嫉心

 治療を終え、身体がきれいになり、将吾は布団に横になると寝てしまった。
「さてと、けぇるか」
 今はなによりも身体を休めるのが一番。二人は部屋から静かに出ると、磯谷家を後にする。
「もともと体力のある男だ。治りも早ぇよ」
「そうか。良かった」
 傷や痣は多数あるが、骨は折れていないという。
「ところで、青木って野郎はどんな男なんで?」
「俺も詳しくはないのだが……、そうだ、報告がてら、弥助に聞いてみるか」
 どうしてこうなったか、詳しく知っているかもしれない。
 ついでに酒の差し入れをと、酒屋へ寄ってから弥助の住む長屋へ向かうことにした。
 だが、その途中、団子屋で茶をすする弥助の姿を見つけた。
「おう、弥助」
 正吉が声を掛けると、しーと言いながら指を唇の前に立て、座るようにと床几を叩く。
「なんでぇ、何かあったか」
 できるだけ目立たぬように身を小さくし、こそこそと話をしはじめる。
「紋次の女が住む長屋を見張っていたら、一人で出てきたんで追ってきやした」
 将吾が怪我を負うこととなった元凶がいるというのか。
「そうかい」
 正吉の目が鋭くなる。平八郎も胸がざわついていた。
「あそこは質屋じゃねぇか?」
 確かに、看板に質という文字が見える。
「まさか、盗品を売りにきたんじゃ」
 盗賊の一味かもしれないと言っていた。
「あ、紋次の奴、風呂敷を手に持ってやした」
 このくらいと手で大きさを示す。多分、壺くらいの大きさだろう。
「なぁ、お縄にするなら手伝うぜ」
 売りさばいてしまったら証拠がなくなる。向こうは一人、こちらは三人いるのだ。
 それに正吉は大柄で力もある。
「ありがてぇ」
「平八郎、お前は後ろからついてきな」
「わかった」
 質屋の前に移動し、戸を開いて中へと入る。
 店の主と紋次が値段の交渉を終えたところのようで、銭が入っているのだろう、白い包みが置かれている。
 まわりには美しい壺が置かれており、男の持ち物とはけしてみえない。
「な、何者だ」
「紋次、お縄につきやがれ」
 すると小判を急いで懐へとしまい、外へ出ていこうとするが、正吉がその前に立ちふさがる。六尺程もある大柄な男が目の前にいるのだ。それに怯んだ隙に紋次の手を掴んでひねりあげ、地面に押さえつけた。
 正吉は見た目だけでも威圧感がある。紋次は躊躇い、その隙をついたのだ。
 あっという間に捕まえることができた。今までの慎重さはどこへいったか、自分を捕まえることはできないと、油断した結果だ。
「くそっ、俺が何をしたってぇんだ」
「しらを切るのも今のうちでぇ。詳しくは奉行所で話をしようや」
 正吉は身柄を弥助に引き渡し、平八郎の側へとくる。
「正吉、すごかったぞ」
 流石だ。
「は、相手に隙があっただけよ。おい、主、この男が持ってきた物は盗品かもしれねぇぜ」
「なんと、私は知らぬことです」
 本当にそうなのか。知らぬふりをしているのではないか。
 主は紋次の側へくると懐から白い包みを取り出した。
「てめぇ、俺の銭だ」
「煩いよ。盗品なんぞ持ってきて」
 さっさと連れていておくれと言われ、外へと連れて行く。
「良かった。怪我はないよな」
「あぁ」
 紋次と目が合う。その瞬間、ぶわっと鳥肌が立つ。
「え?」
 どろり。
 黒い霧が紋次の足元から立つ。
「冗談じゃねぇ、俺の……」
 それは一気に膨れ上がり、紋次を包み込んだ。
「なっ」
「平八郎?」
 幻妖だ。
 紋次の怒りと、平八郎の見える目が、幻妖をひきよせたのか。
「正吉、離れて」
「何」
 掴んでいた手を振りほどき、紋次が走っていく。
「待ちやがれ」
 その後を弥助が追いかける。続いて平八郎と正吉も追った。

 二人の差は次第に開き、そして、人けのない場所へと着くと、先についた弥助が紋次と小刀を手に戦っていた。
 憎しみのこもった眼を向け、紋次が小刀を振るい、それを受ける弥助の小刀がぶつかり、キンと高い刃音が響く。
 体勢を整えて素早い動きで斬りかかってくる紋次に、弥助は次第に押されはじめた。
 このままでは弥助が危ない。
 囚われた紋次の力は更に増幅し、黒い霧が弥助を飲み込もうとしていた。
「なんだこれは」
 囚われた者の側に居れば影響を受けて見えるようになる。今、弥助の目には黒い霧が見えているのだろう。それを払うように手を動かしている。
「いけない、弥助が」
 戦うと決めて剣術を学ぶようになった。霧を斬れば弥助は助かる。
 だが、足は止まったまま、一歩も動こうとしない。
「くるんじゃねぇよっ」
 怯えながら後退りをしていく。
『ヤラヌゾ、銭ハ全テ俺ノ物ダ』
 ふらふらと身体を揺らしながら、小刀を構えて弥助の方へと向かっていく。
「弥助、くそ、戦うんじゃなかったのか、俺は」
 足を叩き、動けと心の中で叫ぶが、やはり動かない。
「おい平八郎、俺が紋次の動きを止めてやっからよ、それならでぇ丈夫だろ?」
 頭に手をのせ、ニカッと笑う。
「正吉」
 平八郎を安心させるように、正吉の思いがじわりと全身を解していく。
「正吉、俺はもう大丈夫だ。だけど、どうやって隙を作るんだ?」
「あん? こうやってだよ」
 平八郎の脇差を抜き取ると、紋次めがけて走っていく。
「加勢するぜ」
 と弥助の隣に並ぶ。
「いけませんぜ、あぶねぇですから下がっていてくだせぇ」
 弥助も正吉を止めようとするが、斬りかかる紋次の小刀を脇差で受けて力で押し返すと間合いができ、正吉が脇差を構えた。
「大丈夫だ。正吉は強いから」
「え、どういうことで」
 正吉は平八郎の父親に頼まれ、十二の時から剣術を学んでいる。それを知ったのは晋が幻妖に囚われたときだ。
 何度も斬りあっているうちに、正吉が押し始めた。後、一歩。だが、
『銭ハ奪ワセヌ。全テ俺ノ物ダ』
 黒い霧が膨れ上がる。
「そんなに銭が大事かよ」
 一度、幻妖に囚われそうになったこともあり、正吉は落ち着いている。
 黒い霧がその身に襲いかかろうが、真っ直ぐと紋次の動きに目をやる。
 だが、それも時間の問題だ。平八郎が払わぬ限り消えはしないのだから。
「紋次は銭に執着がある、先ほども銭を質屋の主に取りかえされて憤怒していた」
 そうか、財欲か。
 幻妖は欲にかられた生き物の隙に入り込み、その欲を増幅させて生を奪うと、住職が話していたではないか。
 平八郎は懐から小銭入れを取り出して、地面の上に中身をばらまいた。
「は、成程」
 正吉と斬りあっていたのに、銭を見た瞬間、こちらへと向かってきた。
「よし、弥助、縄」
 それで動きを封じれば、平八郎でも紋次を貫ける。
「へい。お縄につきやがれ」
 と縄を足元に絡ませ、倒れそうになる、その時、
「今だ、平八郎」
「あぁ」
 腰の刀を抜くと淡く桃色に光っている。
 体勢を引くし、平八郎は紋次の心の臓をめがけ、八重桜で貫いた。
 その瞬間、桃色の光がまるで花弁のように舞い、幻妖を消し去った。
「綺麗……」
 弥助が惚けた顔で平八郎と刀を見ている。
 紋次が崩れ落ち、それで我に返ったか、慌ててその身を調べる。
「え、傷がない」
「あぁ。これで斬るのは幻妖のみだからな」
 これで人を貫くのは二人目だ。だが、それでも怖い。
「でぇ丈夫か?」
「あ、あぁ」
 いや、大丈夫じゃない。力が抜けて地面に座り込んだ。
「全く、強がるんじゃねぇよ。怖ぇんだろ?」
 落ち着くまでこうしていてやるよ。そう正吉は抱きしめてくれる。
 温かいな。胸に耳をあてれば心の臓の音がする。
「伊藤様、これって一体……」
「弥助にも説明をせねばならぬな」
 少し落ち着いた。もう平気だと正吉に告げ、立ち上がる。
「一先ずは、紋次を奉行所へ。話はその後でな」
 気を失っているので、縛り上げた後に正吉が担ぎ上げる。
「伊藤様、正吉さん、ありがとうございました。あっし一人じゃお縄にすることができなかった」
「いや。上役思いの配下がいるから、お縄に出来たのよ。なぁ、平八郎」
「その通りだ」
 将吾が得た情報を無駄にしなかった弥助の手柄だ。
 奉行所へとつくと紋次の身柄を弥助に預ける。話は後日ということになり、送るよと正吉と一緒に伊藤家に向けて歩きはじめた。
「なぁ、父上に頼まれたからといって剣術を習っていたが、正吉はそれで良かったのか?」
 正吉は薬屋の嫡男なのだから家を継がねばならない。それなのに危険なことをさせているのだ。
「良いんだ。俺はよ、輝重様におめぇを任せられたのが嬉しかったし、剣術は楽しいしよ」
「家のことは」
「弟に全て任せた」
 それは覚悟を決めてあるということなのか。正吉の人生を自分がかえてしまったのかもしれない。
「正吉、すまぬ」
「よせ。おめぇが頭を下げる理由はねぇ。俺はな、感謝してるのよ」
「それは……」
「幼い頃にさおめぇと出逢えたから、今の俺があるんだぜ?」
 と頭を撫でられる。
「正吉」
「ほら、そんな顔をしてっと、晋さんに俺が睨まれるだろうが」
「はは、そうだな。正吉が俺を苛めたと思うかもしれぬな」
 厳しいことも言われるが、家の中で一番の過保護なのだ。
「ありがとう、正吉」
 平八郎が人生をかえてしまったかもしれない。だけど、もう何も言わない。
「おう」
 正吉の好意を無駄にせぬよう、怖くても臆することなく向かっていきたい。
 平八郎は改めて戦うことを心に誓った。

◇…◆…◇

 南町奉行所、榊の配下が紋次を捕らえたという話は、すぐに青木の耳に入ってきた。
 しかも、厳しい拷問の末、罪を認めたという。
 またこれで一つ、榊の評判が上がる。
「榊めっ」
 書物が部屋に散乱し、一輪挿しが柱に当たり砕け散った。
 榊と青木は同い年で、幼馴染でもある。
 昔から負けず嫌いの青木は、剣術の道場へと通っている時から榊に敵対心を持っていた。
 榊はいつも自分より一歩先にいる。どんなに頑張っても差は埋まらず開く一方だった。
 勝てぬことに苛立ち、青木は榊に嫌がらせをするようになったが、特に気にすることもなく振る舞うので、その態度が気にくわないと物や下働きに当たるようになった。
 それから月日がたち、自分よりも先に榊が南町奉行の与力になった。それがまた青木の自尊心を傷つける。
 自分もそれからすぐに北町奉行の与力となったが、榊に負けたことが悔しくて、憎しみばかりが募ってしまう。
 手柄を立てて名を上げようとしても、榊はいつでも自分の上をいく。そのうち青木の目的は手柄を立てることではなく、榊に痛手をおわせることへと向いていった。
 榊は配下を大切にする男だ。だから青木は自分の立場を利用し、彼の配下をいたぶることにした。
 特に目をつけている配下が良い。そう思い、見張っていた矢先、榊が特に目を掛けている男に気が付いた。それが将吾だった。
 しかも榊は特別な思いを抱いているようだ。
 それに気が付いたとき、青木は久しぶりに楽しい気持ちになれた。
 榊にとってそれは弱点となりうるからだ。
『モット、ア奴ヲ苦シメタイ……』
 苦しげに歪む顔を見たい。
 そう思うたびにドロドロと黒い霧があふれ出て、青木を包んでいった。