甘える君は可愛い

社員食堂で休息を

 食堂は今日も混んでいる。
 旭日は忙しそうに手を動かし、指示をだしている。
 並びながらその姿を眺めていると、目が合い、頭を下げる。
 夜久はそれに応えるように手を軽く上げて日替わり定食を受け取りテーブルへと向かう。
 特に食事を一緒にとる人もおらず、空いている場所ならどこでもよかった。
「ねぇ、君。一人分なら空いているよ」
 そう声を掛けられて、そちらへと目をやる。夜久が解りやすいようにと手をあげてくれた。
「ありがとうございます」
 前の席に腰を下ろす。改めて声を掛けてくれた人を見れば、一つ下のフロアで働く八潮(やしお)であった。
 噂は女子から聞いていたので、一度は話をして見たいと思っていた。
「君、上のフロアで働いているよね」
 正直にいうと、地味で目立たない自分を知っていたことに驚いた。それと同時に嬉しくもあった。
「はい。夜久といいます」
「僕は八潮。で、君の隣に座っているのは久世(くぜ)君で、僕の隣に座っているのが三木本(みきもと)君ね」
 二人は同じ課の部下だそうだ。一緒に昼ご飯を食べるほどの仲だとは。自分の課とはえらい違いだ。
 それにしてもなんだろう。やたらに見られている気がする。
 八潮は物腰柔らかに笑いながら、隣の三木本は怖い顔をして、そして夜久の隣に座る久世は興味津々といった感じか。
 何かしたかなと考えてみるが、接点があまりになくて思いつかない。
「えっと、あ、煮物ってメニューにありましたっけ?」
 八潮のトレイにはご飯とみそ汁、漬物と煮物だけだ。
「旭日君がね、自分の賄いと肉野菜炒めを交換してくれたんだよ」
 なんだ、誰にでも優しいんだ。ぼんやりとそうんなことをおもう。
「もしかして、煮物が良かったの?」
「あ、いえ、そういう訳じゃないです」
 そういうところは旭日らしいじゃないか。そう考え直し、肉野菜炒めを食べ始める。
「ねぇ、君って岡谷君と同じ課だよね」
「え?」
 何故、岡谷の名前が出てくるのかと八潮を見れば、
「ちょっと、八潮さんっ」
 三木本がやめてくださいと口にする。
 そういうことかと、自分を知っていた理由に気が付く。
 二人は岡谷の知り合いで、夜久が同じ課だから声を掛けたのだ。
 そうとわかると妙にがっかりとした気持ちになり、はやく食べてここから出ていこうとご飯を詰め込む。
「お先に失礼します」
「あ、まって」
 八潮は引き止めたいようだが、三木本は夜久に早く行ってしまってほしいようだ。
 三木本が岡谷とトラブルを起こし、何かしらなっかと八潮が夜久に聞きたかったのだろうか。
 もし、そうだとして、残念ながら同じ課でも仕事以外の話はあまりしないので、話せるようなことは何もない。
 それにしても、八潮たちのせいで気持ちが落ち着かない。
 トレイを持ち、返却口へと向かうと、
「夜久さん」
 声を掛けられて返却口から中を覗き込めば、洗い物をしている旭日がいる。
「……旭日君」
 優しいから、知りあえば誰にでも声をかけるのだろう。
 そう、それはただの挨拶であって、特別なものではない。
「仕事、がんばってね」
 と、それだけ口にして、食堂を後にする。
 自分と旭日の間に何かある訳でもない。よくよく思えば、互いの連絡先ですら知らないのだから。
 何を勘違いしていたのだろう。馬鹿だなと職場へと戻り自分のデスクの椅子へと腰を下ろす。
 恥ずかしい奴だ。自分自身に呆れ、デスクに顔を伏せる。
 暫くの間、もんもんとしながらそうしていると、
「夜久さん」
 声を掛けられて顔をあげれば、そこに旭日の姿がある。
「なんで?」
 まだ忙しい時間帯だろうに、どうしてここにいるのだろう。
「声を掛けたのにうわの空だったから。疲れているのかなって心配で」
 じわっと胸が熱くなる。
 忙しいのに気に掛けてきてくれた。申し訳ないという気持ちと共に優越感を感じてしまう。
「大丈夫だよ。ごめんね、気を使わせちゃったかな」
「いえ。大丈夫ならいいんです」
 そういうとデスクの上にカンロ飴を置いた。
「甘いけど、美味いんですよね、これ」
 姐さんから貰ったモンですけどと言い、ニカッと笑う。
「ありがとう、旭日君」
「じゃ、そろそろ戻るんで」
 またと手をあげて戻っていく。
 天然なのか、あんなことをされたら、男の自分でもドキッとしてしまう。
 しかも先ほどまでモヤモヤとしていた心が晴れ渡っていた。
「お前、顔が赤いぞ」
 昼から戻ってきた岡谷に言われて頬に手を当てると、確かに熱い気がした。

 午後の業務が始まり、仕事は順調に進んでいく。このままいけば定時で上がれそうだ。
 それなら、旭日を食事に誘おうかと考える。慰めて貰ったり、珈琲を煎れて貰ったりと普段お世話になっているお礼をしたい。
 連絡先を聞いておけばよかった。そうすれば都合をきけたのに。
 何故だろうか、会いたいときは食堂へ行けばいいやと、思っていたからだ。
 時計を見る。15時を少し回ったところ。仕事もひと段落ついたので食堂へ行って予定を聞いてこよう。
 お菓子目当てで食堂を利用する人もいるので、それだけ聞いたら戻るつもりだったのだ。
 食堂の中へと入る前。女子の楽しそうな声が中から聞こえてくる。
 そっと覗き込めば、ある一角で女子社員と旭日が話をしていた。
 大柄で目つきが悪く、いっけん、怖い人だと思ってしまう。だが、人懐っこくて優しい良い青年だということはすぐに解る。
 女子にモテないわけがない。見た目とのギャップがたまらないと思っている人もいるだろう。
 それを目の当たりにして、夜久は入口で立ったまま動けなくなった。
 そう、自分は女子に嫉妬していたのだから。
「参ったなぁ」
 気が付きたくなかった。その感情を。
 踵を返す。
 心臓がうるさいほど叫んでいる。
 旭日の隣は誰にも渡したくない。あの手に包まれ甘やかしてほしい。
 自動販売機の前、拳をぶつける。
「どうしたの?」
 声を掛けられてそちらへと顔を向けると、そこに八潮がたっている。
 昼のことを思いだして、思わず一歩下がってしまった。
「お昼に岡谷君の話をしたからかな」
「え、いや、別に」
 確かに岡谷の話しが関係しているが、あれは勝手に自分が拗ねただけだ。八潮は悪くない。
「岡谷君と仲が良くないの?」
「そういう訳ではないです」
 夜久の課の人間は仕事上の付き合いしかない。互いに無関心だ。
「いや、ね、前に岡谷君と三木本君がもめていてね。どんな子なのか気になっただけなんだ」
「そうでしたか。すみません、俺、あまりよくわからないです」
 だから八潮たちが岡谷を知っていたのかと納得した。
「わかった。ごめんねぇ、気になるとさ、首を突っ込みたくなっちゃうんだよね」
 この話はこれで終わりそうだ。もう用はないだろうから立ち去るだろうと思っていたのに、こちらをみたままニコニコとしている。
 販売機を殴っていたことがどうしても気になるのだろう。本当に首を突っ込んできた。
「あの……」
「なんで自動販売機に喧嘩を売っていたの?」
 販売機を殴っていたことがどうしても気になるのだろう。本当に首を突っ込んできた。
 岡谷のことを聞いてきたのもそうだ。だから三木本がはやく行ってほしいというような表情を浮かべていたのだろう。
 仕事のことなら聞いて貰えるのは嬉しい。だけどプライベートなことだし、内容が内容なので放っておいてほしい。
「仕事でイライラしていて。申し訳ありません」
「いや、別に謝らなくてもいいよぉ。ただ、手の方、大丈夫?」
 殴った方の手へと八潮の手が触れた。
「少し赤くなってるね」
「これは、自分でしたことですので」
 さっと手を後ろに隠すと、八潮がひとつため息をつく。
 心配してくれただけなのに、流石にこれは態度が悪いか。
「あの、俺、戻りますね」
「待って。これで手を冷やしなさいな」
 そういってブラック珈琲を一本手渡される。
「ありがとうございます」
 自分が悪いのに八潮に嫌な態度をとった。それなのに気を遣い優しくしてくれた。
 戻ろうとしたが、踵を返し戻っていく。まだそこに八潮の姿がった。
「あれ、どうしたの?」
「俺、態度悪かったですよね。すみません」
「なに、別に気にしなくていいよ」
 正直に、自分の名前を知っていてくれたことが嬉しかったこと、だが、それは岡谷と同じ課だったからだとしり悲しくなったことを話す。
「そうだね、切っ掛けは岡谷君だけど、夜久君が一生懸命な所を何度も見ているよ。君の所、女子が強いからね」
 確か課長は八潮と同期だ。まさか、仕事をしている所を見てくれていたとは。
「それに旭日君から君の名前をよく聞くしね。お友達なんでしょ?」
「え、旭日君から、ですか」
「うん。旭日君って滅多に他の人の話をしないんだけどね。君の名前は良く聞くから」
 まさか、自分の話しを八潮にしていたなんて。
「おや、もしかして恋人なのかな」
「え、な、何を言って」
「だって、すごく嬉しそうな顔をしているから」
 そう言われて手で顔を覆い隠す。
 顔に出ていたなんて恥ずかしい。
「あ……、友達として、ですよ」
 ちらっと八潮を見ると、表情を緩めていた。
「うん、うん。旭日君、良い男だよねぇ」
 やたらと楽しそうな八潮に、完全にばれたなとがっくりと肩を落とす。
「八潮課長……」
 面白がっているなと恨めしく見れば、肩に手を置き、
「いやぁ、僕ね、恋バナ大好き」
 なんだ、その女子みたいな台詞。
 だが、こんな話を相談できるほど仲の良い友人はいないし、八潮は同性の恋愛にも抵抗はないようだ。
 どうせばれてしまったんだ。相談しても構わないだろうか。
「あの、また話を聞いてもらっても」
「いいよぉ」
 いつでもおいで。そう八潮はいってくれた。
 優しいし甘やかすのがうまい。まるで旭日のようだと、彼を思いだして胸が痛んだ。