寂しがりやの君

伝える勇気

 友達になってください。そう告げるだけなのに、この歳になると恥ずかしさのほうが勝ってしまう。
 何度か言いかけはしたのだが、未だ伝えられずにいた。
 今日こそはと、ポケットに入れておいた橋沼から貰った飴を取り出す。
 伝えたはいいが変な顔をされたらどうしよう、気まずくなりそれっきり、なんてよくない方向へと考えがいってしまう。
「あー、うだうだしてねぇでシャンとしろよ、俺!」
 橋沼はそんな人ではない、まだ付き合いは短いがそう思える人だ。
 きっと大丈夫だからと飴の包装紙をとり口の中へと入れた。
 少し甘めの飴をコロコロと転がしながら美術室へと向かいドアを開く。いつもの場所に座っているのは橋沼ではなく見知らぬ人だった。
 もしかしたら美術部員だろうか。もしそうだとしたら部外者である俺は遠慮すべきだろう。
 結局は言えず仕舞いだなとため息をついて踵を返すが、
「待って。田中君だよね。総一から聞いている」
 声を掛けられて彼のほうへと向きなおした。
 下の名で呼んでいるし友達だろう。ずいぶんと顔のいい男だ。
「橋沼さんは?」
「ん、クラスの用事。後、十分くらいしたらくるよ」
「そうなんだ」
 いつも座っている場所に腰を下ろす。
 まだ橋沼とは連絡先を交換していないので、頼まれてきたのだろうか。
 だが帰る様子はなくスマートフォンを弄っている。なんだか居心地が悪い。
 橋沼を待つ間、アプリのゲームでもして待っていようとスマートフォンをポケットから取り出す。
「ねぇ」
 声を掛けられ顔を向けると、
「君って、あの、卑怯者君だよね?」
 そう口にした相手の目は笑っておらず、自分と葉月の間に起きた出来事を知っているのだろう。
 橋沼は何もいわなかった。だから自分から伝えることはしなかった。嫌われたくないから。
 だが同じ学校にいるのだから誰かから聞くこともありうることだ。
「自分だけが助かろうだなんて。最低だな」
 彼が向けるのは敵意。友達が田中と仲良くしていることが許せないのだろう。
「お前さ、もう美術室に来るなよ」
 用事があると言いに来たのは嘘で本当はそれが言いたかったのだろう。教室での居場所を失ったように、ここにも居てはいけないというのか。
「どうしてアンタがそんなことをいうんだよ」
 橋沼からいわれたわけではないから、いうとおりにする必要はない。
 だけど怖くて体が震えて手汗をかいている。
「総一もお前がしたことを知っているぜ。あいつは優しいから何もいわなかったんだろう?」
 その言葉は田中に止めを刺す。
「え……」
 橋沼は知っている。自分がしてしまったことを。
 唖然とする田中に、
「出て行けよ」
 と彼に追い打ちをかけられて、田中は席を立つと美術室から出て行った。

 気が付けばブニャに会った場所に座り込んでいた。
 知っていたのに何もいわずに側においてくれた。それは橋沼のやさしさだろう。
 それに甘えてしてしまったことを忘れようとしていなかっただろうか。
「にゃん」
 今では食べるものの匂いがなくても顔をみせてくれるようになったブニャを抱き上げて顔を埋める。
 自分のことしか考えていない。だからこんな目に合うのだ。
「田中」
 こんなに存在感がある人なのに気配を消すのが上手い。いつの間にか傍に橋沼の姿がある。
「どうしてきたんだよ」
 いや、そうじゃない。どうしてここに来てしまったのだろう。美術室にいなければここにいるかもしれない、普通はそう考えるだろう。
 ぶにゃを地面におろし橋沼の脇を抜けて玄関とは別のほうへ歩き始めるが、
「田中、美術室へ行くぞ」
 そう引きとめられた。
 田中のしたことを知っているのにまだ構おうとするのか。いまはその優しさが辛い。
「いかない」
「よし、選ばせてやる。美術室にいくか、恥ずかし固めをくらうか」
「なんだよ、それっ」
 恥ずかし固めとは、股を開かせた体勢でホールドする関節技のことだ。
「股、開きたくはないよな」
 ダメージを受けたところに追い打ちをするのか。ここでそんなことをされるなんて嫌に決まっている。
「俺にかまうなよ」
「嫌だ。ほら、どうする?」
 と腕を掴まれる。抵抗しても力では敵わない。
「わかった、美術室に行くから放してくれ」
「美術室まで行ったらな」
 腕を引かれながら美術室へと向かう。中に入るなり田中は橋沼の手を払った。
「なぁ、知っていたんだろ、俺がしたことを。それなのに、どうして」
 その答えを聞くのが怖いが口にせずにはいられなかった。
 橋沼の本当の気持ちを知りたかったからだ。
「俺は今の田中としか付き合いがないんだぞ? 誰かに酷いことをした話をされてもなぁ、嫌いになれない」
 その言葉を聞いて田中はしゃがみこんだ。
 橋沼も知っていると聞かされたとき、全て終わったと思った。あの楽しかった時間は二度と訪れないのだと。
 失うことが怖くて、辛くて、
「泣くなよ」
 そういわれて、じっと橋沼を眺める。頬に触れるとたしかに濡れていた。
「え、なんで」
 安心したら気が緩んだのだろう。まさか泣くとは思わなかったが。
「はは、なんでもねぇよ」
「俺の前では強がらなくていい」
 橋沼もしゃがむと田中を抱きしめた。
 包容力がある人だ。大きな手で背中を撫でられると安心してしまう。
 ほう、と息を吐き厚い胸板に頬をくっつける。男より女の胸のほうが断然いいのに橋沼のは違った。
 このままこうしていたい、と思ってしまった。
 自分にはそういう趣味はない。
「暑苦しいんだよ」
 今度は顔ではなく手を胸に当てて、離れろというように押す。
 そんな田中の反応に、
「可愛くない」
 とそのままスリーパーホールドをかけられた。
 後ろから相手の首に腕をまわして頸動脈を締め上げて気絶させる技なのだが、橋沼がしているのは首に腕をまわしているだけなので苦しくはない。
「降参」
 腕を叩いていうと、橋沼さんがガッツポーズをして口角をあげた。
「お前は抱擁よりもプロレス技のほうがいいみたいだな」
「どっちも嫌だてぇの」
 本当は悪くないと思っていたが、橋沼のことだ。素直にそう口にしようものなら何度でもしてきそうだ。
 それでなくとも気恥ずかしいのだから。
 そっと橋沼をみれば優しい表情を浮かべていて、ドクンと胸が鳴った。
 どうしてと自分自身のことなのにわからないし顔が熱くなってきた。
「はは、真っ赤だな」
 そういうとぎゅっと鼻を摘ままれた。そのお蔭で橋沼の手を払いのけられたが、その手は田中の髪を乱暴にかき混ぜた。
「絵が描けなくなった理由はな、展示会に出す絵を切り裂かれたからなんだ」
「えっ」
「すごく手ごたえがあったんだ。それだけにショックが大きくて筆を握ることができなかった」
 自分には想像出来ないほどのダメージを橋沼は食らったのだろう。辛そうな表情を浮かべている。
 そんな彼を慰めるにはどうしたらいいのだろう。経験の浅い田中にはそれが解らず俯いてしまう。
 すると橋沼が田中の手を握りしめた。
 辛いことを田中に話そうとしてくれている。それなのに自分が逃げてはいけない。きちんと目をみて相手の話を聞こうと顔を上げて真っすぐにみつめた。
「先生が美術室のカギをかしてくれてさ。中に入ることはできないし絵も描く気力がでない。毎日、ベランダでぼんやりとしていたんだ」
 そんなとき、ブニャと田中に出会ったそうだ。
「はじめはみているだけだったんだけど、スケッチブックと鉛筆を持って眺めていたら、自然と手が動いていた。久しぶりに描けたなって気持ちになって。他の人からみたら、なんだこれって絵なのにな」
 後頭部の相手に興味がわき、正面からみてみたくなった。そして煮干しが空から降ってきたわけだ。
「ブニャが話すきっかけをくれた。初めてみる田中はまるで警戒している猫のようだったな」
「そりゃ、橋沼さんみたく馴れ馴れしくねぇもの」
「知りたいって思いで必死だったからな」
 と笑い、
「冬弥……昼間に美術室にいた奴な。あいつは俺に起きた出来事を知っているから心配して田中に酷いことを」
 昼間のやり取りはすでに知っているようだ。そんなことがあったら友達として心配になるだろう。田中のしたことを知っているからなおさらだ。
「だからといって冬弥が勝手に俺らのことを決める権利はない。だから謝らせるから」
「え、謝罪なんていらねぇよ」
 彼の気持ちはなんとなくわかるし、嫌われているのに会いたくはなかった。
「これはけじめだから。あと、これからも一緒に飯を食おうな」
 橋沼からその言葉が聞けた。それだけで田中は満足だ。
「あぁ。おかず、楽しみにしている」
「おう。ばぁちゃんに頼んでおくからな」
 美術室での時間はこれからも続く。安心して田中は胸をなでおろした。