Short Story

夢から現実へ

 ふ、と真田と視線が合う。
 いつの間に前の席に座っていたのだろうか。本に夢中になっていて気が付かなかった。
 あれから連絡を取り合うようになり、何度かあった。どこかへ遊びに行くたびに家に送ってもらって、まるでデートのようだと心の中で思っては浮かれていた。
「え、真田君、声をかけてくれたらよかったのに」
「集中しているところを邪魔したくなかった」
 優しく微笑まれて、胸が高鳴る。そういうことをスマートにできてしまう真田はすごい。
 高鳴る胸に手を押し当て落ち着かせる。
「飯を食いに行こうか。友達におすすめの店を聞いたんだ」
「うん」
 美味しくてボリューム満点の洋食屋だそうだ。身体は細くなったが食が細くなったわけではない。
 どんな店だろうかと楽しみについていくと、徐々に足が重くなってくる。
 あまりその先へは行きたくない。
「真田」
 袖をつかむと、どうしたと真田が振り返る。
「別の場所じゃダメかな」
 あの先へ行くのは嫌だ。血の気が引き心臓の音が騒がしくなる。
「豊島、何かあったのか?」
「ごめん」
 息が荒く、呼吸がうまくできない。
「大丈夫か。顔色が悪い」
 手を握りしめ、冷たいとつぶやく。
「……ごめんね、帰る」
「わかった。行こう」
 手が離れ、来た道を戻り始めようとした、その時。
「豊島君」
 女性が自分の名を呼ぶ。豊島はぎくりと肩を揺らし足を止めた。
 振り返りたくない。 そのまま振り返らずにいると、もう一度よばれて、ゆっくり振り向いた。
 そこにいたのは少し派手目の女性だった。そして、隣に立つ男を見た瞬間、息が止まる。
「え、おまえ、真田じゃん」
 ガラガラの特徴のある声。
「久しぶりだな、秋庭(あきば)」
 真田と秋庭は高校の時、よく一緒にいた。
「なに、すごいイケメンっ! 秋庭君の友達?」
 女性が秋庭と真田の間に割って入る。
 それにムッとしたか、
「うるせぇ。お前、先に店に行ってろよ」
 と乱暴に彼女の肩を押す。
 自分のモノになると秋庭の態度は豹変する。それは相変わらずだった。
「何よぉっ」
 不貞腐れつつ、彼女は先に居酒屋の中へと入っていく。
 視線を感じて豊島はうつむいた。
「何、豊島と真田って友達だったっけ?」
「最近、喫茶店で会ってな」
 黙る豊島のかわりに真田が答える。
「あー、こいつ、随分変わったもんなっ」
 肩に腕が回り引き寄せた。それに驚いて顔を上げると、目がすっと細くなり肩を撫でられた。
 声がでそうになり慌てて口を手で押さえて耐えた。
 それをいいことに秋庭の手は撫でる手を止めない。
「秋庭はどうなんだよ」
「俺はすげぇ仲良しだよ。なぁ、豊島ぁ」
 違う。そう叫びたかったが、その言葉を飲み込んで、頷いた。
 辛い、はやくここから逃げ出したい。足が震える、力が抜けてしまいそうだ。
 不安げに真田を見れば、目を見開き、そして、
「あ……、悪い、秋庭。俺ら、これからほかの友達と合流するんだわ。そろそろ行かないと」
 ポケットからスマートフォンを取り出した。
「それなら、俺も一緒に連れてけよ。友達じゃん」
「悪いな。仲がいい奴らだけで集まるんだ」
 そう真田がキッパリと断った。
「はぁ? なんだよそれ」
 仲がいい奴らの中に自分が加われないことが気にくわないのだろう。不機嫌そうに真田を睨み、
「豊島、俺ら、すげぇ仲良しだよなぁ」
 手が腰に回った。
 もう無理だった。
「豊島!?」
 へたりと地面の上に座り込むと、真田がしゃがみこんで手を握りしめた。
「ごめん」
「なに、こけてるんだよ」
 真田は心配してくれたのに、秋庭は転んだと思っているらしく呆れた顔をしている。
「最低だな、お前は」
 低く、凍り付きそうな声だった。静かに真田が怒っている。
「はぁ!?」
「豊島、立てるか?」
 片手をつかみ、もう片方は腰に添えられる。
「うん、ありがとう」
 まだ、足ががくがくとするが、立ち上がれた。
「おい、真田、てめぇ」
「豊島、行こう」
 秋庭を無視し、来た道を戻り始める。
「おい、まてよっ! 豊島、真田!!」
 がらがらとした怒鳴り声が聞こえなくなるまで夢中で歩いた。
 その間、真田と手をつないだままだった。
「ごめん、真田」
「いや、それよりも豊島、具合はどうだ?」
 かがみこんで額に手が触れた。
「あ……」
 あまりの近さに胸が波打つ。さっきまで怖かったのに、その優しさが豊島を包み込んでいく。
「豊島!?」
 急に真田が焦り始め、どうしたんだろうと目を瞬かせると、涙が零れ落ちた。
「え、あっ」
 まさか泣いていたとは思わず、ハンカチを取ろうとポケットに手をいれるが、それよりも早く真田の指が涙を拭った。
「何があった」
 秋庭と、何があった?
 その言葉に身体がが強張る。
 頭の中によみがえる、思い出したくないできごと。
 血の気が引き、足が一歩、後ろへとさがる。
「豊島」
「なにもないよ……」
 どうにかそう告げて、笑おうとするがぎこちないものになる。
 いえるわけがない。あれは真田にだけは。
「ごめん、帰るね」
 これ以上、そばにいると暴かれてしまうのではないかとそれだけが怖い。
 真田から背を向けて歩き出すと、
「豊島、また連絡するから」
 そう声をかけられて。彼の優しさを失いたくなくて、豊島は言葉を返すことなく歩いて行った。

※※※

 スマートフォンが着信を告げる。画面に表示されているのは真田の名前だ。
 あの喫茶店で待ち合わせをしよう、という内容だ。
「真田君」
 真田を想うと切なくなる。会えるのが嬉しい。たくさん話をしたい。
 だけど怖い。あのことがバレてしまったら。
「真田君……」
 スマートフォンを大事そうに握りしめて頭をくっつける。
 何を聞かれても笑ってなんでもないと答え続けられるのだろうか。

 突然、部屋のチャイムが鳴った。
 時計は23時。こんな時間にくる人物の心当たりは一人しかいない。
 激しくドアを叩き、
「開けろ、居るんだろ!」
 と大声で怒鳴る。
 怖くて、口を押えながら部屋の片隅で丸くなる。はやくあきらめて帰ってほしい。
 すると外から誰かともめる声が聞こえ、ドンっとドアが大きな音を立て、そして静かになった。
 豊島は立ち上がり玄関へと向かうとドアスコープから外を覗く。そこからは誰も見えない。
 ホッとしたら力が抜けて、そのまましゃがみ込み、今だ震えの止まらぬ身体をぎゅっと抱きしめた。

 一睡もできないまま、朝を迎えてしまった。
 今日は一限目から授業がある。用意をして行かなければならない。それに真田と、彼の友達と飲む約束もしている。あとで連絡があるだろう。
 行く前に冷えた体を温めようとバスルームへと向かい、シャワーのコックをひねり温度を熱めに設定した。
 冷えた身体が熱で温かさをとりもどし、やっと気持ちも落ち着いた。
 身体を拭いて鏡の前に立つ。頑張った成果。肌はすべすべになったし、身体も細くなった。しかも自分に自信が付いた。
 だが、悪い面もある。友達ではなく性処理目的に使われたことだ。
 心は拒否をしているのに身体は気持ちよいところへと触れられたら反応してしまう。
 真田にはけしていえない。本当はレイプもされたことを。
 身なりを整えてカバンを持つと玄関の扉の前に立つ。昨夜のこともあるので外に誰もいないかを確認をし、ドアを開けて外へと出た。
 アパートの階段を降りたその時。車のドアが開く音が聞こえて動きが止まる。まさかとそちらへ顔を向けると、目の前に秋庭の姿があった。
「昨日はよくも無視してくれたなぁ」
 バチっと音がする。秋庭の手元にスタンガンが握られている。
「あっ」
 それから逃れようと後ずさるが、素早く秋庭の手が豊島の腕を握り引き寄せられてしまう。
「てめぇが悪いんだよ」
 脇腹に痛み。そして意識が薄れていく。
 最後に耳に残ったのは秋庭のガラガラした声だった。

 はじめてのバイトで緊張していた。
 見た目がかわったからといっても性格まですぐには変えられない。はっきりいえば自分に自信がなかったのだ。
 だが、久しぶりに会った秋庭は優しくしてくれた。しかも自分が同級生の豊島だと知った時、驚いていたけれど、頑張ったな凄いと言ってくれたのだ。
 付き合いやすくていい人。高校の時は話したことすらなかったので、友達になれたことが素直に嬉しかった。
 だが、しだいに秋庭の態度がおかしくなっていく。ねっとりとした視線でみられるようになり、やたらと触れられるようになった。
 それでも友達だしスキンシップだろうと我慢していたが、秋庭と少しずつ距離をとるようにしたのだが、彼の態度が一変した。無理やり家へと連れていかれて何かを飲まされたのだ。
 身体が熱く疼く。下半身のモノは張り詰め、触れられるだけで身体が感じた。
 秋庭はにやにやとしながら身体を撫でたり舐めたりし、下半身のモノへと触れた。
 それは前だけではなく後ろへもだ。中を指でほぐして自分のモノを突っ込んだ。揺さぶられて、何度も放ち、身体も心もズタズタになって。そのあと、気持ち悪くなって吐いた。
 それからずっと避けていた。住んでいたところも変えた。
 着信拒否にし、大学も一人ではいかないし、帰りも誰かと一緒にいた。
 もともと女が好きな男だ。いつまでも執着などしないだろうと思っていた。
 ゆえに姿を見せなくなり、やっとあきらめてくれたと思っていた。それなのに。
 体中につけられた痕に吐き気を覚え、急いで水を流し中のものを吐き出すが、何も食べていないので出てくるものは胃酸だけだ。喉がカッと焼けるような痛みを覚えて涙が零れ落ちる。
 何度も口の中をゆすぐけれど、気持ち悪さは取れなくて、豊島はそのまましゃがみこんだ。
 身体中にちらばる赤は消えても、心の中にそれは汚点として残る。
 指でその痕にふれ、軽く手を握り締めた。