岡惚
昔から誰かと遊ぶよりも、一人で本を読んでいる方が好きだった。
特に歴史が好きで、遊園地に遊びに行くよりも博物館や城に行きたがった。
親よりも祖父や叔父と一緒にいる時間が長かった。
大学を卒業し就職をしたものの、周りと上手くいかず、しかもベテランの女性社員にパワハラを受けた。
気にせず仕事をしていたら、それが気に入らなかったのだろう。変な噂を流されて会社を辞めざる負えなくなった。
そんな自分を心配した叔父が、縁故で会社に入れてくれたのだ。
叔父の会社に入ってもやはりそこで躓いた。はじめのころは話しかけてくれていた人も、今では叔父のほかに三人ほどしかいない。
研修の三か月間、教育係となった大浜は更に鬱陶しい存在だった。昼に誘われたり仕事とは関係ない話をふってくる。
放っておいてほしい。
そう思っているのに、何度も誘ってくるのは迷惑だった。毎回、断る方の身にもなって欲しい。
飲み会にも行きたくはなかった。
研修期間が終わり本採用となったお祝いをする、そんな名目の飲み会。しかも社長命令を使ってきたのだ。
酒はあまり好きではないし、酔っ払いなど見たくはない。あの騒がしい雰囲気も苦手だった。
トイレに行くふりをしてバックれよう、そう思っていた所に、教育係の大浜が起ちあがり、
「お前等、江戸城はな……」
と城の話をし始めた。
「はじまったよ、大浜の城に対する熱弁」
誰かがそう言いあしらわれてしまう。
話を聞いているのは一部の者のみ。石井も近くに腰を下ろした。
「酔うといつも話しだすんだよね」
いつのまにか柴が傍にいた。
「へぇ……」
「孝平君、興味あるでしょ?」
そう思ってね、と、柴が何を企んでいるのかに気が付いてしまった。
「お節介」
「なんのことかなぁ」
にこにこしながらコップにビールを注いでくる。
誰とも関わらない自分に少しでも興味をもつようにと仕向けたにちがいない。
「大浜君はね、優しい人だよ」
教育係だったからという事もあるだろうが、こんな自分に対して諦めずに話しかけてくる人だ。
「そうだな」
思わず出た言葉に驚いたのは柴だけではない。口元を押さえ、目を瞬かせる。
「興味、もったようだね」
そんなことはない。それなのに、はっきりと口にすることが出来なかった。
あの飲み会の一件もあり、大浜の事を少しずつ意識するようになった。
一緒に歴史の話をしたら楽しいだろうなと、だが、仲良くなる切っ掛けの作り方が解らない。
楽しそうに笑う大浜を見る度、胸の奥が疼くようになり、相手に対しムカつくようになった。
大浜がジョギングしている事は知っていた。誰かと話をしているのをたまたま聞いたからだ。
そこで切っ掛けが作れたらと、思いついたのが犬を飼う事だった。
散歩をしていて偶然会う、それなら不自然ではなく話をすることもできるだろう。
だが、上手くいかなかった。
話しかけるのにどうしらいいのだろうと、次に思いついたのは彼が普段使っている香水を覚えさせることだった。
駄目もとであったが、意外なことに上手くいった。
手に入れたチャンス。だが、そこで可愛げのない事を言ってしまい相手を怒らせる結果となってしまった。
しかもそれが切っ掛けで会社で言い争いになり、叔父が止めてくれたおかげでどうにかなったが、流石に自分の馬鹿さ加減に呆れた。
また偶然を装い同じ手を使って大浜との切っ掛けを作ったのだが、武将を道具として使ってしまった事を怒られ、自分でどうにかしろといわれた。
それが重く心にのしかかる。どうすればいいか解らないから武将に頼ったのだ。
大浜と別れてからずっと土手で川を眺めながら考えていた。
人と関わるという事はこんなに大変な事なのかと、もう諦めようと腰を上げるが、一歩を踏み出せずに座り込む。
それを何度も繰り返しているうちに疲れて肩の力が抜けていく。
「どう気持ちを伝えればいい?」
犬は見ているだけで気持ちが伝わってくる。
嬉しいときは尻尾を沢山振るし、悲しいときは耳と尻尾が垂れ下がっている。
感情を表に出すのが苦手な石井は、素直に感情を表現できて羨ましい。
「……あぁ、そうか。素直になればいいのか」
そこにやっとたどり着いたころ、当たりはすっかりと夕日に包まれていた。
流石に帰ろうと起ちあがると、犬が土手を勢いよく上っていく。
「どうした」
引っ張られながら土手を上がるとそこに大浜の姿があった。
◇…◆…◇
可愛い天使たちの笑顔で癒され、母親が手料理をたんまりと持たせてくれた。
嫌な事があった後だけに家族の暖かさが大浜を元気にさせた。
だが、折角、浮上した気分も一人の男によって打ち消されてしまった。
「ストーカーかよ」
そう呟くと、確かにと呟いて納得している。
「おいおい」
まじかよと胡乱な目を向ければ、
「ずっとここで考えてました」
という。あれから何時間たっていると思っているのだろう。呆れてため息すら出てこない。
「馬鹿か、お前」
石井のわきをすり抜けて歩きはじめれば、その手を掴まれて止められる。
「喧嘩をしたいんじゃなくて、仲良くなりたいんです。大浜さんと」
足にまとわりつく犬の頭を撫でると、喜んで尻尾をちぎれんばかりに激しく振るう。その姿が可愛くてくすっと口元に笑みを浮かべる。
「こいつの名前、なんていうんだ?」
「……武将」
「なんだ、お前、随分と渋い名前してんのな」
そのまま抱き上げると、舌を出して目をクリクリとさせている。
「貴方なら気が付いてくれるでしょ、名前の意味」
「将である武士だろ。あぁ、そういうことか」
「はい。貴方の城に対する愛には負けますが、戦国武将が好きで、こいつにつけました」
「そうか、凄いなお前、将なんだな。良く見りゃ赤い首輪に六文銭のチャームがついてんじゃん」
真田幸村かよと頭を撫でれば、他の武将のチャーム付の首輪もあるという。
細かい作業は嫌いじゃないらしく、これも自分でとりつけたのだという。城の模型も作るらしい。
「人にあまり興味を持てなくて本ばかりよんでました。歴史に興味をもったのもそれからです」
強引に社長に連れて行かれた飲み会の席で、城の事を熱弁する酔っ払いを見た時から興味をもったそうだ。
「そうだったのか」
「それでですね、貴方が自分でどうにかしろと言ったので、伝えようと思って」
そこに答えがたどり着くまでに今までかかったそうだ。
きちんと考えたんだなと、そういう所は好感が持てる。
「よし、言ってみ」
ちゃんと聞くからと胸を叩くと、咳払いを一つ。そして、
「デートしましょう」
その口から出た言葉は、想像していたものよりも斜め上に向かっていた。
「ぶほっ」
おもいきり咽てしまった。まさか、そういう意味で仲良くなりたいというのか。
「デートって、お前」
「駄目ですか?」
意味を解って言っているのだろうか。まじまじと相手を見ると、真剣な表情をしていた。
「良いよ」
嬉しそうな表情を浮かる。そんな顔も出来るんだと、思った途端に口元が緩んでいた。
「握り飯でよければ作ってこようか?」
料理なんて対してできもしないが簡単な物ならつくれる。
「はい。楽しみにしてます」
それだけで石井が良い顔をする。それだけで頑張ろうと思う気になるだろう。
「まぁ、期待せずにな」
そう照れ隠しをし、時間はあとで連絡すると互いに連絡先を交換し別れた。