獣人、恋慕ノ情ヲ抱ク

決心する

 こんな自分を番にといってくれる。獣人の伴侶なんて嬉しいことなのに、返事ができなかった。
 食事の時間も上の空で、いつもより食べられなかった。
「街に出て疲れちゃったみたい。もう休むね」
 というと、ロシェも休むと言ってドニと共に部屋を出た。
 二人は同じゲストルームで成人の儀が終わるまで過ごす。豪華な家具にふかふかのソファー、そして大きなベッドがあり、二人で寝ても十分に広い。
「ここに来てから疲れる」
 そうロシェがぼやき、ドニもそうだねと相槌を打つ。
「あまりにきらきらとしていて、別世界って感じ。地味な暮らしをしてきたから慣れないよ」
「たしかに。だが、ドニがそういうとは思わなかった」
 意外だなと言われ、曖昧に笑う。
 恋を知らぬ前ならきっと純粋に楽しんでいただろう。
「そうだよね。……あのね、ロシェ。俺は成人の儀が終わったらすぐに帰ろうと思うんだ」
「そうか。ドニが帰るなら俺も」
 ロシェはそういうだろうと思っていた。だからダメだよと首を横にふるう。
「ファブリスと一緒にいたいでしょ?」
 表情は変わらなかったが肩が震える。愛しい存在ができたのだから自分いついてくる必要はない。
「だが、俺は」
「ロシェには十分助けてもらったよ。だからこれからは自分の幸せのために生きて」
「ドニっ」
 嫌だと抱きしめて首をふるう。自分の幸せを犠牲にしてまでドニを選ぼうとしてくれた。
 だけどそれは嬉しくない。ドニだって同じくらいロシェの幸せを願っているから。
「だからね、それまでは色々な獣人とお友達になって触りたい放題、撫で放題するんだ」
 鼻がツンとし涙がでてきそうになりドニはロシェから背を向けた。
「ドニ」
 ロシェが頭に手を回して自分の肩に押し付ける。
 優しい、そのぬくもりを感じて唇に笑みを浮かべる。
 一緒にいたいけれど、ここは幸せにあふれていて少しだけ息が詰まる。
 友の幸せは嬉しいのに、そんな気分になるのが嫌だった。
「その話、シリルにできるのか」
 シリルとも二度と会えなくなる。つらくて悲しいけれど、
「うん、大丈夫」
 出会わなかったころに戻るだけだから。
「意思はかたいのか?」
「うん」
「わかった」
 ロシェが部屋を出ると、力が抜けてへたり込む。
 自分で決めたことなのになんだか虚しい。
「ふっ」
 涙が零れ落ち、絨毯にシミを作る。
「こんな綺麗な絨毯が濡れちゃう」
 手の甲で涙を拭うが、それでは全然間に合わない。
「うっ、ひく」
 ぎゅっと拳をにぎり手に当てる。
 あとで濡らしてしまったことを謝ろう。我慢できずにわんわんと泣いていると、額に触れて後ろへと引っ張られる。
「ひっ」
 いきなりのことに驚きでかたまる。
「どうして」
 そこに目の前にゾフィードがいたら余計にだ。
「ロシェに聞いた。成人の儀が終わったらすぐに帰るそうだな」
 爪で傷つけぬように優しく親指の腹で涙を拭われる。
「そうだよ」
「団長とはどうするんだ」
 どうしてゾフィードがそれを聞いてくるのだろうか。
「君には関係ないよね」
 つい、きつく言ってしまい、気まずくて顔を伏せた。
「……獣人が好きなんだろう? だったら長く滞在すればいい」
「それってセドリックと番になれというの?」
 店をやるような腕のない自分がここにいるためには誰かと婚姻を結ぶ以外にない。
 愛しい獣人に言われて心が痛くて、胸をつかんで膝をついた。
「ドニ!?」
「ひどいよ、俺をどれだけ苦しめるの?」
 せっかく涙が落ち着いたのに、また泣かせたいのか。じわっと涙が浮かびあがる。
「ちがう、そうじゃなくて。あぁっ、くそ、お前を泣かせるようなことを言いたかったんじゃない」
 ドニを抱きしめた。
「やだ、優しくしないで」
 腕の中で暴れるドニに、ゾフィードは落ち着けと背中をさする。
「団長と番になれというのではなく、毛並みケア用のオイルがあるだろうと言いたかったんだ」
 それを聞いて動きを止める。
「え、あれ?」
「そうだ。あれはいいにおいがするし、保湿効果もあって荒れた毛もサラサラになった」
 団に評判だったそうだ。
「それにお前なら、獣人愛で何かできるんじゃないか」
「ゾフィード、もしかして俺がここに残れるように考えてくれていたの?」
「お前みたいな変態はなかなかいないからな。少しだけ寂しいと思っただけだ」
 寂しいと思ってもらえた。少しだけでもそう思ってもらえたら嬉しい。
「俺にできるかな」
「できるだろ。お前なら」
「うん、ありがとう」
 恋はうまくいかなかったが、その優しさがドニの胸を熱くさせた。
 腕に抱き着くと、ぽんと頭に手を置く。
 尻尾が横に揺らいでいる。嫌がってはいなそうだ。
「あ――、ロシェから伝言でな、『ファブリスの部屋で寝る』そうだ」
「それなら、ゾフィード、一緒に寝る? あのベッド、大きすぎて落ち着かないし」
「そういう理由なら、いいぞ」
 もし、許されるのなら、友達としてなら甘えてもいいのだろうか。
「ドニ、寝るぞ」
 そう手を握りしめてくれる。
「うん」
 この想いはいつか思い出になるだろう。それまで切なくなるかもしれない。
 逃げ出したくなる時もあるだろうが、それでもゾフィードが優しくしてくれるかぎり傍にいたい。
「俺、獣人の国にいてもいいかな」
「……いろよ」
 腕にくっついたままのドニを抱きしめ、額に鼻先が触れた。
「うん、俺、自分ができることを頑張るよ」
 そういって笑うと、ゾフィードが口角を上げて髪を乱暴に撫でた。