ファブリスとロシェ
シリルは昔から毛並のことで辛い思いをしてきた。
家族の愛情を与えられずに一人、大きな館に住まわされ、伴は自分一人だけ。
それもシリルは自分に対して負い目を感じている。
ファブリスには騎士として優秀で、隊長への話もでていた。だが、それよりも大切な理由があり、シリルが弟のように可愛いのだ。
彼が悲しい思いをしながら暮らす姿を見ていると辛い。
笑顔を見せて欲しい。
だから、ドニとロシェと出会った時、怪我をしていたシリルを助けてくれた二人に、良い友達になってもらえないかと思い屋敷へと誘った。
ドニは元々、獣人に友好的であり、すぐにシリルとも仲良くなった。
ロシェには剣術を教えるということになり、シリルだけではなくファブリスにまで楽しみが増えた。
しかも二人はとても優しくて良い人だ。シリルのコンプレックスである毛並の悪さを良くしてくれようと、危険な場所に出向いてケア用のオイルを作ってくれた。
四人でお茶をする時は、必ず話の中心はドニとなり、シリルをよく笑わせてくれる。
たまに息は荒くなるし、涎を垂らしそうになるが、まぁ、シリルが楽しそうなのでと気にしないようにしている。
ロシェとは剣術のこと以外であまり話すことはなかった。だが、回数を重ねていくごとに少しずつ距離が近づいてたと思う。
いつもは水出しのお茶を入れるのだが、果物の蜂蜜漬けがようやく食べごろになったので、それを水の中に入れてだしてやる。天然の氷を洞窟から取ってきて地下の冷保管庫へと閉まってある。それも一緒に水の中へと浮かべた。
「氷に果物。なんだか贅沢だな」
それを一口飲むと驚いた表情を浮かべる。
「これ、甘いな」
「蜂蜜漬けだ。食べ頃になったのでな」
シリルに喜んでもらいたくて作っておいたのだが、今はそれだけではない。
「ロシェは喜んでくれたか?」
「あん? そりゃ。蜂蜜漬けも氷も高価で手が出ないものだからな」
「そうか」
「大抵は野菜か森で狩ってきた獣の肉を食うくらいだからな。やっぱりあんたらは貴族様だな」
嫌味っぽくそう言われ、ファブリスはため息をつく。
彼からしてみれば面白くないのだろう。だが、こればかりはどうしようもない。
「言っておくが、蜂蜜以外は俺がとりにいったものだ」
果物は森で氷は洞窟から手に入れて氷室にしまってある。蜂蜜はシリルへの贈り物だ。
「でも、蜂蜜が手に入るのだから、やはり俺達とは違うな」
怒らせてしまったか、ロシェは立ち上がると館の方へと向かう。
「待て。怒らせてしまったのなら謝る」
「別に怒っちゃいないさ。美味い物を食わせて貰えるんだ。有りがたいと思ってる」
と、ため息をつき、肩を上げる。
「ロシェ、ならばここに戻ってきてはくれないだろうか」
「はっ、俺と話していても面白くないだろう?」
「そんなことはない」
ロシェは今までそう思っていたのだろうか。別に会話がなくとも苦に感じたことはなかった。
「変な奴。じゃぁ、もう一杯、蜂蜜漬けを入れたのが飲みたい」
「解った。では、違う味のものをもってこよう」
オヤツも一緒の持っていってやろう。
ドニとロシェは甘いものが好きだ。なので彼らが遊びに来るときは多めに菓子を焼くのだが、たくさん食べてくれるので残ることは少ないのだ。
キッチンで準備を終え、蜂蜜漬けをいれた水と焼き菓子をお盆にのせて戻り、それをロシェの前へと置き、自分には紅茶を用意してきた。
「アンタってなんでも出来るんだな」
「まぁ、世話係は俺一人だからな」
「そうだけどさ」
彼は自分と目を合わせない。いつも俯いて話すのが気になっていた。
ファブリスが向ける視線には気がついている筈だ。
「なぁ、君はどうして俯いているんだ?」
「あぁ? 別にいいだろう」
「人と話す時は目と目を合わせるものだ」
「うるせぇよ。醜い跡を見せないようにしてやっているのに」
気持ちが悪いだろうと、ケロイド状の火傷跡を指さした。
どうしていつも俯いているのか理由がわかった。
「なんだ、それを気にしていたのか」
「なっ、俺が気を使って」
「そんな気など使う必要はない」
そっと、火傷の跡に触れようと手を伸ばせば、
「やめろ」
と手を払われてしまう。
「ロシェ」
「触るな」
「俺は、気にしていない」
今度はその箇所へと口づけを落とした。
「なっ」
「この火傷の跡もロシェの一部なのだからな」
そう言った途端に彼の顔が真っ赤に染まり、勢いよく立ちあがった。
「帰る」
まだ食べている途中なのに、屋敷に向かって歩き出した。
シリルが同じことをしたら行儀が悪いと注意するが、ロシェに対しては違った。なんというか、可愛い反応を見せられて、グルグルと喉が鳴る。
「これは、また……」
口を手で覆い、ロシェの後ろ姿を見つめる。
すぐにドニを引きつれて外へと出てきた。その後ろには見送りに来たシリルがいる。
「気を付けて帰れよ。ロシェ、またな」
ギクッと肩が揺れ、そして無視して早歩きで去っていく。
「ドニ、またな」
「またね。ちょっとロシェ、そんなに引っ張らないでよぉ」
なんて好ましいんだろうか。もっと深く彼を知りたい。
「ファブリス、楽しそうだ」
「楽しいさ。人という生き物は実に興味深い」
「そうか、よかった」
そういうシリルも表情が明るい。自分では決して心から笑顔にしてやれることはなかっただろうから、二人の存在は大きなものだ。
◇…◆…◇
これ以上、自分との距離を縮めないで欲しい。
ファブリスは、ただ、剣を教わるだけの存在であり、シリルはドニの友達であり自分には関係ない。
それなのに心の中へと入り込もうとするファブリスにロシェは困惑していた。
火傷跡に目をそらさずに触れてきたのは、ドニ以外で彼だけだ。思えばシリルも特に気にしている様子はない。
「調子が狂う」
唇が触れた箇所が熱くてしかたがない。
二人の食生活はドニが育てた野菜と森で狩った鳥や小物の獣、木の実などだ。
ドニはあまり肉が好きではなく、野菜ばかりで食が薄い。それゆえか身体は痩せている。
だが、この頃はファブリスの作った菓子を食べているので身体重が増えた。
それでも痩せすぎだとファブリスは肉をどうにか食わせようと試行錯誤をしているようで、たまに肉や魚のパイを焼く。
包丁で細かく叩いて野菜や果物を混ぜたパイはドニも喜んで食べていた。
まぁ、ドニと二人の食事はただ焼いて味付けに塩を振るうくらいだから、手の込んだ手料理を食べさせてもらった時には感動したものだ。
「ファブリスが奥さんだったら幸せだろうなぁ」
その言葉になぜかドキッとした。
「はは、ドニは面白いことを言うな」
楽しそうに笑うファブリスに、ムカついて舌打ちをする。
周りがシンとなるのは、それが思いのほか大きかったからだろう。
「あ、本気で言っているんじゃないよ?」
「当たり前だ。獣人を嫁に貰うとか、あほか」
「……そうじゃないんだけどなぁ」
ならどういう意味だ。
ドニが言いたいことが解らず、席を立とうとすれば、ファブリスが肩を押さえてそれを止める。
「ロシェ、お前等の為に焼いたパイだ。もっと食え」
大きくカットしたパイを皿の上へと盛る。そして暖かい紅茶をコップに注いだ。
それを口にすれば、イライラしていた気持ちが収まってどうでもよくなってきた。
「はぁ、お前ってやつは」
と、何故かため息をつかれた。
「なんだよ」
「いや、美味そうに食うなと思ってな」
「はぁ? 俺よりドニの方だろ」
そちらへと目を向ければ、相好を崩しパイを頬張っているドニの姿がある。
確かにそうだなとファブリスが笑い、
「ついているぞ」
と親指でロシェの口の端を拭うと、指についたそれを舌で舐めとった。
その仕草に、耳がやたらと熱くなる。
「ガキじゃねぇんだから、やめろよな」
「ん?」
「くそっ」
シリルとドニがニヤニヤとしながら自分を見ている。子ども扱いされているのを面白がっているのだろう。
「見るなよ。お前の分も食っちまうぞ」
二人の皿の上のパイにフォークを突き刺そうとすれば、ドニに皿を避けられてしまう。
「ロシェってば、食い意地が張っているんだから」
と取られないように自分の手でガードをしながらパイを食べ、
「まぁ、ファブリスの作ったパイは美味いから、食べてしまいたくなる気持ちは解らなくもないぞ」
シリルは笑みを浮かべて優雅に食べる。
「本当に、美味そうだ」
そうファブリスがポツリと呟き、
「自画自賛かよ」
自分のパイに乱暴にフォークを突き刺せば、苦笑いをするファブリスと目があった。