嫉心
前に川辺の一角で将吾に会い、心中した者の死体を見た時のことだ。
その幻妖は見る目を持つ平八郎に畏怖を感じて排除しようと襲ってきた。そして傍にいた正吉も巻き込もうとした。
幻妖の存在をまだ知らぬ平八郎は恐怖にお怯え、そして正吉も平八郎の影響を受けて幻妖が見える状態になっていた。
あの時、何も聞かずに野次馬をどけてくれたのが将吾で、後で詳しく話すことになっていた。
「それって、あの時のことと関係しているのか」
「あぁ、そうだ」
「あん時は驚いたぜ。突然、平八郎は助けてとか言い始めるし正吉は黒い霧とか言い出すしよ」
幻妖が見えていたのは平八郎とその影響を受けた正吉だけ。おかしくなってしまったと思われても仕方がない。
「迷惑をかけた」
「あぁん? 気にするなって。実はさ、あの後に空玄さんと住職がお主らを探していてな。その時は二人とも急いでいたから話は聞けねぇで終わったけど後で幻妖って化け物の話は聞いた」
でも他のことは平八郎に聞けと言われたよという。
「そうか」
話すかどうかは平八郎にまかせるという意味で、空玄はそう言ったのだろう。
はたして将吾までも巻き込んで良いものなのか。
どうしたものかと正吉に目配せすれば、決めるのはおめぇだとばかりに見つめられ。将吾に覚悟のほどを聞く。
「お主を巻き込むことになるやも知れぬ。それでも良いのか?」
「あぁ」
力強く頷く将吾に、平八郎は「八」の意味と八重桜のこと、そして自分の意思を告げる。
黙って話を聞いていた将吾は話が終わると、
「お前らの役に立つかはわからぬが、俺も協力するぜ」
町を守るのが俺の仕事だと胸を叩く。そんな将吾に平八郎は心強いよと微笑む。
「同心であるおめぇが力を貸してくれりゃ百人力だな」
と正吉が言った。
将吾の屋敷をお暇し、今度は平八郎の部屋で月見をすることにした。
「おめぇは酒より団子かよ」
紗弥が作ってくれた団子を頬張る平八郎に口角を上げる正吉に、
「童だと言いたいのだろう?」
頬を膨らませる平八郎だ。
「へっ、良くわかってらぁ」
と笑う正吉にムカついてその鼻をつまんでやろうかと手を伸ばすが腕を掴まれ阻止される。
「あめぇんだよ」
ぐいと不意に腕をひっぱっられ、体勢を崩した平八郎は正吉の胸へと顔を突っ込むカタチ。
「何をする」
顔を上げれば二人の距離が近く。この前、体を鎮めて貰った時の行為を思いだして顔を背ける平八郎に、正吉がふぅと酒臭い息を吐く。
「うわ、お酒臭ぁっ」
その匂いを散らす様に手で払う。
そんな平八郎を笑いながら見る正吉に反撃とばかりに団子を手にしてそれを口の中へと突っ込んでやった。
小さな頃から変わらぬじゃれ合い。
いつの間にか団子の突っ込み合いとなり、お茶を持ってきてくれた紗弥に二人して叱られる。そして顔を見合わせて一緒に笑い合った。
※※※
輝定の使いで天安寺の住職に文を届け空玄と幻妖のことで情報を交換し合い、その帰り道に持ち場の巡回中である将吾と岡っ引きの弥助に出会う。
「あれ、今日は正吉さんと一緒じゃねぇんですね」
弥助にとっての自分はいつも正吉と一緒に居ると思われているのか。
正吉は診療所だと弥助に言えば、将吾がからかうように「正吉は平八郎の保護者だからな」と言う。
「え、あ、別にあっしはそんなことを思っては……」
その慌て振りようから弥助もそう思っていたのだろう。
「お主らなぁ。俺はいい歳をした男だぞ?」
ムッとしながら言えば、将吾はそうだなといって笑い、弥助は苦笑いをする。
「覚悟せい」
握り拳を振り上げて殴るそぶりを見せれば、怖い怖いと近くにあるお茶屋の娘御の後ろへと身を隠した。
「あらあら、はしゃいじゃって」
団子屋の娘はお盆で口元を隠し、くすくすと笑う
「娘、お茶と団子を三つ頼む」
「はいよ」
平八郎は団子の言葉に反応し、
「まぁ、許してやろう」
と振り上げた拳をおろす。
「ありがてぇ」
将吾と弥助が床几(しょうぎ)へと腰を下ろし、平八郎もそれに倣う。
正吉と一緒の時は背中に寄りかかり楽をするのだが、今日はその背中が無く、少し寂しいなと思いながら団子を待つ。
すると、
「こんな所で何をしておる、磯谷」
「これは、青木様。お役目、ご苦労様です」
青木家は旗本であり、青木正純(あおきまさずみ)は北町奉行所の与力である。伊藤家の近くに屋敷を構えており、晋と同い年だ。
捕り物でもあったのか、青木は羽織袴に陣笠をかぶり、手には十手が握られている。その後ろには配下の同心、縄で繋がれた下手人とが続く。
将吾を見下し、今、気が付いたとばかりに平八郎の方へと顔を向ける。、今、気が付いたとばかりに平八郎の方へと顔を向ける。
「これは伊藤家の……」
笑みを浮かべて挨拶をする青木だが、平八郎のことをよくは思っていないのは表情から見え見えだ。
「正純さん、お久しぶりです」
挨拶をし、将吾達に行こうと促す。すると平八郎の背中越しに、
「付き合う相手はお選びになさった方がよろしいかと」
と、しかも将吾にも聞こえるに言う。
「なっ」
平八郎が振り返ると、青木がほくそ笑む。それを見た瞬間に鳥肌が立った。
本当に気持ちの悪い男だ。早く傍から離れたくて、平八郎は店を後にした。
川辺の道を歩きながら、先ほどの遣り取りに平八郎は頭にきていた。
「なんて奴だ」
将吾の袖を掴んで握りしめる。その手の上に大きな手が重なった。
「すまんな。お前まで巻き込んだ」
「どうして将吾が謝る! 悪いのはあ奴だろう」
「実はな、青木様は榊様を目の敵にされていてな」
将吾の上役であり南町奉行所の与力である榊秀次郎(さかきしゅうじろう)と青木は同い年で、何かと張りあおうとしているそうだ。
「しかも榊様は青木様のことを全く相手にされていないのだ」
それが余計に癪に障るようで、榊の配下である同心や岡っ引きに当たり散らしているのだという。
上役だというのに器の小さき男だ。恥ずかしくはないのだろうか。
「小さき男よ」
「はは、その通りだな」
そう笑う将吾に、平八郎は誇らしく思う。
けしてその人を恨むことなく、笑い飛ばしてしまえるのだから。
「将吾、何かあれば言うのだぞ。力になるから」
「おう。剣術も学んでいることだし、その腕を頼りにせねばな」
「ぬ、お主、それは嫌味か!」
晋にへなちょこと怒られ、それでも毎日続けている。
ほんの少しだけ、剣の扱いもましになったという程度の腕だ。
「いやぁ、頼りにしているよな、弥助」
「はい」
笑いながら将吾が平八郎の頭を乱暴に撫でる。
「うぬぬぬ……」
いつか二人をアッと驚かせてやりたい。
「本当、頼りにしてる」
ふ、と、真面目な顔となり、平八郎は急に不安にかられる。
「将吾……」
「さてと、弥助、行くぞ」
「はい。それじゃ、あっしらはこれで」
と弥助が頭を下げる。
「あ、あぁ。またな」
二人の後ろを姿を見送り、何事も起きませんようにと祈った。
数日後。その願いもむなしく、将吾が怪我を負ったと弥助から知らされることとなった。