Short Story

ファミーユ

 隆也が料理をはじめたきっかけは、三歳年下の従弟である亮汰におやつを作ったことからだ。
 亮汰に新しい弟ができ、母親はそちらに手がかかるために寂しい思いをしていた。
 親戚同士で家が近いため、小学校へ一緒に通っていたからその気持ちに気が付いていて、隆也は亮汰を家に連れて帰ることにした。
 実は自分も弟が欲しかった。だから亮汰の面倒を見れるのは嬉しく、しかもむこうも懐いてくれて、とても可愛がった。
 いつもはお腹が空けばおやつを用意してくれるのだが、その日は出かけていておらず、姉も部活でまだかえっていなかった。
「お腹すいた……」
 亮汰がお腹を押さえながら切ない声でそう呟く。
 隆也もおなじくお腹が空いており、戸棚にホットケーキの素があることを思いだす。
「亮ちゃんまっていて。いま、おやつをつくってあげるね」
 混ぜるだけだし自分でも作れるだろうと、そう思って説明書通りに作った。
 しかし、どこで間違えたか、出来上がったホットケーキは焦げて不味そうな匂いがしていた。
 だけど美味しいと笑顔で言ってくれたのが嬉しくて、もっと美味しい物を食べさせてあげたいと思った。
 ハマると楽しくなってきて、弁当まで手作りするようになった。
 そして料理の道に進むために、料理専門学校に通うつもりであったが、隆也の中に一つ厄介な感情があった。弟のように思っていた相手に対して恋心を抱くようになっていたからだ。
 この想いが抑えきれずに暴走し、亮汰を穢してしまうのではないかと隆也はそれを恐れていた。
 日本にいたら亮汰が遊びにくると言いだしそうだ。それならば簡単には来れない場所へ行こう。
 専攻はフランス料理と考えていたので、本場で学びたいと親に頼んだ。時間を置けばいつか煩悩など綺麗に消え去ると思っていたからだ。
 フランスにわたってからは料理に没頭した。
 生活にも慣れ、任されることが増えてきた頃、急に寂しさを感じるようになった。
 今まで余裕が入り込む隙間などなかったからだ。
 そうすると人恋しくなり、日本を出る時に撮った家族と従弟の写真を手にしていた。
 あれから数年たった。亮汰も大人っぽくなってきただろう。
 会いたいと写真をゆっくりと撫で、指が止まる。
 フランスに行く前の亮汰は、声変りはしたけれど、成長期はまだ迎えておらず、小さくて細い身体をしていた。
 その時は40センチ位は差があっただろう。抱きしめて腕の中におさめておきたい。何度もその欲に呑まれそうになった。だが、どうにか耐えられたのは亮汰に嫌われたくない一心からだった。
 結局、離れていても心の中に亮汰はいる。それがいい思い出として残るのであればどれだけよいか。
 そんな気持ちを抱いたまま、更に月日は流れて桜から亮汰が結婚するという連絡を貰った。
 何十年かぶりに見る亮汰は当然のことだが、すっかりいい歳の男になっていた。
 くりくりだった目は鋭く、外見の可愛さは何処かへいってしまった。それが少し悲しく、あの頃の亮汰をつい探してしまい、それを見つけた時に喜びを感じた。
 改めて思ったことがある。やはり隆也にとって亮汰は可愛いということ。どれだけ歳をとってもそう思う気持ちはかわらないだろう。

※※※

 和室で布団に寝転んだ所までは覚えていた。あれから寝落ちしまっていたとは。しかも毛布が掛けてあった。
「亮汰の目の前で寝てしまったようだな」
 亮汰のまえでは格好つけていたいのに。タフな方だと思っていたが、時差と疲れには勝てなかったようだ。
 結局は風呂も入らずに寝てしまった。すっきりさせようとシャワーを浴び、着替えをしてキッチンに立つ。
 お世話になっている間くらいは得意分野で役に立ちたい。
 フランスの朝食はシンプルだ。ムイエット(細長いパン切れ。珈琲や半熟卵などをつけて食べる)だったり、珈琲またはフルーツジュースに、パンにはジャムやバターを塗り、ヨーグルトを食べる。
 亮汰も朝はシンプルなようで、棚に食パン、冷蔵庫にはバターと牛乳、そして卵がある。
「いや、料理ができないだけか」
 冷蔵庫の中に食材がなさすぎる。
 仕事が忙しいみたいなので買い物に行けていないからか、はたまた、唯香の所に寄り、ご飯を食べているのかもしれない。
 一先ず、珈琲でもと思ったが、インスタントしかない。
「やっぱりか」
 瓶を手に持ったままガックリと肩を落とす。
 コンビニでも行こうかと思ったが、そのまえに亮汰が起きてきた。
「おはよう、隆也さん」
 寝癖がついたままの亮汰にキュンとなる。
「亮汰ぁ、珈琲豆はないの?」
「ない」
「だよねー」
 飲み物はあきらめて水を飲むとして、卵と牛乳があるのでスフレオムレツを焼くことにした。
 卵白と卵黄を分けて、卵黄の方へ牛乳と塩・コショウを加え、卵白はしっかりと泡を立てる。
 そこに卵黄を混ぜてフライパンに流し入れてふたを閉め、弱火で3分弱。
 できあがったスフレオムレツを半分におり、皿へと乗せて亮汰の前へ置く。
 パンも丁度、焼き上がった所だ。
「ふわふわだな」
 スフレオムレツを眺める亮汰の声が嬉しそうだ。気に入ってもらえたならよい。
「食べて」
「あぁ。頂きます」
 一口がおおきい。なんとも男らしい食べ方だ。
 ウットリとそれを眺めていたら、睨むようにこちらを見る。
「視線が鬱陶しんだけど」
「あ、ごめん」
 料理をはじめた切っ掛けが亮汰だから、つい、目がいってしまうのだ。
「それよりも、隆也さんも食べなよ」
「うん、そうだね」
 自分はパンと牛乳で済ませる。
「後で買い物をしてくるよ。何かリクエストがあれば作るけど?」
「えぇ、肉ならなんでもいい」
 せめて何肉とかまでいって欲しかったが、まぁ、なんでもいいと言われるよりはましか。
「わかった。俺が選ぶよ。まさか唯香ちゃんにも同じようなことを言っているんじゃないだろうな?」
 食べたいおかずを言って貰った方が作る方としてはらくだ。
「言わないよ。唯香の奴、結婚が決まってから料理を習いだしてさ、まだレパートリーがすくねぇの。だから、向こうから何作ったとか言ってくるし」
「そうなんだ」
 そんなことを聞くと、本当に結婚するんだなと思わされる。
「店はわかるか? いざって時はスマホで調べろよ」
「大丈夫。今日は実家に行くし。桜ちゃんに連れて行ってもらうよ」
「宜しく。楽しみにしているから」
「まかせておいて」
 亮汰を見送った後に家のことをすませ、土産を用意して実家へと向かうためにタクシーを呼び外で待つ。
 数分後にやってきたタクシーへと乗り込み実家へと向かう。その途中、車窓から見る景色は数十年で大分かわった。昔より家が建ち、店が増えた。
 隆也がまだ小さかった頃は近くにスーパーが一件しかなく、買い物は中心街へ行かなければならなかった。
 日曜になるとショッピングモールへと向かい、母が買い物をしている間に父がゲームセンターへ連れて行ってくれて、遊んでいたなと懐かしく思う。
 家は平屋から洒落た二階建てになっていた。
 チャイムを鳴らすと、桜が出迎えてくれる。中はバリアフリーとなっていて、親のことを考えて建てられていることに感心した。
 これなら、もしも車いすの生活になっても楽だろう。それに、足腰が弱くなっても、手すりがあるから移動も安心だ。
「ただいま」
「おかえりなさい」
 久しぶりにあう両親は歳をとり頭に白いものがまじっていた。
 長い間、帰らぬ息子に文句を言うこともなく、お帰りといって迎え入れてくれた。
 じんと込み上げてくるものがあった。申し訳ない気持ちや、今まで好きなことをさせてくれたことへの感謝、家族の優しさをしみじみと感じた。
「帰らなくてごめんな」
 父親にそう言葉を掛けると、
「互いに元気ならそれでいい」
 そう肩を叩かれる。その言葉が身に染みる。
 これからは家族に恩返しをする番だ。だが、一番の恩返しは家庭を築いてくれることだと母親にいわれた。
 向こうで良い人ができて、子供を連れて帰国すると思っていたそうだ。それには応えられず、心の中でごめんと素直に謝る。
 隆也の恋愛対象は女性だけではない。むしろ、付き合っていたのは男の方が多いかもしれない。
 これからは近くにいるのだし、店を出すことにしたからと言うと、話題はそちらへとうつった。
 すっかりかわってしまったこの場所で、何処に店を出すのがよいのかを相談したかったので丁度よい。
 すると桜が立ち上がり、戸棚がある方へと向かい再び戻る。
 目の前に一枚の名刺を置く。
「朱堂(すどう)さん」
「知り合いでね、気さくで楽しいお兄ちゃん。それにやり手の営業マンなのよ」
 あまりに軽くいうものだから、ちゃらい人なのかと思ってしまう。まぁ、自分もどちらかといえばそっちなので、まじめでお堅い人を紹介されるよりはよいかもしれない。
「ありがとう。連絡を入れてみるよ」
「話は終わった? じゃぁ、お昼にしましょうね」
 テーブルの上におかずが置かれていく。隆也が帰ってくるからと朝から作っていたと桜が話す。
「そうなんだ。久しぶりだな、母さんの手料理」
 母の手料理は懐かしく、しかも家族で囲む食卓は温かい。
 色々と話していると時間はあっという間に過ぎていく。
 そろそろ帰ろうかと腰を上げれば、
「そうだわ。結婚式までには、一度、恵子の所に顔出しなさいね」
 恵子とは母の妹で、亮汰の母親のことだ。
「そうだね」
 帰国したという挨拶と、結婚のお祝いを兼ねて顔を出さなくてはいけないだろう。
「亮汰と行けばいいじゃない」
「……え?」
 桜と顔を見合わせる。
「え、じゃないわよ」
「あぁ、そうだね」
 桜が一緒に行けという理由はわかる。亮汰の所に住んでいるのだから、声を掛けろということなのだろう。
 その通りなのに、なぜ、一緒に行くことを躊躇ったのだろう。
「隆也、帰るなら送っていくわよ」
「あ、それじゃ、買い物したい」
「いいわよ」
 冷蔵庫に何もなさすぎる。
「バゲットも欲しい」
「それならフランスパン専門店でも行く?」
 マンションから少し離れた場所にあるらしい。
 今日はそこに連れて行ってもらうが、近くのパン屋の場所も教えて貰った。
 パンを買い、ショッピングモールで買い物を済ませる。
 品ぞろえがよく、亮汰にあれもこれも作ってやりたいと、結構な量をカゴにいれる。
「どれだけ作るつもりよ」
 桜がカゴの中を覗き込み、あきれかえる。
「住まわせてもらっているぶんは美味い料理でかえさないと」
「亮汰、太っちゃうんじゃないかしら」
 確かに、結婚式前に太らせるのはまずいかもしれない。
「少し返してこようかな」
「ま、いいんじゃないの。プロの料理人が作ってくれるんだもの。食べなきゃ損よ」
 それは、ただで食べられるからラッキー的なことだろうか。
 だからと結婚式で衣装が着れなくなったら大変だ。
「桜ちゃん……」
 適当だなぁというと、隆也が気をつければいいことよと返される。
 たしかにその通りなのだが。
「わかった」
 カゴの中の物はそのまま買うことにしてレジに並ぶ。
 買い物を終え、マンションの駐車場まで送ってもらい桜と別れて部屋へと向かった。
「ただいま」
 亮汰は会社なのでいないけれど、つい、口に出てしまう。
 ただ、自分が帰る場所が亮汰の所、それだけで気持ちが高ぶり、浮かれてしまう。
 あんなに長い間、会わないでいられたというのに。再び亮汰を近くに感じ始めたら、楽しい、嬉しい、幸せだと気持ちがふわふわとしていた。