夕立に濡れた君が訪れた
初夏の午後。
先ほどまで明るかった空はどんよりとし、大粒の雨と突然強まった風が乾いた洗濯物を濡らす。
「まって、すぐに片付けるからぁ」
そんな言葉を吐いたところで空は待ってはくれない。
水玉模様だったのが次第に大きくなり濡れた個所を見てため息をつく。
「洗い直しだな」
休日に部屋の片づけとたまった洗濯物を干すことで時間を費やし、やっとのんびりできそうだと思っていた矢先の雨だ。
うんざりと濡れた洗濯物を洗濯機へと入れて部屋へと戻る。
「はぁ、ついてない」
この頃、多木はツイてない。
お昼に食べたうどんのつゆがシャツにかかり、それを落としに向かうが別の場所も濡らしてしまい不快だった。
自動販売機に向かう途中で給湯室から女子の話し声が聞こえてきた。その中の一人は多木が密かに心を抱いていた子で、恋人ができたという内容にショックを受けてつかんでいた五百円玉が隙間に転がっていった。
告白する前に失恋したことに落ち込み、その相手がいけ好かない後輩の男、山川だということに妬ましい思いのまま自分の席に戻ったが、その時に椅子に足をおもいきりぶつけてしまった。
しかも残業続きでくたびれていたところに色々あって余計に疲れていた。やっと休日になったと思いきや部屋の汚さとたまった洗濯物にうんざりし、今に至る。
八つ当たりに床に転がっていたクッションをつかみソファーへとめがけて投げると、それがテーブルに置かれていたコップをかすめて、揺れて倒れてテーブルに中味がこぼれそれが床に垂れた。
「あぁぁっ!」
しかも中味は珈琲だ。残業をしていた時、山川から押し付けられたものだった。
彼女を奪っただけでなく多木の貴重な休日も奪うなんて。
自分が悪いというのに彼に八つ当たりをし、しぶしぶとキッチンへと向かい濡れた布巾を手に戻る。
ベージュ色の絨毯に茶色い色のシミは目立つ。
「全部山川が悪い」
背が高く顔のいい男をその個所に思い浮かべて叩くように拭いていく。
あの顔が少しでも悪くなればいい。
その時、玄関のチャイムが鳴り、こんな時にとインターホンのモニターで相手を確認する。
そこに立っていたのは水も滴るいい男だった。
「な、なんで」
「たまたまこちらに用事がありまして。駅に向かっている途中で雨に降られてしまい、多木さんの住んでいるところが近いなと思い出して」
住んでいる場所を教えたことはないはず、そう思ったが一度だけ飲み会で酔って山川に家まで送ってもらったことがあった。
だからと一度だけなのに覚えているのだろうか。駅から歩いて約十分の距離。マンションも多い。
たかが同じ課の先輩というだけの関係なのに覚えているものだろうか。
いや、多木がどう思おうが実際に山川は家に来たのだ。
「うぁ、こわっ」
自分自身を抱きしめるように腕を回してさする。顔がよくて物覚えまでいいなんて。
「あの、多木さん?」
「なんだよ」
「すみません、迷惑ですよね」
あの沈黙がいい方向へと転がった。その通りだと言えば帰ってくれるだろう。
そう告げようとした時、雷の音が聞こえて多木がひゃっと声を上げる。
これが一番嫌だ。窓から見える閃光に鳥肌が立つ。
「多木さんどうしましたか!」
驚いて声を上げたことに山川が心配そうに声をかけくる。雷が怖いだなんてけして言えない。
「なんでもない」
子供みたいだと馬鹿にされたくなくて平気なふりをした。
「あの、多木さん、雷が止むまで玄関にいさせてもらってもよいでしょうか」
タクシーを呼べばいいものをと思ったが、流石に雷が鳴っているし雨足も強くなっている。
玄関でいいというのなら、多木はドアを開錠し開いた。
「多木さん、入れてくれるんですか」
「な、お前、びちょびちょじゃん」
上から下まで濡れていて、多木は早く入れと腕をつかんで引いた。
そのまま部屋へと上がろうとすると、
「あの、多木さん」
山川が躊躇う。
「あ? そのままって訳にはいかねぇだろ」
玄関にと山川は言っていたが、気にくわぬ相手でも流石にこの姿を見てしまっては放ってはおけない。
「ですが、ご迷惑では?」
「そんなの今更だろうが。シャワー浴びてこい」
「やっぱり多木さんは優しい」
山川に対して優しくした覚えはない。それを訂正しようと口を開きかけてやめた。勝手に恩を感じていればいいと思ったからだ。
バスルームの方へと背中を押すと中へ。多木は寝室へと向かう。
買ったばかりのスウェットと下着があったはずだ。クローゼットに突っ込まれたままの袋の中にそれを見つけて取り出す。
フリーサイズだし着られるだろうとそれをバスルームへと持っていく。
「山川、着るものおいておくな。バスタオルは棚に入っているから使え」
声をかけると、ガラス戸が開き山川が顔をのぞかす。
「ありがとうございます」
バスルームへと向かうとシャツを脱いでいる所だった。
顔だけでなく体まで綺麗とか多木は野球を大学まで続けていたので程よく筋肉が付いている。
山川は何かスポーツをしていたかは知らないが顔に似合った体つきだ。
「俺の服でいいよな」
「はい。おかりします」
それにしても何がそんなに嬉しいのか。にこにことしていて、愛想がいいと女子に人気なのはそういうところなのだろうが、多木にしてみたらへらへらしやがってと思うだけだ。
リビングに向かいソファーへと腰を下ろす。雨は止みそうにないし雷は更に近づいてきたのか音が大きくなっていた。
「マジではやく止んでくれよ」
スマホの画面に表示されている時計はそろそろ三時となろうというところ。
だがまるで日が落ちたばかりの薄暗さだ。
外が見えぬようにカーテンを閉めて膝を抱える。音が鳴るたびにびくびくとしていると、
「シャワー、ありがとうございました」
声とともにふわりと甘いにおいがして振り向いた。タオルで髪を拭いながら山川が立っていた。
「お、おうっ」
ほっとした。一人でないことに。
だがすぐに山川に頼ったことが恥ずかしくなって立ち上がった。
「水、飲むか」
「はい。貰います」
冷蔵庫から水のペットボトルを一つ、自分用には温かい飲み物を入れた。
息を吹き付けて少しだけすする。それを見ていた山川が、
「俺、すごい猫舌なんですよ」
と飲んでもいないのに飲んだかのような表情を浮かべた。
「知っている。たまたまお前の彼女が話しているのが聞こえてきたんだよ」
「彼女、ですか?」
目をぱちぱちとさせて、まるで知らないというような表情だ。
嬉しそうに話す彼女。恋人ができて相手が山川だとしても、幸せになってほしいと思っていたのに。
頭に血が上り、声を荒げて彼女の名を告げる。
「付き合っていませんよ」
「な、とぼける気かよ」
その態度が気にくわない。胸倉を取ると引っ張った。
「お前、彼女の心を弄んだのか!!」
「弄ぶって、そんなことはしていませんよ。告白されましたが理由を告げて断りました」
告白は本当。だが付き合ってはいない。多木は目を見開いたまま山川を見る。するとつかんでいた手に彼の指先が触れて驚いて手を離した。
「だからあの日、落ち込んですね」
気が付いていた。それに動揺し今度は自分のシャツをつかんだ。
「おまえ、なんで」
声がかすかにふるえる。
「彼女のことを気にかけていることは知っていました。よく見ていましたよね。俺もそうだったので」
「え、お前も?」
こんなにもイケメンな男でもそんなことがあるのか。湧き上がる親近感。だが、あることに気が付いた。
「なぁ、それって……」
嫌な予感がする。多木は視線をさまよわせた後、ゆっくりと山川の方へと向ける。
ばちりとまるで音がたったかのように視線が合う。その目は熱っぽく潤んでいた。
ごくりとつばを飲み込む。
その時、まぶしい閃光とともに大きな音をたて、多木は飛び込んではいけない場所へと向かっていた。
「多木さん」
これはまずい展開だ。
「雷がっ」
離れようとするが山川の腕が多木の体をつかんで離さない。
「山川、驚いた――」
「好きです」
驚いて抱きついてしまっただけだから。そう言いたかったのに。
多木の言葉をけすように耳元で告げられた。どうしてそれを打ち消すような轟音は鳴らないのだろう。
告げられてしまった。しっかりと多木の耳に届くように。
山川の手が頬に触れ、徐々にイケメンな顔が近づいてくる。
あぁ、ついてない。この状況はすべて夕立のせいだ。