嫉心

 将吾が怪我を負い、正吉の治療を受けたことを弥助から聞いた。
 昨日も正吉と会ったのに何も教えてはもらえず、秘密にされたことに怒っていた。
 診療所の板戸を開くと、
「正吉、どういうことだ!」
 そう怒鳴りこんだ。
「いきなしなんでぃ」
 うるせぇと耳に指を突っ込み眉をしかめた。
「将吾のことを聞いたぞ」
「あぁ、聞いちまったのかい」
 口止めをするのを忘れたなと呟くので、カッと怒りが湧き上がり、正吉の共衿を掴み引っ張った。
「ふざけるな!」
 友が怪我をしたのに一人だけ知らぬなんて、そんな悲しいことはない。
「どうして俺には教えてくれないんだ。友だろうっ」
「だからだよ。だって、おめぇはすぐに泣くだろうが」
 懐から取り出した手拭いでぬぐわれ、自分が泣いていることに気が付いた。
「これはお主が黙っているから、気が高ぶって」
 すべて正吉のせいだと胸を拳でたたく。
「平八郎様、診療所で騒いではいけませんよ」
 平八郎の拳の腕に手が重なる。正吉の師匠である大窪保(おおくぼたもつ)は蘭方医学を学んだ医者で、家長である輝定と同い年だ。
「大窪先生」
「申し訳ございません、先生」
 正吉が背筋を伸ばし頭を下げる。
「正吉と磯谷様は平八郎様のことを子ども扱いしすぎですよ。怒るのはむりない」
 ね、と優しく微笑む。
「そうだ。覚悟はできている」
 いまは将吾の無事な姿を見たい。
「ありがとうございます大窪先生。俺の気持ちをわかってくれて」
「いいえ。さ、正吉」
「わかりました」
 道具を風呂敷に包み、平八郎と正吉は診療所を後にした。

 
 将吾の屋敷へと向かう途中、
「誰にやられたんだ」
 と尋ねるが、正吉も誰にやられたかは知らないという。
 平八郎の頭の中にはある男の顔が浮かんでいた。
 青木正純。
 彼と会った時、何か、もやもやとしたものを胸に感じたから。
 きっと彼が何かしら絡んでいるに違いない。
「正吉、青木という名に聞き覚えは?」
「知らねぇ。だれでぇ、そいつは」
 とかえってくる。
「北町奉行所の与力だ。将吾と団子屋にいるときに絡んできた」
「まさか、そいつが将吾を?」
「断定はできぬが、な」
 正吉の表情が険しくなる。きっと、怒りがこみあげているのだろう。
「は、将吾に聞けばわかるこった」
「そうだな」
 二人は頷き合い、屋敷へと向かう。
 そして、見舞いにきたと顔を見せれば、将吾が責めるように正吉を見る。
「俺じゃねぇよ。弥助だ」
「あ……、そうか、口止めをしておくべきだったな」
 正吉と同じことを言う将吾に、単刀直入に聞く。
「青木殿か」
「そうだ。だから言いたくなかったのよ」
 話せば誰にやられたかは直ぐにばれる。故に余計に心配をかけると思い、口止めを頼んだそうだ。
「当たり前だ。正純さんを見た時から、嫌な予感がしていたんだ」
 将吾もいつかこうなるという予感があったのではないだろうか。だから平八郎の大したことない腕でも、頼りにしていると 言ったのだはないだろうか。
「まぁ、でもさ、正吉が治療してくれているから大丈夫だ」
 それに俺は丈夫なんだと、からからと笑う。
 身体も心も痛いのは将吾の方なのに、平八郎を励まそうとしてくれる。それが切なく、目頭が熱くなるが、泣くまいとグッ と涙をこらえる。
「そうだよな。正吉が治療しているなら大丈夫だな」
「そうでぇ、俺に任せとけ」
 そう胸を叩き、平八郎の頭を撫でた。
「正吉」
「治してやっからよ」
 と治療をするための準備を始めた。
「平八郎も手伝えよ」
「あぁ」
 包帯を解くと痛々しい傷があらわれ、それを見た平八郎が驚いて口元を手で覆い隠す。
「切り傷、ここには痣が。なんて酷い真似を」
「まったくだぜ。おい、平八郎、ぬるま湯を貰ってきてくれ」
 傷を見たまま動かない平八郎に、正吉が手を強く握りしめる。
「あ、まさきち」
「平八郎、ぬるま湯」
「あ、あぁ、わかった」
 平八郎は桶を持つと部屋を出る。下働きの女にぬるま湯を作ってもらい部屋へと戻る。
 正吉は将吾の傷口に陣中膏(ガマの油)を塗りつけているところだった。
「くっ」
 我慢強い将吾ですら思わず声が出てしまうなんて、余程に痛いのだろう。平八郎が傷を負っている訳でもないのに痛そうな顔をしていた。
「平八郎、なんでおめぇが痛そうな顔してんだよ」
 と正吉に言われ、
「だって、正吉よりも我慢強い将吾が唸るほどだぞ」
 そう正直に答える。
「俺も我慢強ぇと思ってたんだがなぁ」
 額を指で弾かれ、何をするんだとそこを押さえれば、ニヤリと笑う。
「まさか、俺に対して言っているのか」
 何かと正吉や将吾に頼るから、それを言いたいのだろうか。
「それ以外になにがあるってぇンだ」
 なぁ、と、将吾を顔を見合わせ、その通りだと笑う。
「ぬぬ、そんなことをいうヤツにはこうだ!」
 ぬるま湯で手拭いを絞り、まだ浅く残る傷の上を乱暴に拭いた。
「いてぇ、平八郎、俺は怪我人だぞ」
「うるさい。仕返しは正吉にやれ」
 自分では正吉に敵わないので将吾に任せ、平八郎は身体を拭きはじめた。