傍惚れ

 外山家は大店である。
 この家の主は代々女であり、男は裏方に徹する。
 まだこの店が男の主で会った頃、災難に見舞われて潰れる寸前だったのを救ったのはその主の嫁であり、店を息子に譲ろうとしたらまた災難が起きて娘に店を切り盛りさせたら売り上げが良くなり繁栄したそうだ。
 それからというもの店の主は女が務めることとなったのだ。
 長男は良家に婿養子として家を出た。三男は嫁を貰い店を手伝っている。次男である宗佑(そうすけ)は小さな頃から町道場で剣術を習っていおり、その腕を振るえる場所にと知り合いの同心から同心株を買い与えてくれた。そのお蔭で今は同心として毎日充実している。
 それに宗佑が同心故に盗人も入りにくいか、ここら一体で被害を受ける家は無かった。
 休みの日は姉の子たちと遊んだり、部屋でのんびりと過ごす。
 今日はお使いを頼まれて虎太郎と共にようかんを買に行った帰りだ。
「おじうえ、雨」
 あつい雲に覆われていた空はいつ雨が降ってもおかしくなかったが、とうとう降り出したようだ。外に居た者達が急いで家へと帰っていく。
「虎太郎、ようかんを抱えていて」
「うん」
 小さな体を十徳に包み込んで雨の中を走り出す。
 ようかんと虎太郎は濡れずにすみ、ホッとしながら裏口から家へと入る。
「おじじうえ、ただいま」
 玄関先で虎太郎が言うと父が手拭いを手にやってくる。
「降られてしまったなぁ」
 ほらと手拭いを渡され、父は虎太郎の頭を拭く。
「ようかんはだいじょうぶです」
 ぬれぬようにまもりましたと自慢げにようかんを差し出す虎太郎に、父と宗佑は口元を笑みを浮かべる。
「ようやった。早速、母上に渡しておいで」
 そう虎太郎に言うと、元気よく返事をすると姉の元へと向かった。
「宗佑には着替えか……」
 父のを貸そうと言ってくれたのを止める。
「大丈夫ですよ。このまま向こうに帰ります」
「そうか。帰ったらすぐに着替えるのだぞ」
「はい、父上」
 帰りに持って行けと野菜を貰う。これで汁モノをつくれば体も温まるだろう。
「有りがたく頂戴いたします。それでは」
 頭を下げて外山家を後にする。
 冷たい雨の降る中、再び濡れながら家路を急いだ。

 どうやら昨日濡れたせいで風邪を引いてしまったようだ。
 いがらっぽい喉を押さえ、後で診療所に行って診て貰おうと思いつつ青木の元へ向かう。
「おはようございます、青木様」
「あぁ」
 青木が不機嫌そうなのはいつものことだ。なので気にせずに仕事を始める。
 仕事をしながら周りに気を配り、青木の指示があると直ぐに動けるようにと心がけている。
 だが時がたつにつれ、体が重く怠くなってきた。
「宗佑、この件に関する書物は……、おい、どうした?」
「あ、はい、こちらにございます」
 青木が使うであろう書類は全て傍に積み重ねてある。いつもなら直ぐに用意できていた所だが、ぼんやりしていた。
 額にひやりとしたモノが触れる。それが青木の手だと気がついて目を見張る。
「え、あ、青木様!」
「やはり熱いな」
 と腕を組んで何かを考えるようなしぐさを見せる。
「大丈夫ですよ、これくらい」
「いや、駄目だ。よし、私が看病をしよう」
「え?」
 熱のせいで耳までおかしくなったのかと一瞬思ってしまった。
 だが、青木の表情は本気で、宗佑は目を瞬かす。
「お主は独り者だし、下働きも居ないと言っておったよな」
 与力や同心は町奉行所に近い場所に屋敷を与えられる。
 外山家の男は女のかわりに家のことをしなくてはいけなかったので、食事も掃除も手伝ってきた。なので下働きを雇う必要性がなかった。
 しかも宗佑は家庭を持つ気になれず、独り者だ。
「はい、そうですが……」
「ならば我が屋敷に来ると良い。うめと与平いるからな」
 二人は老夫婦で、青木が小さな頃から青木家で使用人をしていた。屋敷に越してくるときに共に連れてきたのだと、前に話していたことを思い出す。
「では、お言葉に甘えまして」
 青木が自分の身を案じて申し出てくれたのだ。それが嬉しくて世話になることにした。
「任せるがよい」
 ドンと自分の胸を叩く姿に、ほっこりとして宗佑は笑みを浮かべながら頭を下げる。
 配下として大切に思ってくれている。
 以前の青木では考えられないくらい、彼は宗佑に優しくなった。