恋をする甘党の彼

後輩は先輩に片思い中

 こんなにはしゃいだのは久しぶりだ。
 皆でマフィン作りをしたのだが、かなり不器用な大池が起こしたハプニングに巻き込まれたり、背中を丸めて細かい作業を行う信崎の姿を見たり、一生懸命カップにタネを流し込む浩介の可愛い姿を見たりとすごく楽しかった。
 焼き上がる間、真野と江藤で食事の準備をし、信崎と大池は浩介と一緒にテレビを見ている。
「こういうのって良いよね」
 皆でわいわいするの、と、微笑む江藤に。
「はい。すごく楽しかったです。大池さんがあんなに不器用だとは思いませんでした」
「はは。信崎なんて雑そうで意外と細かいしね」
「そういえば真野君、浩介にすっかり懐かれたね」
 マフィンを作っている間、浩介が傍に居てくれることが嬉しくて張り切ってしまった。
 それを見られていたと思うと恥ずかしいが、嬉しい方がさきにたつ。
 なので素直に嬉しいと口にすれば、江藤がふふっと笑みを浮かべた。

 夕食のメニューは浩介の為にお子様ランチ風のメニューにした。しかもデザートのプリンは生クリームのせだ。
 それをみた瞬間、目を輝かせて喜ぶ浩介と大池だ。
「おいおい、おっきい子供がいるぞ」
 と冗談交じりに大池の事を言う信崎に、自分の事を言われている事に気が付かなで「どこにです?」と天然な一面を見せる。
 江藤と真野は笑い、浩介が不思議そうに大池を見つめて。
「おにいさんこどもなの?」
 なんて事を言うもんだから、大池以外の大人は大爆笑だ。
「ひー、腹いてぇ」
「浩介には敵わないや。さ、ご飯にしようね」
 信崎が浩介を抱き上げて椅子に座らせ、頂きますしようなと手を合わせる。
 食事をはし始める浩介に目配せををしながら信崎も食事を摂る。
 そんな父親らしい姿にホゥと小さくため息をついて眺めていれば、江藤に見つかってニヤニヤされた。
「う、頂きます……」
 照れながら顔を背けた。

 美味しい食事を終え、暫くしてから「帰るよ」と信崎が言い、浩介ともお別れかと真野は寂しい気持ちになる。
「じゃぁね、浩介君」
 ばいばいと手を振れば、小さな手がぎゅっと真野の袖を掴んだ。
「もうすこし、おにいちゃんといっしょにいる!!」
 イイでしょう? と真野を見る浩介に、信崎は彼を抱き上げて駄目だと言う。
「明日、動物園に行くんだろう? 起きられなくなるぞ」
 だからバイバイしようなと信崎が言うと、浩介は泣きそうな顔をしながら頷いた。
 自分とバイバイするのが嫌だと、悲しそうな顔をする浩介に真野はきゅんとなり別れがたくなる。
 だが、明日の為には帰って眠らないと。
「浩介君、また……」
「明日、真野君も一緒に行けばいいじゃん」
 またねと手を振ろうとしていた所に、江藤の声が重なる。
「え、ちょっと、江藤さん」
 それは魅力的な提案ではあるが、折角の親子水入らずを他人が邪魔して良いものなのか。
 ちらっと信崎を見れば、
「そうだな。真野の都合さえ良ければ、一緒に行かないか?」
 と誘ってくれた。
「でも」
「おにいちゃん、いっしょにいこうよ」
 浩介の表情がぱぁっと明るいものとなり真野の手を掴んで引っ張る。
「本当に良いんですか?」
 うかがうように信崎を見れば、頼むよと手を合わされる。
 浩介が喜ぶのが一番、信崎の顔にはそう書いてあるように見えた。
「じゃぁ、ご一緒させてください」
「やった」
 喜ぶ浩介を撫でながら、ありがとうなと信崎に言われ。こっちこそお礼を言う方だと心の中で呟く。
 まさか休日に一緒に出掛けられる事になるなんて。
「じゃあ、待ち合わせは9時で動物園の前でな」
 そういうと浩介の手を引いて帰っていく信崎を見送り。
 江藤の方へと振りかえれば、ふふっと笑い声をあげる。
「真野君、顔、緩んでるよ」
 頬を指で突かれて、恥ずかしいと手で顔を覆う。
「真野、今日の飲み会は中止でよいな?」
 明日の為に早く帰れと、真野を気遣ってそう言ってくれた。
 その言葉に甘えて飲むのは改めてということになり江藤家を後にした。

 はたして今晩は眠れるのだろうか。

◇…◆…◇

 楽しみ過ぎて気持ちが落ち着かず、待ち合わせの場所で待っていようと早めに家を出る。
 開園前の動物園には既に家族連れやカップルなどがおり、その中には待ち合わせの相手を待つ人もいる。
 真野はスマートフォンを弄りながら時間をつぶそうと門の近くの壁の前に立つ。
 それから暫くすると浩介の手を引き歩いてくる信崎の姿が見え、真野に気が付いたのか手を挙げ、それに応えるように手をあげようとしたらすぐ近くの女の人も待ち人が来たようで手を振っている。
 タイミングが一緒でなんだか恥ずかしくなってきて真野は手を振るのをやめると、信崎が途中で立ち止まりこちらを見つめていた。
 どうしたのだろうか。なにか忘れ物でもしたのかと、それに気が付いて立ち止まってしまったのかとそう思いながら信崎の達の方へと向かおうとしたら、
「信崎さん」
 と先ほどの女の人が信崎の方へと小走りに向かう。
 どういう事だ、これは。
 真野はかたまったまま動けずに二人の様子を窺う。
 すると信崎が此方へ向かってきて、その後をついていくように女の人と浩介が来る。
「真野」
「お知り合いですか?」
「えっと彼女は……」
 話しにくそうな信崎を真野は不安げに見つめれば。
「元妻の友達でな。何度か三人で会った事がある」
 という返事だ。
 それはただの友達として会ったのか、それともお付き合い相手にと紹介されて会ったのか。
 真野の胸がずきずきと痛み、苦しくてここから立ち去りたくなった。
 だが、そんな時。浩介がおにいちゃんと足に抱きつき笑顔を浮かべて見上げてくる。
「浩介君」
 そうだ、自分は浩介と約束をしたんだ。
 この思いが真野をここに留めさせる。
「真野、こちらは坂下さん。で、こちらは俺の会社の後輩の真野です」
 そう信崎が互いの紹介をする。
「宜しくね、真野さん」
「はい。宜しくお願いします」
 互いに挨拶をした後、坂下がいきなり来てしまった事を詫びる。
「信崎さんが後輩の方とお約束していた事を知らなくて」
 浩介を連れてここに来ることは信崎の元妻に聞いたそうだ。
「皆で一緒に楽しみましょう?」
 ね、と、信崎が坂下に笑いかけ、真野に御免と手を合わせる。
「おねぇさんもいっしょなの? やった」
 浩介が嬉しそうに飛び跳ね、真野の胸が更に痛んだ。

 それから浩介に引っ張られるように動物を見て回り、小動物と触れ合えるエリアに来たところで坂下に浩介を任せ、真野と信崎はベンチに腰を下ろす。
「真野、すまなかった。彼女がここに来ることは知らなかったんだ」
 と謝られて、真野は良いんですよと首を振る。
 今、浩介と坂下はウサギと遊んでおり、優しそうな笑顔で浩介を見る彼女は母親のようだ。
「……信崎さん、俺はこのまま帰りますね」
 浩介が動物に夢中の間に帰ろうとそう思って言ったのに、信崎が腕を掴んで引き止める。
「帰らなくていい」
 そういうけれど、ここにいるのが辛いのだと正直に話すと掴んでいた腕が離された。
「誘っておいてこんなことになってしまってすまない」
「あ、違うんですよ。気持ちが辛いんじゃなくて、実はいうと、昨日、あまり眠れなくて……」
 そう笑って答えれば、信崎は複雑な表情を浮かべて真野を見る。
「真野、お前」
 こんな誤魔化しなんてしても信崎は騙されないだろう。
 すっと伸びてくる手が頬に触れそうになる。
 その瞬間、真野はその手を避けるように立ち上がり、
「ほら、信崎さん浩介君の所に行ってください。じゃないと怪しまれますから」
 信崎の肩を数回たたいていくように促した。
「じゃぁ、また」
 そういうと手をあげて信崎に背を向ける。
 あとはひたすら、ここから逃げ出す事だけを考えて歩いていた。