慮外
後輩の石井孝平(いしいこうへい)は愛想がなくて素っ気ない。
容姿が良くそこに笑顔の一つでも浮かべれば、女子が放っておかないものを、同じ男として勿体ないと思ってしまう。
同じような背格好をしているものの、顔の作りには大分差がある。
いわゆる平凡な日本人。それが大浜智紀(おおはまともき)だ。
彼は自分と同じ中途採用で、社長である柴(しば)の甥だ。大浜は教育係として三ヶ月間、面倒を見る事となった。
普段があれだけに仕事もやりにくいのではと思っていたが、それはまた別だった。
人と話をするときは目線を合わせ背筋を伸ばす。話しもきちんと聞くし、解らない事があれば素直に聞いてくる。
しかもよく目が合うのだが、すぐに向こうから逸らされてしまう。
仕事でならば視線を合わせる事も話をすることもできるというのに、普段もそうすることができれば、きっと表情のない顔にも変化がでてくるのではないだろか。
この頃、休みの日の朝に河川敷沿いをジョギングをしている。
高校では陸上部で毎日走っていたけれど、大学へ行くようになってからは勉強と歴史サークルの仲間たちと過ごす時間が楽しくて走る時間が無くなってしまった。社会人になってからも仕事だ付き合いだと過ごしていた。
そんな時、会社が倒産してしまい、今度は職探しで忙しくなった。
ネットで求人を見ていた所に、今働いている会社の求人票を見つけた。
できたばかりの広告会社で、経理を募集していたので経験があるし一緒に頑張りたいと思い求人票を送った。
縁がありそこで働くことになり、近くに借りたマンションから河川敷を見ていたら、また走りたいと思うようになった。
今日も爽やかな朝日を浴びて走っていたのだが、途中で犬がこちらめがけて走ってきて飛びつかれる。
「おわっ」
首輪とリードがついており、散歩中に飼い主を置いて走ってきたのだろう。
捕まえておくかとその身を抱き上げる。
「すみません――」
と男の声がし、こちらに向かって走ってくる。やはり逃げられたのかと、捕まえたというように手を振った。
そして、その男が近くに来た所で、互いの存在に気がつき、
「石井」
「大浜さん」
と同時に声が出る。
「なんだよ、お前のワンコか。確か、ビーグルだよな」
抱きかかえていた犬の頭を撫でると、嬉しそうに尻尾を振るう。
「そうです」
そっけないのはいつもの事。そう思いつつも顔が引きつってしまう。
犬だってこんなに愛想良く出来るのに、飼い主とはえらい違いだ。
「返してもらっても?」
「お前なぁ」
流石にその態度はないだろう。
抱いたままでいると、石井が手を伸ばし犬を奪うように抱きかかえた。
「なっ、ちょっと」
「ありがとうございました。失礼します」
と頭を下げ、早々と立ち去ってしまう。
残された大浜は、その後ろ姿を見ながら怒りがこみ上げていた。
月曜日になり、何か言ってくるかとおもいきや、職場での石井はいつもと変わらない。
必要最低限の言葉しか口にしない男に話があると会議室に押し込んだ。
「なんです?」
「なんです、じゃねぇよ」
昨日のアレは何なんだと言いかけて、迷惑そうな表情を隠そうとはしない石井にキレてしまった。
「前々から態度悪いよな、お前」
「それで大浜さんに迷惑を掛けましたか?」
「なんだって」
迷惑を掛けたとかそういう事ではない。その態度が不愉快にさせる事を解らないのだろうか。
「仕事をきちんとこなせば文句はないですよね? それとも貴方みたいに他人に愛想を振りまいて調子のいいことばかりいえとでも」
調子の良い事ばかり言っているつもりはない。コミュニケーションも大切だし、助け合うのは当たり前。時に冗談を言ったり話をして笑いあう、それの何がいけないというのだろう。
「俺が、いつ」
「誰にでも食事に誘いますよね」
「なっ、それの何が悪いっていうんだよッ」
食事をして、いろんな話が出来たらと思って誘っているだけだ。石井にとってそれは調子の良い事になるというわけか。
「はい、そこまで」
パンと手を叩く音が聞こえてハッとそちらへ顔を向ける。
売り言葉に買い言葉。いつの間にか声が大きくなっていたようで、心配した柴が間に割って入ってくれたのだ。
「孝平君、今のは良くない。大浜君もだよ」
「叔父……、社長」
「すみません」
「僕じゃなくて、お互いにごめんなさいしようね」
ほんわかとした雰囲気にぎすぎすとしていた空気を包み込む。
「すまなかった」
「俺も、言い過ぎました」
「うん。じゃぁ、仲直りの握手」
柴が二人の手を掴んで互いに握らせる。
石井の手は冷たく、握手をした瞬間に、微かだが表情が緩んだ気がした。
つい、口に出てしまっただけなのだろう。
「孝平君、おいで」
「解った」
頭を下げて柴についていく。
するとすぐに後輩の杉原が寄ってくる。
「流石、社長の癒しオーラ」
「はは、そうだな。助けられた」
自分の言い方が悪かった。故に売り言葉に買い言葉となってしまったのだ。
「こういう時は甘い物を食べましょ?」
と掌に飴玉を二個おいた。
「一個で良い」
飴を一つ返そうとすれば、その手を押しとどめられた。
「やだなぁ、一つは石井のですよ」
これを切っ掛けにといっているのだろう。気の利く男だ。
「ありがとう」
一つは口の中に、もう一つはシャツのポケットへとしまう。
席に戻ってきたらそれを手渡して謝ろう。
だが結局、その後は柴の手伝いをすることになり席には戻ってこなかった。
直接に謝るタイミングを失い、デスクの上に飴玉とメモ帳に「悪かった」と書いて置いておいた。