獣人、恋慕ノ情ヲ抱ク

怪しい男たち

 あれから毎日、リュンと手をつないで店へと向かう。
 店の中で大人しくしていたリュンがたまにドアの隙間から店の様子を覗くようになっていた。ただ、目が合うとすぐに隠れてしまう。それでも少しずつ慣れてきているということだ。
「ねぇ、リュン。今日は寄り道をしていこうか」
「よりみち?」
「そう。僕のお友達の店なんだけど、リュンのためにオイルを作ってくれるんだよ。セドっていい匂いがするでしょう? それはドニ、お友達の名前なんだけど、が作っているんだ」
「あのにおいだいすき。ぼくのもつくってくれるの!」
 そろそろドニにあわせようかと店を早めに閉めて店へと向かった。
 はじめは外と部屋の中からの挨拶。リュンは後ろに隠れずに手をつないでいる状態で挨拶を返せた。
「リュン、中に入れる?」
「うん」
 お話をしようとドニがしゃがみ込む。びくっと体が震えたが、そっと手を伸ばしてドニとレジスの手に触れた。
「こんにちは」
「こんにちは」
 ぎゅっとふたりが手を握りしめると、リュンがブレーズを見上げてくる。その眼は不安なものではなく、嬉しいけれど戸惑っている、そんな感じだった。
「ぼく、セドリックのにおいだいすき。つくってもらえるのうれしい」
 とはにかんだ。
「きゃわっ」
 ドニがデレっと表情を崩し、レジスが顔がと注意する。
「そうだった」
 両頬を叩き、しゃんとした表情を作る。本当は触りたいだろうに、事情を知っているので我慢している。
「俺はドニ」
「私はレジスです」
「リュン、です」
「少しだけ、触らせてもらってもいいかな?」
「うん」
 ドニが触れるとはじめはびくっとして尻尾と耳が立ち上がったが、それも次第におさまった。
「ふわもこ。はう、たまらんっ」
「ドニ」
「うん、大丈夫。我慢できるよぉ、リュンに嫌われたくないもん」
 毛並みを確認し、尻尾へと触れそして離れる。
「シリルと毛質が似ている。体を洗うときにこれを使って。泡たちがよくていいよ。オイルは甘めの匂いにしようかな。綿菓子みたいで可愛いよね」
「綿菓子か、うん、いいね」
「わたがしって?」
 この国では毛にくっつきやすい綿菓子は売ってはいない。レジスも不思議そうな顔をしていた。
「リュンのようにふわふわしていて、甘い味がするお菓子だよ」
「ぼくみたいなの!」
 興味を持ったか目を輝かせて顔を近づける。
 食べさせてあげたいけれど、綿菓子は常に手に入るわけではなく、祭りの日に露店で売られるだけだ。しかも安価で買えるので子供たちに大人気だ。
「食べさせてあげたいけれど、獣人の国では売っていないんだ」
「そっか、ざんねん」
 がっかりと肩を落とすリュンに、
「それじゃこれはどうかな?」
 棚の中から持ってきたカゴの中に袋詰めされたジャムで色を付けたアイシングクッキーが入っていた。
「わぁ、綺麗!」
「コレットさんの果樹園で果物を貰ってね。ゾフィードが作ったんだ」
 果樹園はドニと話をしていると話題に上がる場所だ。ファブリスの親が趣味ではじめた。季節ごとに楽しめると言っていた。
「んん、おいしい」
 クッキーを食べてほにゃっと顔を緩ませるリュンに、ドニはデレデレと表情を緩めてレジスがニッコリと笑う。
「うん、美味しい」
 ゾフィードは戦うことも料理もできる。はじめて手料理を食べたとき、感動したものだ。
「すごいですよね、ゾフィードさん。私は料理がからきしで」
 レジスは家族が多く食べることが困難であり、王都にきてからも色々とあって食に無頓着であった。
 いまは大分食べるようになったというが、食事の量は獣人なのにドニ並みでしかも一日二食しかとらないのだから心配になる。
「俺が言うのはなんだけど、レジスはもう少しがんばって食べようね」
「そうですよね。お医者様にも三食きっちりとりなさいと言われてます」
「うん、食べたほうがいいよ」
 するとリュンがレジスの手をつかみ、
「ごはん、ぼくもがんばっているよ。だからレジスもがんばって!」
 と口にする。リュンも、小食ゆえにがんばってとるようにしている。
「はい。リュンさん」
 頑張っている子からのエールは胸に響く。
 無理をしない程度にといい、楽しくて癒されるお茶の時間は過ぎていった。

 帰りにクッキーを貰い、店を後にする。オイルは仕上がったら連絡をくれるといっていたので楽しみに待つことにした。
 パルファンを出て獣人商売組合の前を通りもうすぐ角を曲がろうとしていた時だ。
 通りを歩く痩せた獣人とがっちりとした獣人が目に入る。がっちりとした方はスーツ姿、やせた男はシャツとベストという格好で、主と使用人という所か。
 特に珍しい光景ではないのだが、リュンの態度がおかしかった。あきらかにふたりの姿に怯えている。
 ブレーズはリュンを抱きかかえると、身を隠すように細い路地へと入った。
 通りを見渡すと男たちは向こうの建物の方へと歩いて行った。
「どうやらいなくなったみたい」
 ホッと息を吐き、リュンの顔を覗き込む。
「大丈夫?」
 血の気のない顔で真っすぐ見つめたまま、
「ミヒル……」
 そう呟くと体が傾き、ブレーズはリュンを抱きしめた。
「リュン!」
 意識を失っている。ブレーズは急いで歩いてきた道を戻っていく。すぐ近くに獣人商売組合の建物があるからだ。
 受付の小さな窓口にはベルがありそれを鳴らすとドアが開いて獣人がやってくる。そしてすぐにリュンに気が付いてドアを開けてくれた。
「さ、こちらに」
 案内された部屋に大きなソファーがあり、そこにリュンを寝かせた。
「ブレーズさん、どうなさいましたか」
 受付の獣人が呼んでくれたのか、ピトルが中へと入ってくる。
「ピトルさん」
 彼の姿をみたら気が抜けて床に座り込んだ。
「大丈夫ですか」
 ルルス系の肉球がぷにぷにと頬を撫でる。
「ふ、柔らかくてぷにぷにですね」
「そうでしょう? 私の肉球は評判が良いのですよ。ルキンスが幼いころは撫でてあげるとすぐに寝てしまっていたんですよ」
 とブレーズを和ませようとしてくれている。とても優しい獣人だ。
「リュンさんに何があったのですか」
「家に帰ろうとしていた途中で、男ふたりを見かけて、そうしたら意識を失ってしまったんです」
 今まで怖がることはあったが、気を失うようなことはなかった。それにミヒルという名も気になる。リュンがきてから初めて聞く名だった。
 リュンが記憶をなくす前のことを知る、何かヒントになるかもしれない。
「そうだったのですね。その男たちのこと、警戒しておきますね」
「はい」
 頭をなでながら様子をうかがっていると、リュンの目がうっすらと開き、意識が戻ったようだ。
「大丈夫?」
「ん?」
 まるでお昼寝から覚めた時のようにぽやっとしながら目をこすっている。
 もしや覚えていないのだろうか。ピトルと目が合う。そして首を横に振った。
 覚えていないのならそのままで、そういいたいのだろう。ブレーズもそのほうがいいと思うので頷いた。
「私も今日は上りなのですよ。一緒に帰ってもよいでしょうか」
「え、いっしょにかえれるの! うれしい」
 ソファーから降りて飛び跳ねて喜ぶ。その姿を見てブレーズはホッとして息を吐いた。

 リュンは倒れたときのことを覚えておらず、ピトルと共に家に帰ることを喜んでいる。
「ねぇ、ブレーズ。さっきのおかし、ピトルさんにたべてほしいの」
「ふふ、本当はリュンが食べたいんでしょ」
 そういって鼻先をつっつくと、照れながら体をよじらせた。
「くっ」
 あまりの可愛さにきゅんときているのだろう。ブレーズも同じだ。
「ぜひ、リュンくんと食べさせてください」
「うん、たくさん用意しますね」
 家に帰ると貰ったクッキーを皿にのせて紅茶を入れる。
 ふたりで仲良くクッキーを食べ始め、ブレーズも椅子に腰を下ろした。温かい紅茶とクッキーを口にしてホッとした。
「これは、美味しいですね」
 耳が動いている。口にあったようで良かった。
「ゾフィードのお手製クッキーです。アイシングには果樹園のジャムを使ったそうですよ」
「ほう、お噂で聞いたことがあります。さぞや素敵な場所なのでしょうね」
「そうでしょうねぇ」
 どんなところなのかとふたりで思い浮かべて、ホンワカとした気持ちになる。
「ふふ、顔色が良くなりましたね」
「あ、はい。ピトルさんのおかげです」
「それはなによりです」
 傍にピトルがいてくれて心強い。リュンのこともだが、ブレーズのことも心配に思ってくれたのだろう。
 どれだけ周りに恵まれているのだろう。こうして心配してくれる獣人がいるのだから。
「おやおや、クッキーが残り二つになってしまいましたね」
 目を離した隙にお皿の上のクッキーがあと二つになっていた。
「リュン」
 手にクッキーを持ったままテーブルの下に隠れるリュンに、顔を覗き込めばそこから出て椅子の上に座ってクッキーを口の中へと入れた。
「もうっ。夜ご飯が食べられなくなっちゃうよ」
 額を指で軽くついて、しょうがないなと笑う。
「つい食べてしまう気持ちはわかりますよ。おいしいですからね」
「うん!」
「今日だけだよ」
「はーい」
 こんなにおやつを食べたのは初めてだ。倒れた前のことは覚えていないようだったが、心の奥では不安や恐怖があるのではないだろうか。
 優しい甘さはそれを取り除くようにしみわたる。
「ブレーズさん、セドリックさんが帰ってきたようですよ」
 パッと顔を上げて窓から外を見るとセドリックがこちらに向かっているところだった。