を掴めば、動きが止まった。
            「よし、早速、連絡先を交換しよう」
             スマートフォンをポケットから取り出して、目の前で振るう。
             名前呼びの次は連絡先の交換か。それをし終えて、電話帳を確認する。
             はの行。そこに名前を見つけて、嬉しさがじわじわと込み上げてくる。
            「そんなに喜んでもらえるなんて、嬉しいぞ」
             もしかして顔にでてた? 恥ずかしくて総一さんから顔を背けると、頬に柔らかい感触が。
             あれ、これって……。
             そこに手をやり、そしてゆっくりと総一さんを見る。まさかな。キスされる理由なんてないし。
             気のせいだ。きっとあれはなんでない。
             だが、今度は頬に当てた指に柔らかいものが触れて、しかもぬるりと感触までプラスされる。
            「て、なにしてくれんの、俺に!」
             なんで、キスしてんの。それに指を舐められたし。
            「懐かないにゃんこが甘えてきたから、つい、な」
             と総一さんが言う。
             あぁ、なんだ。猫扱いね、俺は。総一さんならやりかねないか。
            「はぁ、俺だからいいものを。他の人だと勘違いされるぞ」
            「そうだな。こういうことは秀次だけにする」
             いや、俺だけって、できれば勘弁してほしい。胸がざわざわとして落ち着かない。
            「駄目か?」
             怒られた犬のようにしゅんとする総一さんに、駄目だなんて言えないっ。
            「わかったよ」
             と言うと、表情が明るくなる。
             驚いたけれど別に嫌じゃなかった。相手が総一さんだからだろうな。
             それにしても、意外とスキンシップが激しいのな。俺だけとか言っていたけれど、なんだか胸がもやもやとした。