年下の男
道場で倒れてしまったことを師匠と他の門下生に謝りたかったが、正吉の許可が下りぬうちは家から出ることを禁止された。しかも平八郎も部屋に入ることが許されぬらしく、それを聞いたのは忠義からだった。
暇さえあると見舞いに訪れ、そして話し相手をしていってくれる。
忠義は穏やかで誰にでも手を差し伸べる優しい男だ。だから晋のことを放っておけないのだろう。
八つ当たりをしようが、冷たくしようが態度を変えることはない。
「もうなんともないのに安静にしていろというんだ。自分のことは自分が一番知っているというのに。なぁ、少し手合わせでもどうだ?」
起き上がると竹刀を掴んで外へと行こうとするが、忠義に腕を掴まれて引き止められる。
「だめだ。正吉さんから無理をさせぬようにと言われているからな」
もしや見舞いにきているのは正吉に言われたからだろうか。
それが妙に腹が立ち、つかんでいる手を乱暴に振り払った。
「一人でするからよいッ!」
「駄目だ。輝定様からも言われておるからな」
御免と言うと晋が払った腕をもう一度つかみ、強い力で引き寄せられ簡単に担がれてしまう。
「離せ」
暴れる晋を落とさぬように腕を回す忠義に、更に怒りがこみあげてくる。
だが、そんな晋を無視して忠義は部屋の中へと入っていく。
「俺の邪魔をするのか!」
「あぁ。剣術をするというならな。なぁ、それ以外では駄目だろうか? 話をするとか将棋をするとか。剣術以外なら付き合うから」
と、晋を布団の上へとおろす。
胸の苦しみを取るためにしようとしていたことを邪魔する忠義が気に入らない。だが、ふと、あることを思いつく。
そうだ。心の苦痛から抜け出すには別の苦痛を味わえばいいのではないだろうか、と。
きっと忠義にそのままお願いしても頼みを聞いてくれないだろう。致し方ないが、あまり気乗りはしない手を打つ。
「剣術以外ならつきあってくれると言っていたな? ならば、まぐわおう」
服を脱げと笑みを浮かべれば、一瞬ためらいの表情を見せたが、すぐにわかったと言うと帯を解いて上着を脱ぎ捨てる。
いつみても惚れ惚れする立派な体格をしている。ほどよくついた筋肉も厚い胸板も自分にはないもので憧れる。
「下も脱げよ」
袴と下帯を外して一糸まとわぬ姿を晒す忠義に晋は口角をあげる。
「ほぅ、お主。随分と立派なモノを持っておるな」
図体同様に大きく育ったその箇所を足で踏みつける。
「ぐッ」
痛みにか声を詰まらせて前かがみになる忠義の肩に足をやり蹴とばし、畳の上に倒れ込む忠義を見下してその髪を鷲掴みする。
怒り、そして殴ればいい。
そうすれば自分など簡単に壊れるだろう。だから本気で怒らせないといけない。
八つ当たりをしても怒らなかった男だが、男としての自尊心を傷つけられた流石に腹も立つだろう。
晋の期待通りに怒りを露わにした忠義が目をギラつかせて晋のことを組み敷いた。
待ち望んでいた状況に気分が高揚する。
「さぁ、俺をめちゃくちゃにしろ」
力を抜いていつ殴られてもいいように目を閉じれば、
「あぁ、そうしてやろう。晋さんの望むとおりに」
と声を荒げる忠義から受けたものは、望んだ痛みではなく唇に柔らかなものと熱さであった。
噛みつくような口づけに晋は目を見開く。違う、望んでいるのはこれじゃない。
忠義に殴ってほしかった。そして永遠に目覚めなど来ないようにしてほしかったのに。
「う、んんんッ」
やめろと首を振って忠義をどかそうと腕を動かすが掴まれて片手で抑え込まれてしまう。
口づけは更に深さをまし、唇をこじ開けるように舌が入り込む。
歯列をなぞり舌を絡ませ、薄らと開く唇からは唾液が流れ落ちる。
「んふッ」
怒りと共に別のモノを含んだ瞳は一心に晋を見つめ。その視線と口づけが相成って思考が蕩けはじめる。
力が抜けて忠義の舌に応えるように自分も舌を絡めた。
水音と共に吐息がきこえる。
晋が口づけに感じているように、忠義も感じているのだろう。
それから息が乱れるまで口づけてから唇が離れ、晋の濡れた唇を忠義の指が撫でる。目も普段の忠義が見せる穏やかなものとなっていた。
「自暴自棄な目をしていたから、晋さんが俺を怒らせようとしていると、そう思ってな」
殴り合いをしたかったのかと、そう問われて首を振る。
「殴り合いじゃない。俺を殴って欲しかっただけだ。お主に本気で殴らて目覚めなど二度と来なければ……」
その言葉に肩を震わせ、忠義の手が晋の頬を張り。じんとした痛みと熱を感じる。
「晋さんに何か辛いことが起きたのだろうことはこの頃の貴方の様子を見ていて何となくわかっていた。だがな、目覚めなど二度と来なければとか、そいういうことは言わないでくれ」
俺が傍にいるからと、晋を強く抱きしめる。
「すまん、忠義」
自分を想い叱ってくれたり優しくしてくれる人が傍にいるというのに、その相手に自分をどうにかさせようとしていた。
なんて馬鹿な奴なのだろうか自分は。
「もう、変なことは考えぬよ」
とそう忠義に言うとその腕を回した。
頬に忠義の胸が触れ、暖かさと張のある肌が気持ち良くて頬を摺り寄せれば、忠義が身を起こしてあたふたとしだす。
「……晋さん、もう服を着ても良いだろうか?」
そうだった。屈辱的な恰好をさせて怒らせようとしていたので忠義は全裸のままで、手であの部分を隠している。
「今更、恥ずかしがることもあるまい。それに立派なモノを持っておるのだ。堂々としろ」
忠義の手を掴もうとすれば、それを拒むように忠義が一歩さがると晋に背を向けて服を身に着け始めた。
「なんだ。折角だし、もう一度お主の巨根を拝んでおこうと思ったのに」
残念だと言えば。
「な、拝むって!」
そう狼狽えながら忠義が顔を振り向かせる。その表情は照れていて真っ赤になっていた。
「ははは。照れておるのか? 可愛いな、お主」
と、からかうように晋は笑った。
※※※
はじめから面倒見の良い男だった。それが今ではそれに拍車がかかっていた。
優先的に自分を甘やかしてくれる忠義の隣は実に心地よく、頼りきってはいけないと思いながらも離れられずにいた。
大きな手は暖かく包容力がある。それに触れていると幸せだと思い始めるようになっていた。
のんびりと茶を飲んで話しをしたり将棋を打ったりする時間がこんなにも楽しいなんて思わなかった。
だからかもしれない。
今まで口にするのを恐れていたことを忠義に聞いてもらおうと思ったのは。
途中、言葉を詰まらせてしまうこともあったが、全てを話し終えてた。
「そうか。辛かったな、晋さんも」
平八郎に対してしてしまったことは許されない。だが、それに対して後悔し反省しているのだ。これ以上自分を責めないでと忠義が晋を抱きしめた。
「俺なんかより平八郎の方が辛いだろう」
兄弟にこんな目にあわされるなんて思いもしなかっただろう。
「確かにそうかもしれないな。晋さんがそんな態度をとっているうちは」
忠義のその言葉に胸が痛んだ。
あの日から平八郎を避けている。顔を合わせたくないだろうと勝手にそう思って、実際は平八郎の本当の心を知るのが怖くて逃げ回っているだけなのだ。
自分勝手な思いが、また平八郎を傷つけている。
「そうだな。このままでいてはいけないよな」
やっと自信の心に決着をつける決心がついた。
「平八郎と話をするよ」
そう真っ直ぐと忠義を見れば、
「もう大丈夫そうだ」
と、そっと晋の胸へと触れた。
目に迷いが無く、晋に心の底から安堵しているのだろう。
「あぁ。お主のお蔭だ。感謝している」
あの日、前に進むきっかけをくれたのは忠義だ。晋はその手の上に自分の手を重ねて握りしめれば、忠義が嬉しそうに笑った。
忠義が帰った後、晋は平八郎の部屋を訪ねた。
それを歓迎するように平八郎は晋を部屋に招き入れてくれた。
はじめはぎこちなさを感じたが、晋の謝罪の言葉の後、互いの胸の内を打ち明けて。戻れないと思っていた関係は、呆気なく元通りとなった。
その夜、晋と平八郎はずっと話をし一緒に寝た。
今も愛おしい存在であることは間違いないのだが、それは兄弟としてという気持ちへとかわりつつあった。