寂しがりやの君

美術室の先輩

 自分が気になる女子と仲良くなりたいが為に、クラスの中心人物である神野(こうの)と上辺だけの友達でいた。
 だが、そんな関係は長く続かなかった。
 神野は上辺よりも深い友情を手に入れ、俺達から離れていった。
 女子の恨みは本人ではなく別の相手へと向かい、俺は女子の気をひくことばかり考えていたから、そうなった原因である男をどうにかしてお欲しいと甘えられて、調子に乗って痛めつけてやろうとしたわけだ。
 その相手は俺と似た体格をした目つきの鋭い、悪い噂が絶えない不良の葉月悟郎(はづきごろう)だ。
 俺はアイツが気に入らなかったので、シメるのに丁度イイと思っていた。
 挑発しようと話しかけたが、無視をされた。それにムカついて手を出したのは俺の方からだ。弁当の中身を床へとぶちまき、上履きで踏みつけた。
 しかも元々汚い上履きなのに、汚れたと言ってそのまま背中を蹴とばしたのだから、流石に葉月もキレた。
 葉月は喧嘩慣れをしていたし、想像以上に強かった。俺らは簡単に伸されてしまったわけだ。
 それはすぐに教師に伝わり、結果、あいつだけが停学をくらい、俺達には何もお咎めがなかった。
 まぁ、向こうはほぼ無傷、俺達の方が酷かったからな。
 その時は負けてしまったのが悔しくて、いい気味だと思っていたのだが、
「全てを吾朗のせいにしたことは許さないから」
 と神野に冷たい目で見られた。普段は人良さそうな顔しか見たことがなかった。
 葉月がそんなに大切なのかと、その時は神野に対してもムカついた。
 これで葉月は居場所をなくすだろう。それでなくとも良い噂を聞かない奴だ。
 だが、俺の思った通りにはならなかった。
「私たちは関係ないからね」
 彼女達はそういって俺らをシカトするようになり、クラスメイトはよそよそしくなった。
 停学が明けて戻ってきた葉月は嫌われるところか受け入れられていく。
 しかも、いつの間にか俺が全ての原因で、卑怯な手を使い葉月だけを停学にしたということになっていた。
 その通りなので反論もできず、いつの間にかつるんでいた二人も傍に居なくなっていた。

 俺と葉月の立場が逆転した。
 つい最近までは屋上で一人きりで飯を食っていたのは葉月だったのに。
 一人きりになるには丁度良い場所だった。
 たまに昼寝をしには来ていたのだが、教室に居づらい今は俺にとって安らげる場所になっていた。
 パンを取り出し食べ始めると、がさがさと草がなる音がして驚いてそちらへと顔を向けると、ひょっこりと猫が首を出した。
「なんだよ、猫かよ」
「ニャー」
 今まで姿を見たことは無かったが、もしかして匂いにつられて出てきたのだろうか。
 それにしても随分と縞模様の大きな猫だ。
「おいで」
 手を伸ばすと猫は素直にこちらへと寄ってきた。
 抱き上げるとずしりと重みを感じる。
「太り過ぎじゃねぇの」
 腹の肉を摘まめば、尻尾をまるで鞭のように俺の腕に当ててくる。
 つるんでいた奴等の一人がこの猫のように太っていて、腹の肉を摘まんでやったっけなと思いだし、首を振るう。
 そう、あいつ等はもう俺とは関係ないのだから。
「食う物……、あ、カレーパンとか食うかな」
 パンの部分だけなら平気だろうかとちぎって与えようとしていた所に、
「おい、そいつにやれ」
 そう頭上から声を掛けた。
「あぁ?」
 上を向いた瞬間、顔に何かが落ちた。
「ブフッ」
 しかもなんか、臭い。
「おー、顔面キャッチ」
「なにしやがる」
 ベランダから顔を覗かせる男は見たことのない顔だ。
「ブニャのお昼。食わせてやって」
 ブニャ? こいつの名前なのか。
 足元に摺り寄って餌をねだるブニャに、俺はしゃがみ込んで袋の中身を取り出す。
 中には煮干しが入っていて、あの匂いはこれかと、地面にそれを置くと勢いよく食べ始めた。
「すげぇ食いっぷり」
 その姿に夢中になってみていたら、
「お水」
 といつの間にか側にたっていた。
「アンタ……」
「アンタじゃない。俺は三年の橋沼総一(はしぬまそういち)だ。君は?」
「俺は二年の田中秀次(たなかしゅうじ)」
 隣に並ぶと迫力のある、まるで熊のような男だ。
 俺だって180センチはあるし体格も良い方だと思っていたけれど、橋沼さんはそれよりも10センチは大きいだろう。
 上背だけでなく筋肉質で胸板も厚く腕や太腿も筋肉が盛り上がっている。
 まるで格闘技でもしていそう、そんな見た目だった。
 こんなに目立つ男、同級だったら気が付いてただろうし、三年ならわからなくて当然だ。
 上級生の知り合いなど俺にはいない。部活動に入っている訳でもない。それに彼の噂も耳にしたことは無かった。
 まぁ、美人な姉さまならまだしも、野郎なんて興味ないしな。
「意外と良い身体つきをしているな」
 顎に手をやり、全身を見られる。そりゃ、葉月にボコボコにされたのが悔しくて筋トレをしているしな。
「俺よりも橋沼さんの方がすげぇじゃん」
「まぁな」
 厚い胸板を叩くと硬くて張りがある。
 おもいきり体当たりを食らわせても、簡単には倒れなさそうだ。
「飯、ここで食べていたのか」
 食べかけのパンの袋を指さす。
「あぁ。教室、ウルセェし」
「確かに。なぁ、一緒に食わないか?」
 と上の階を指さす。
「あ?」
 会ったばかりの相手をよく誘う気になるな。
 断ろうと思ったが、
「行くぞ」
 と腕を掴まれて引っ張られる。
「離せよっ」
 払いのけようとするが、橋沼の力は強く離れない。
「行くから離せ」
 抵抗しても無駄。俺はあきらめて力を抜いた。

 連れて行かれたのは美術室だった。
「え、入っていいのかよ」
 部員でもなんでもないのに良いのかと橋沼を見る。
「いいよ」
 とポケットから鍵を取り出す。ネームタグに美術室と書かれている。
「アンタ、そのガタイで美術部かよ」
 てっきり運動部、しかも柔道や空手をしていると思っていた。
「それ、よく言われる。持ち腐れって」
「は、そりゃ言われるだろ。それだけ良いガタイをしてたら」
 見た目だけで強そうだからな。
「格闘技は好きだぞ。でも見る専門」
 と机の上に置かれているプロレス雑誌を指さす。
「利刀(としかた)」
 レスラーとしては小柄な方で、空中に高く飛び華麗に技を決める、とてもカッコイイ選手だ。
「お、好きか?」
「あぁ。この前の試合、凄かったな」
 スマートフォンの格闘チャンネルで見た試合のことを口にすると、橋沼はすぐに話に乗ってきた。
 暫く、プロレスの話をした後、雑誌の下に置かれたスケッチブックに視線を向ける。
 そういえば美術室に居るということは絵を描いていたのだろうか。
「なぁ、どんな絵を描くんだ?」
「見るか」
 それを手に取ると俺に渡した。
 絵のことは詳しくはないが上手いということはわかる。
「へー、すげぇ……、え、これって」
 花瓶と花、林檎、彫像、空、鳥、猫、黒く塗りつぶされた何かが続き、描きかけの何か、そして後頭部が続く。
「あぁ、お前の後頭部」
 何で俺の後頭部!? ていうか、何枚もある。これ、今日描いたって訳じゃないよな。
「俺のことを知ってたのかよ」
「あぁ。この頃、あの場所にきているよな」
 もしかして友達がいないと思われたのか、俺は。
 スケッチブックを机の上に叩きつける。
「ざけんなっ、ボッチだと思って同情したのかよ」
 少しだけ、橋沼さんに興味をもちかけた。趣味も合うし話しやすい人だったから。
 だけど寂しい奴だと思われるのは嫌だった。
「違う」
「じゃぁ、なんだって言うんだよ」
「見てみたいと思ったんだ」
 勝手に描いてごめんな、そう手を合わせた。
「実は、スランプ中で、ずっと描けなくて。先生が昼休みにここを使っていいよって鍵をかしてくれて。描きたいって気持ちになるまでここでぼーっとしてた」
 ブニャがきたら餌をやろうと外を覗いたら俺が居て、暫く、眺めていたらしい。
「それから何度か見かけるようになって。どんな子なんだろうって興味が出てきてさ、君を見ていたら描きたくなって、で、この絵の出来上がり」
 と後頭部の絵が描かれた頁を開いて指さす。
「何か話すきっかけがないかと思っていた所に、ブニャが出てきて。あぁ、チャンスだなって」
 それで煮干し入りの袋を顔面キャッチする羽目になった訳で、俺を見た感想は『意外と良い身体つきをしているな』だったのか。
「は、俺なんかと話したいなんて思うなんて、物好きだな」
 そんなことを言ってくれる人がいるなんて。口元が緩みかけて、それを必死で耐える。
 どれだけ人恋しくなってんだ。クラスの奴等に相手にされなくなったからって。
 浮かれかけた気持ちは、すぐに冷静さを取り戻す。
 そうだよ、あれを知ったら橋沼さんだって、俺を軽蔑するに決まっている。
「戻るわ」
「そうか」
 今ならまだ平気だ。たまたま話をしただけ、それですむから。
 それなのに、迷惑だったか、と、寂しげな顔をされた。
 そんな顔をされたら困るだろうが。
 何も返すことができずに黙り込むと、
「昼は美術室にいるから」
 待っていると言われているような気がして、俺は都合よく解釈する。
 そうだ、学年が違えば互いを知らなかったように彼の耳に噂は届いていないのかもしれない。
 俺は名前も告げた。だけど何も言ってこなかったのだから、またここに来ても大丈夫ってことだよな?
 再び気持ちが上がってきて、浮かれながら教室へと戻った。