接吻
石井は時折、笑みを浮かべるようになった。とは言っても微かに口角が上がるくらいだが、それでも周りからの反応、特に女子社員からは好感触だ。
「うへー、今まで愛想がないとか言ってた癖に」
手を頭の後ろで組みながら杉原が羨ましそうに言う。
「男前だものな」
「羨ましい」
どちらかといえば身長も愛嬌の良さも杉原は可愛い系の男だ。
警戒されずに可愛がってもらえる点は他の男からしたら羨ましいと思うけれど、本人は男として見てもらいたいのだろう。
「杉原は小型犬ってかんじだものな」
「それっ、加藤さんや社長にも言われた」
嘆く杉原を慰めるように頭を撫でると、見られている気がしてそちらへと顔を向けると、缶珈琲を手にした石井と目があった。
「あ……」
すぐに顔を背けられてしまう。
「どうしました?」
「いや、席に戻るな」
デスクに戻ると隣の席の男はパソコンの画面を真っ直ぐに見つめていている。
「石井」
「……何か用でしょうか」
呼びかけても視線は画面を見つめたまま。解りやすい奴だなと、まだ開けられていない缶珈琲を奪い、プルタブを開けて飲んだ。
「俺の」
こっちを向いた。それに満足し、中身を一気にあおった。
「大浜さん、一体、何をしたいんですか」
「あぁん? お前をこっちに振り向かせたかっただけ」
空になった缶を石井のデスクに置くと自分も仕事をし始める。
「なんなんですか、それ」
ぐしゃっと髪を触る音が聞こえ、そっと視線を向ければ耳が真っ赤になっていた。
可愛い奴め。
口元が緩む。それがばれぬように手で口を押える。
「あの、大浜さん、来週の土曜か日曜にデートをしてほしいです」
スマートフォンの画面を向ける。それは博物館のホームページで、金曜から戦国時代の特別展が始まるという内容だった。
そのことはもちろん知っていたし、いくつもりだった。
「いいぞ。デートしようぜ」
互いの目が合い、ふわりと笑みを浮かべれば、目を見開き、そして照れくさそうに俯いた。
※※※
何分か前に駅へ着くように歩いてきたのだが、既に石井の姿はあった。
大浜の姿に気が付いたが、頭を少し下げた。
「もう来てたんだ」
「浮かれてますよね」
どれだけ楽しみにしていたんだろうか。
それを思うと頬が緩んできて、ばれないように顔を背ける。
「行くぞ」
「はい」
改札を抜けホームに立った。
大相撲が始まると、相撲のぼりが当たりを色鮮やかに染める。
その近くに目的の博物館はある。
博物館は時間をかけてゆっくり回りたい。
今まで付き合った女性は、博物館と聞いてもっと楽しい所が良いと言われるか、付き合ってくれても途中で飽きて別の場所へと行きたがる。
そのくせ、彼女たちは自分の趣味に対してはちゃんと付き合えというのだ。
石井は静かに、そしてゆっくりと展示物を回る。そして話しかける時は小さな声でだ。
このペースが心地よくて良い。
「これこれ、いつみてもいいよなぁ」
江戸城や城下町などの模型が展示されている。民たちの暮らしぶりもよく表現されている。
「もしかしたらこの籠の中に歴史に名を馳せた人物が乗っているかもしれませんね」
真剣な表情で模型を眺める石井に、大浜は思わず吹き出してしまう。
「そんな事、考えたこともないよ」
「俺も普段は考えないんですけど、大浜さんが居るから」
と少し照れながら少し高い姿勢で模型を見る大浜を見上げた。
会話を楽しもうとしてくれているのだろう。苦手な事も自分にならしてくれる。それが嬉しくて石井の髪をわしゃわしゃと掻き撫でた。
「わ、俺は武将じゃないんですから」
「はは。ほら、次に行くぞ」
「はい」
立ちあがり、次の階へと向かう。
今日の目的である特別展のある階だ。特に今日は特別展がはじまって最初の休日。多くの人でにぎわっていた。
「戦国時代は人気があるなぁ」
「確かに。女性の方を良く見ますよね」
大学生だった頃、戦国武将が活躍するゲームが流行っていて、歴史に興味をもったという女性のサークル参加者が増えた。
切っ掛けはなんであれ、歴史に興味をもってくれるの嬉しい。今まで付き合ってきた彼女たちは興味をもってくれなかった。
「付き合ってきた女性の中に、ああいう子がいたら結婚してたかも」
思わず口に出てしまった言葉にハッとする。
隣で展示物を見てた石井の眉間にシワが寄っていた。
「それ、今、言う事ですかね」
無粋ですねと言い、展示物から背を向けて出口へと向かっていく。
「石井」
あわてて追いかけ、その腕を掴んで引き止めた。
「ごめん」
「……いいえ。すみませんが、今日は帰ります。大浜さんはゆっくりと展示物を見て行って下さい」
手が引き離されてしまう。
背を向けて歩き出そうとする石井を再び引き止めた。
「待って、俺も帰るよ。人が多いし、ゆっくり見れないしさ」
「勝手にしてください。俺は一人で帰ります」
「あぁ、もう、そうじゃなくて、石井、外に出よう」
ここで揉めていたら迷惑になる。
先ほどからチラチラと博物館の職員がこちらをみていて、石井もそれに気が付いたか、わかりましたと素直に従った。
博物館から出てから無言のまま、電車に乗り改札を出た。
いつもの川沿いの道を石井の後ろからついてあるく。
「今日は悪かったな」
そう背中に声を掛ければ、
「いいえ」
こちらを見る事無く言葉が返る。
「怒ってるよな」
「はい」
要約、足が止まり、そして石井がこちらへと振り向いた。
眉間にしわがよっている。機嫌が悪いとそういっている。
「なぁ、再チャレンジさせてくれないか」
そう口にすれば、やっと少しだけ表情が緩んだ。
「また一緒に行ってくれるという事ですか」
「あぁ。またデートしよう」
「やり直しをさせてあげます」
よかった。
ホッと息をつき、笑いかける。
「ありがとう」
石井の手が頬に触れ、そして唇に暖かいモノが触れた。
キスをされた。
驚いたけれど、嬉しそうに口元を綻ばす石井の姿を見た瞬間、彼の後頭部に手を回し唇を重ねていた。
今度は石井の方が驚いたようで目を見開きこちらをみるが、すぐにそれは欲を含んだものへとかわり、舌が絡み合う。
水音をたてながら夢中で口づけしあい、そして熱は離れていく。
「どう、して」
「聞くな」
と指を唇に押し当て、そして離すと同時に彼に背を向けた。
あのキスの事を聞かれても困る。それに恥ずかしいからだ。
「わかりました。勝手に解釈します」
「おう、そうしてくれ」
博物館へ行く日は改めて決めるという事になり、その日はこれで別れる事となった。
石井があまりにもいじらしいものだから、キスをしかえしていたのかもしれない。
「いや、それだけじゃないか」
ぼそっと口からこぼれた言葉に、ハッとなり口元を押さえる。
それだけで男にキスなどするものか。
「可愛いって、思いはじめてるしな」
後輩としてじゃない。一人の男として……。