獣人、恋慕ノ情ヲ抱ク

獣人の屋敷

 森の奥へは一度も行ったことがなかったが、まさか獣人の国へ続いていたとは。
 ふたりと出逢ったあたりにはベアグロウムが生息しているし、知っているから奥まで行こうという者はいない。
 だから今まで知られることがなかったのだろう。
 森を抜けて少し歩いたあたり、立派なお屋敷が見え、そして次に荒れた庭が目に入る。
「えっと」
 これだけ大きなお屋敷に住んでいるのだから使用人も沢山いるのだろう。
 ドニは貴族がどんな生活をしているかなんて知らないけれど、村長の息子が自慢気に話していたことを思い出す。
 どこかの貴族の家を見たことがあって、庭がすごくキレイだったと。
「荒れているだろう?」
 シリルが憎いものを見るように庭を眺めている。
 どうしてそんな表情を浮かべているのかドニには解らない。
「庭師の人はいないの」
「ここには使用人などいないんだ。僕とファブリスしか住んでいないのだからな」
 それも驚きだがこんな広いところに二人きりとは寂しいだろうに。
 テラスがあるのに愛でるのは花壇に植えられた野菜しかなく、イスとテーブルも色がはげている。
「シリル」
 そのわけを知りたい。出会ったばかりだがシリルのことが気になってしかたがない。
「俺らとは住む世界の違うやつらだ。余計な口出しはするなよ」
 表情に出ていたか、ロシェがドニに囁いた。
 そう、獣人は人の子とは違い特別な存在だ。たかが庶民が獣人のしかも貴族に対して深入りすべきではない。
「うん、わかってる」
 だけど意識はシリルへと向いていた。
「中に入るがよい」
 屋敷の主が自ら扉を開き招き入れてくれる。エントランスは迎える者もおらずただ広くて寂しい。
 ドローイングルームには寛ぎやすそうなソファーと、テーブルが置かれており、窓からは日が差し込んでいて暖かさを感じられた。
「わぁ」
 きっとここでは二人もホッとできるだろう。そんな場所があってよかった。
「屋敷は大きくて立派なのに使用人はいないし庭は荒れ放題だ。しかも部屋だって使っていないところは掃除が行き届いていない。まるで僕のようだ」
 自暴自棄に放たれた言葉。暗く苦しむような表情にドニの胸が痛む。すべてをあきらめているように見えたから。
「シリル」
「僕がこの屋敷に住んでいる理由は見た目のせいなんだ。獣人の良し悪しは尻尾と耳の毛並と体格でな。ファブリスのようなものが好まれて僕のような者は嫌われる」
 今まで周りにどれだけ傷つけられてきたのだろう。シリルの表情に胸が痛む。
「シリルそんなことを言うな。俺は今の方がとても幸せだぞ?」
 とファブリスが頭をなでるがシリルの表情はしずんだままだ。
 そして、
「屋敷へと招いておいて申し訳ないが思った以上に足が痛むようだ。僕はこれで失礼するが君たちはゆっくりしていってくれ。ファブリス、あとはたのむ」
 そういうと部屋を出て行った。
 その姿を見送った後、ファブリスが小さく息を吐く。
「茶を用意するから座って待っていてくれ」
 ファブリスも部屋を出て行き、ドニはソファーへと腰を下ろした。
 シリルはこの屋敷を嫌っている。そして自分のことも。
 人の子である自分にはわからないが、シリルは相当、辛い思いをしてきたのだろう。
 シリルが気になって出て行った方を見ていると、
「お前が口をだすことじゃない」
 とロシェに言われてしまう。
「そうだけどさ」
「俺たちとあいつらは住む世界が違うんだ。もう二度と会うこともないだろうし」
「だけどそんな俺たちが知り合ったんだよ?」
 一生、会うことは叶わないだろう、そんな存在である獣人と森で出会い、こうして屋敷に招待されているのだ。
「これをきっかけにしてもいいんじゃないかな」
「馬鹿なことを言うな!」
 ロシェは面倒なことに巻き込まれたくはないだけ。ドニはお節介だといわれても出会ったばかりの獣人が放っておけない。
「でもね、俺はシリルの悲しみを少しでも減らしてあげたい」
 関わるなと言われてもシリルの話を聞いてあげたい。
「ありがとう、ドニ」
 いつのまにか戻ってきたファブリスがお茶と菓子がのったトレイを置く。
「シリルにはそう言ってくれる友達が必要なんだ。よかったら、仲良くしてやってくれないだろうか」
「俺でよいのなら」
「ありがとう。では、部屋からシリルを連れてきてくれないだろうか」
 彼の部屋は階段からすぐの場所だと聞きソファーから立ち上がる。
「ドニ!」
「ごめんね、ロシェ」
 どうしてもシリルのことを放ってはおけない。だからロシェが嫌がっても聞くつもりはなかった。

 ドアをノックしても返事がない。
 寝てしまったのかと今度はドア越しから声をかけるとゆっくりと開く。
「入って」
「うん」
 しょんぼりと耳と尻尾が垂れている。落ち込んでいる姿にドニはその身を抱きしめていた。
「ドニ」
「どうしてそんな顔をしているの? 俺まで悲しくなっちゃうよ」
 シリルの頬を包み込んでさすると、
「お前はお節介なやつだな」
 すこしだけ笑ってくれた。
「ここに座れ」
 シリルがベッドに腰を下ろし隣を指さす。ドニは言われたとおりに腰を下ろした。
「獣人の良し悪しの話をしたよな。僕の母様も兄様達も立派なプラチナの、それは美しい毛並をしているんだ。それなのに僕の毛はまんまるく膨れていてみっともない」
 血縁関係でも関係ない。家柄が良いほど見た目を気にし、恥ずかしいから外には出せないと家の中に閉じ込めておくらしい。
 ドニにはシリルの痛みがわかる。自分たちもそうだからだ。
 ロシェの火傷の痕のことだ。腫れ物に触るような扱いをする。そしてドニのこと。幼いころから小さくてひ弱だったのでいじめられた。
 二人が村はずれに住んでいるのは、村人たちの煩わしい目と、影口を聴きたくないからだ。
「俺は可愛いと思うんだけどな」
「それはお前が人の子だからだろう。こんな毛並みをしていては家にとっては恥なだけだ。それに……」
「それに、なに?」
「ファブリスは白くて美しい毛並をしているし、身体格も良いだろう。しかも優秀な騎士で隊長にという声も上がっていた。雌にもてるし、今頃は家庭を持っていたかもしれない。それを僕が全て奪ってしまった」
 肩を震わせて必死で泣くのをこらえている。いつもそうやって自分を責めているのだろう。
 ドニはシリルの身体を抱きしめると背中を優しくさする。
「ねぇ、シリル。それはファブリスの口から聞いたことなの?」
「いいや。だが、聞かずとも解るだろう。きっと僕を憎んでいる」
 耳を抑えて首を横に振る。聞くのが怖い、そういっているかのようだ。
「そうかもしれないね」
 その言葉に、シリルが目を見開きドニを見る。聞きたくない言葉にショックを受けてかたまってしまっている。
「でも、そうでないかもしれないよ?」
 そう言葉をつづけると、力が抜けたか息を深く吐き、ドニから離れてぐったっりとしながらベッドに倒れこむ。
「何が言いたいんだ」
「相手の気持ちなんてさ、聞いてみないと解らないでしょってこと」
 そう笑顔を向け、
「シリルだってそうだよ。ちゃんとファブリスに教えてあげないとね」
 まずは話しをしなさいなとシリルの両手をつかんでベッドから起き上がらせる。
「ドニ……」
「それと、俺にもシリルのことを教えて。友達になりたいんだ」
 ダメかなと小首をかしげた。
「僕と、友達に、か?」
 そう口にしてじっとドニをみたままだ。
 もしや嫌なのだろうか。
「えっ、え、だめ、かな?」
 不安になってきてシリルの様子を窺う。
「いや、はじめてだから、驚いただけだ」
 シリルの頬が赤く染まり、尻尾をふりふりとさせている。
「それじゃ」
「僕と友達になってくれて嬉しい」
 ありがとうと、ドニの手を握りしめた。
「ふぁぁぁっ、俺も嬉しいよ。獣人のお友達とか、ぐふ」
 あまりの嬉しさに笑いが収まらず、シリルが若干引き気味に「早まったか」と呟いた。

 美味しいお菓子とお茶をご馳走になり会話を楽しんだ。そろそろ暗くなりそうだからと家へと帰ることにした。
「また遊びにきてくれ」
 シリルが手を握り別れを惜しみながらそう言ってくれる。
「うん、必ず遊びに行くね」
「それでは行こうか」
 シリルたちが住む屋敷へ向かうのに自分たちだけでは行き来するのは危険なことを告げ、ファブリスが家の近くまで送ってくれることになった。
 さすがのベアグロウムも獣人に警戒をしているようで姿を見せない。安全に生息地を過ぎ家の近くまで来れた。
「あの、屋敷に行きたいときどうしたらいいかな?」
「伝書鳥という手紙を届けてくれる鳥がいる。今、俺らの頭上を飛んでいるんだ」
 懐から何かを取り出して口にくわえる。
 笛かと思ったが何も音がしない。
「ファブリス、一体何を?」
「すぐにわかる」
 拳を握り腕を上げるとそこに一匹の鳥が止まる。
「うわぁ、かっこいい鳥さん」
 茶色い羽で目つきの鋭い鳥だ。
「ドニたちの住む家を覚えさせている。この笛を吹くとその相手に元へと飛んでくる」
「すごいね」
「あぁ。また、ふたりにシリルに会いに来てほしい」
 連絡をくれたら迎えに行くからと言ってくれた。
「ありがとう」
「俺も、またふたりに会いたい。だから連絡を待っている」
 そうドニを見て、ロシェに微笑み尻尾を大きく振るう。
「は、どうだかな」
 つれない態度のロシェにファブリスは苦笑いし、ドニに別れの挨拶をして森の中へと戻っていった。
 その姿を見送り先ほどまでいた屋敷の、その中の部屋よりも小さな家へと戻っていく。
 寂しくて荒れた庭の中に建つ屋敷だがドニたちが住む家よりも何十倍もキレイだ。
「なんか夢の中にいた気分だったね」
 今も実際に会って話したというのに現実味がないのだから。
「夢だったんだろうさ。だから目を覚ませよドニ」
 住む世界が違うのだと言いたいのだろう。
「でも知り合ったんだもの。夢だと終わらせない」
 フンフンと鼻息を荒くこぶしを突き上げる。
「はぁぁ……」
 額に手を当ててロシェが首をふるう。
 なんだかんだと言いながらもロシェはドニに付き合うだろう。暴走を止めるのは彼しかいないのだから。